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第五十六回ビジネス烈伝 / PGA Sompo Insurance Corporation 原田 史彦さん
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独自の保険商品と大きなキャパシティで企業活動をサポートする

PGA Sompo Insurance Corporation President and CEO
原田 史彦さん

1971年東京都出身。損害保険ジャパン日本興亜株式会社(旧安田火災)に入社後、営業担当として高崎支社に4年間、東京で6年間勤務。’04年に香港着任。’11年より再び東京勤務。’13年より南アジア部の立ち上げのためシンガポールに駐在。その後、’16年4月から現職。

〈座右の銘〉
ドイツの建築家のローエが言った「神は細部に宿る」という言葉です。本当に良いものは、目に見えない細部まで考え抜かれています。保険のサービスは商品そのものが目に見えず、細部は見逃されがちなのですが、私たちのサポート対応の姿勢やちょっとした思いやりにこだわって仕事をしたいと考えています。

PGA Sompoは日系企業のパートナーとしてフィリピンに進出し四半世紀。小さな市場に60社もの損害保険会社がひしめく群雄割拠の中、近年はローカルを含めた非日系企業にも日本クオリティのサービスを提供して存在感を増しています。市場の潜在性は非常に高く、これからが楽しみな一方、「宵越しの金は持たない」国民性の比人に向け保険の周知活動にも取り組んでいます。

 

 

編集部

 

学生時代はどのように過ごされていましたか?

 

原田さん

 

家庭の事情もあって、高校2年生のときに学校を休んで沖縄に1人で3カ月間住んでいました。夜は居酒屋でアルバイトをして、そこで夕飯を食べさせてもらっていました。受験とは全くかけ離れた世界にいましたが、その後東京に戻って大学受験をし、大学に入学しました。
大学時代はスキー場でアルバイトをして、途中からインストラクターの資格を取ってスキーを教えていました。今はスキー場に全く近寄っていないですけれど(笑)。福島県の裏磐梯猫魔スキー場というところに知り合いがいまして、そこでスキーを教えていました。朝早く起きてゲレンデ整備を手伝い、ミーティングや研修にも参加していました。レッスンは午前2時間と午後2時間ありました。その後、研修会と称して練習をしていました。帰宅すると夕食を食べて20時過ぎには寝る、という健全な生活をしていましたね。

 

 

編集部

 

ストイックにスキーを極めようとされていたのですね。

 

原田さん

 

浮ついた感じではなく真剣に取り組んでいました。2つあるスキー団体のうちの1つ、SIA(日本プロスキー教師協会)に所属して、その団体のスクールでスキーをずっと教えていました。SAJ(全日本スキー連盟)の1級も持っています。要するに大学にはあまり行っていなかったということですね(笑)。

 

 

編集部

 

大学卒業後は?

 

原田さん

 

安田火災という保険会社に入りました。途中で何回か社名が変わり、現在は損保ジャパン日本興亜という社名です。社名は変わりましたが、卒業して以来、同じ会社に勤務しています。入社1年目は群馬の高崎支社に配属になりました。私たちの保険を扱って頂いている、地場の銀行さまや企業さま、整備工場さま、ディーラーさまなど皆様のサポート対応をしたり、そのエリアで営業活動をしたりしました。

 

 

編集部

 

最初は地方に配属される方が多いですか?

 

原田さん

 

そうですね。各都道府県に拠点がありまして全国570ほどになります。もちろん、財務や会計、システムなど、最初から本社勤務という人もいます。
私は高崎支社に4年間ほどいた後、東京に異動しました。自動車メーカーさま専任の営業になり、6年間担当しました。その後、香港に異動し、7年間いました。そして次にまた東京に戻りました。

 

 

編集部

 

香港ではどのような仕事をされていましたか?

 

原田さん

 

’04年に着任し、中国の華南、広州から下のエリアにて主に日系企業向けの営業を’07年まで担当しました。その他に、外資の大きな物件の保険サポートも行いました。もともとカジノは1社独占だったのですが、’01年から外資開放になりました。’03〜’04年に外資のホテルなどができ始めました。その頃に赴任したので、そのホテルの火災保険などを担当していました。当時、香港には既に支店があったのですが、現地法人に切り替えようということで連結決算対象現地法人にしました。それに伴い、社内のシステムを入れ替えたり、会社のルールを変えたりなど、幅広い経験をすることができました。その結果、’04年~‘11年まで7年間と駐在期間が長くなったということですね。

 

 

編集部

 

当時の香港経済はどうでしたか?

 

原田さん

 

’03年にSARSの影響で景気が底を打ちました。これで香港は終わってしまうと言われた時期がありました。私は’04年に赴任して、ちょうど経済が立ち直ってきたタイミングでした。それからは順調に経済成長して、’08年に北京オリンピック、’10年に上海万博がありました。私が駐在していた’11年まで、ずっと経済成長していました。
余談ですが、あの時に香港で不動産を買っていればよかったなと思います(笑)。当時、不動産の話を持ちかけられて、ぐずぐずしていたら翌年にはオファーされた値段の2倍になってしまいました。1年間で2倍まで上がったので、どこかで下がるだろうから買えないなと思っていたのですが、最終的には最初にオファーされた7倍の値段まで上がりましたね。お金持ちになる機会を完全に逃しました(笑)。つまり、そのくらい景気が良かったです。
赴任した当時、香港ドルは中国元に対して2割高く、1香港ドルに対して1.2人民元でした。ところが、’08年までの間に逆転し、1人民元に対して1.2香港ドルになりました。中国がだんだん力をつけてきたということですね。徐々に中国本土から香港に人が入り始めました。香港は広東語で、北京語と違います。例えると、英語とフランス語くらい違います。香港は広東語と英語がネイティブで、北京語を話す人がすごく少なかったのですが、駐在した7年間で北京語一色になりました。北京語を話さないとサービス産業にいられないと言われるまでなりました。まさに激変の時代でした。今のフィリピンも伸びていますが、当時の中国はそれ以上でした。経済成長率は2桁で、最低賃金も上がり続けていました。

 

 

編集部

 

中国の経済が伸びていた要因は何でしたか?

 

原田さん

 

海外からの投資を呼び込み、工場を建設して世界の工場となり、それを上手く経済成長に結び付けられたということです。当時、日本などからの投資が多く出ており、中国は製造業としての拠点を作り、整備し始めていました。最初は中国もフィリピンのPEZAのように、外資系企業の税金を減免することで投資を呼び込み、まず工場を作りました。法人税を取らない、電気代・水道代は50%オフにする、というようなことをして企業を誘致していましたね。進出企業には、原料を中国国内に入れるときに関税をかけず、加工賃のみが支払われ、加工品が国外に出るときも関税はかかりません。これを来料加工と言いますが、PEZAもほぼそれに近い仕組みですね。外資を呼んで雇用を生み、経済特区を拡大し、その後少しずつ付加価値のある製造に切り替えていきました。従業員はまず工場で働きますよね。それに続いて、その周りに飲食店やホテルができて町になり、中国の経済がどんどん大きくなっていきました。中国の経済政策は、多くの問題を抱えてはいるものの、成長に向かってぶれずに進んでいます。

 

 

編集部

 

経済成長に関して、中国とフィリピンの違いは何ですか?

 

原田さん

 

中国は政府主導で成長に向かって、やや強引な面がありながらも真っ直ぐ進めています。一方、フィリピンは一定程度民意に耳を傾けながら成長を続けている気がしますね。
中国ではフィリピンと異なり、土地の所有権がありません。例えば、6車線の道路を明日から作りますと政府が決めたら、その通りに出来上がります。家や田んぼがあっても関係ありません。実際、北京オリンピックの時は、そのようにしてオリンピック会場が建てられたそうです。当時、日本でも話題になり、親子何代もが住んだ土地が立ち退きさせられてひどい国だ、という報道がされていました。しかしながら、中国の人にとってそれは当然という認識なのです。もともと所有権がないわけですから。もちろん、立ち退きの保証がされていて、違うところで住むことができます。中国と一括りに言っても、言葉も民族も様々で、みんなの言うことを聞いていたら前に進まないということもあるのだと思います。同時に、経済成長を一気に進めないとバラバラになるという危機感があるのかなとも思います。
そういう意味ではフィリピンはいい国かもしれませんね。意見を聞き、調整しながら進めています。しかし一方で、空港周辺は渋滞がひどく交通整理が喫緊の課題であるのに、そこにあるバラックはなかなか立ち退きさせられません。
何が良いのかは一概には言えないですけれど、経済成長という意味では中国やシンガポールのように、政府が右と言えば右に行かざるを得ない方がある意味良いかもしれません。住んでいる人にとっては別の問題かもしれませんが。

 

 

編集部

 

7年間香港に駐在して、その後は東京ですね。

 

原田さん

 

香港に行く前の担当部署の管理職として東京に戻りました。香港に7年間いたので完全に浦島太郎の状態でしたが、もともと6年間在籍していた部署の管理職でしたので勝手を知っていましたし、私が担当した時に仲良くしていた人が昇格していたりして、そういう点ではやり易い状況でしたね。2年半ほど東京にいました。
その後、シンガポールに南アジア部を作ることが決まり、私はそこに異動することになりました。以前は香港にアジア部を置いて、それまでシンガポールにあった地域本部機能を香港に集約していました。ただ、香港は大中華圏にありますので、やはり東アジアですよね。南アジアを見るには香港からだと難しいという話になり、香港に集約されていた機能を東アジア、南アジアに分けようということになりました。

 

 

編集部

 

シンガポールでの立ち上げはいかがでしたか?

 

原田さん

 

2人でスタートしたのですが、最初は当社のシンガポール現地法人に行き、机2つだけ貸してもらって、「南アジア地域本部です。」と言っていました(笑)。そこからオフィスを借り、少しずつ増床して、現在はSompo Holdings (Asia) Pte. Ltd.という会社になり、そこに南アジア地域本部を置いて40数名で事業をしております。システムや広告宣伝、プランニングなど、東京が持っていた機能をそこに移しました。地域本部で意思決定をするため、日本の役員もシンガポールに赴任しました。南アジア域内のアセアン+インド+オーストラリアでの案件は現地で決裁し、本社はフォローするだけです。よほど大きな案件は東京で決裁しますが、会社を買ったり投資したりということも含めてシンガポールで決済するようになりました。

 

 

編集部

 

シンガポールの会社の社員はどこの国籍の方が多かったですか?

 

原田さん

 

ローカルの人も含めて色々な国の人がいました。アクチュアリーと言いまして、保険数理の計算などが合っているかを検算する人たちがいます。それはインド人を中心としたチームでした。地域で様々な銀行さまとのビジネスを取り仕切る部門のトップはマレーシア人が担当していました。日系企業の地域本部ではありますが、管理職は日本人以外の人が増えてきています。ちなみにアセアンにある6カ所の現地法人のうち、ベトナム、フィリピンはトップが日本人ですが、シンガポール、マレーシア、タイ、インドネシアは日本人ではありません。現在、ローカライゼーションが主流になっています。日本人としては若干寂しい気もしますね。全ての現地法人に日本人はいますが、日本の本社や関連部署等の調整役であったり、現地社長をサポートする立場が多いです。駐在員の在り方も変わってきていますね。

 

 

編集部

 

フィリピンに来られたのはいつ頃ですか?

 

原田さん

 

シンガポールからフィリピンに来たのは’16年です。シンガポールの地域本部にいたとき、最初は全域を見ていましたが、その後、増員を行った後は国を分けて担当するようになりました。インドネシアやベトナムには頻繁に行っていましたが、フィリピンは私の担当から外れていましたので、実は想定外の異動でした。急遽白羽の矢が立ち、フィリピンに赴任することになりました。

 

 

編集部

 

フィリピンでの仕事の内容は?

 

原田さん

 

フィリピン全体を見ながら、どのようにして今の会社をより良くしていくか、どのようにして損保ジャパン日本興亜がフィリピンに貢献していくかを日々模索しています。まだまだ小さなオフィスなので、これから大きくしていきたいです。

 

 

編集部

 

PGA Sompo Insurance Corporationのサービス概要について教えてください。

 

原田さん

 

弊社は1991年に設立され、昨年に25周年を迎えました。4半世紀以上にわたってオペレーションしております。フィリピンに進出されている日系企業さまのサポートがメインのサービスです。日系企業さまの保険ニーズやお困り事、事故防止のお手伝いなどを行っております。現在は日系企業さまだけではなく、ローカルを含めた非日系の企業さまやフィリピンに投資されている外資系企業さまにまでサービスを拡大しております。そういう意味では日本クオリティのサービスをフィリピン市場にどのように提供していくかということが使命と感じております。

 

 

編集部

 

PGAはローカル最大手の保険会社ですが、どのように業務の棲み分けをされていますか?

 

原田さん

 

私たちの特徴としては、お客さまが取引されている企業のリスクに対する保険を扱っております。例えば、取引されている企業が倒産してしまった場合、商品を売った後でも代金が回収されないケースが起こり得ます。その際に、それを保険でカバーします。このようなローカル保険会社が実施していないラインナップを取り揃えております。

 

 

編集部

 

フィリピンでの売り上げは?

 

原田さん

 

売り上げは順調で、事業計画通りに進んでいます。

 

 

編集部

 

売れ筋はどういった商品ですか?

 

原田さん

 

フィリピンに進出されている企業さまの火災保険と運送保険などがメインです。その他には、建設工事の保険やインフラ整備に伴う工事の保険ですね。

 

 

編集部

 

以前、非日系企業との取引を5年以内に5割以上にすることが目標と伺いました。現在、非日系との取引割合は?

 

原田さん

 

現在は日系65%、非日系35%です。以前は7対3でしたから順調に推移しております。

 

 

編集部

 

現在、世界中にいくつの拠点がありますか? その中でフィリピンの位置づけは?

 

原田さん

 

日本を除いて32カ国228都市です。日系企業さまが進出していたり、日本人旅行者が行くような主要都市にはほぼ拠点があります。
世界各国に比べて、フィリピンの保険市場はまだ小規模と言えます。その中に、小さな保険会社がひしめいている状況です。ただ、ご存知のようにフィリピンはGDPの伸び率も高いですし、これから経済成長が見込める重要なマーケットと位置づけています。
また、フィリピンの多くの方は保険に入っていません。現在、保険加入率は極めて低いです。ですが、これからはいわゆる中間層が増えて、車や家を持ち始めたりすると、保険に加入する人が増えると予測しています。マーケットの潜在性は非常に高いと感じています。

 

 

編集部

 

保険の市場が小さいのは、購買力がまだ十分でないからですか? それともフィリピン人が保険についてよく知らないからですか?

 

原田さん

 

両方あります。保険に入るべきもの、つまり守るべき資産があまりないから入らないということも当然あるでしょうし、触れる機会がないから保険について知らないということもあると思います。どのように自分の資産を守っていくかということを含め、業界をあげて保険の普及活動をしているところです。
それから文化的な観点でも、フィリピンの方は宵越しの金を持たないという感覚の方が多く、今を楽しもうという考え方のため、保険の普及が遅れていると思います。それも大事なのですが、保険の概念というのは逆で、長い目で見てどのようにリスクを減らしていくか、将来どうすべきか、という人生設計に似た感覚がとても重要だと思います。

 

 

編集部

 

フィリピンで事業を行う上での魅力は?

 

原田さん

 

経済成長の潜在性が非常に高いことです。これから大きく経済成長し得るファンデーションはあるのですが、まだうまく花開いていない。それは色々な業界の方たちも感じていることだと思います。

 

 

編集部

 

フィリピンで事業を行う上での問題点は?

 

原田さん

 

フィリピンの損害保険市場は1,600億円と非常に小さく、大まかに言いますと、日本の損害保険市場の60分の1です。それほど小さな市場の中に、60社ほどの損害保険会社があるので、まだ群雄割拠と言いますか、非常にマーケットが荒れていて、安定していないため、保険業界全体の保険金支払能力に疑問が残ります。つまりルールが守れない人が一定数いて、コンプライアンス上の問題があっても無視してしまっています。現在様々なレギュレーションが決められ始めているという段階です。

 

 

編集部

 

小さな市場に60社ほどがあるとのことですが、日本の損害保険会社はもっと少ないのですか?

 

原田さん

 

日本には60社もありません。実はフィリピン国内にはもともと100社ほどありましたが、毎年減ってきて現在60社ほどです。現地の財閥系などの大きな企業では、保険を保険会社から買うのではなく自前で保険会社を作ってしまおうということで、グループ内に保険会社があるケースもあります。ただ、やはり成長限界やテクニカルな部分に問題があり、政府は資本金のガイドラインやバランスなどをチェックし、毎年少しずつ規制を追加しています。最近では最低資本金がペソで550ミリオンと規定され、それが守れない何社かは会社をたたみました。それが’19年に900ミリオンになり、’22年には1.3ビリオンになると決まっていますので、これからさらに保険会社数が減っていくはずです。規制や環境の中で淘汰されて、健全化に向けた動きが広がってきています。そういう意味では、成長余地は十分あるけれども、個別の問題もあるマーケットと言えます。

 

 

編集部

 

同業他社と比較しての強みは?

 

原田さん

 

ローカルの保険会社では扱っていない、特殊なリスクの引き受けができるのが強みです。日本の損保ジャパン本社単体の売上は、フィリピンの保険市場の13〜14倍になります。フィリピン市場はまだまだ小さいです。フィリピンの保険会社1社では引き受けられないリスクでも、私たちが引き受けられることがあります。例えば大きなリスクがあった場合も、それを私たちの本社グループのキャパシティやノウハウでサポートできます。大きな企業がクライアントの場合、ローカルの会社1社では引き受けられないので、私たちがサポートさせていただく事があります。結果として大きな企業さまの契約が多くなっています。中小企業さまに関しては、ローカルの保険会社がカバーしているケースが多い形になります。

 

 

編集部

 

同業他社との違いで、具体的にどのようなサービスがありますか?

 

原田さん

 

現地のニーズに合った保険設計を提案しています。例えば、大きなビルなどに対しては専用設計で、細かい提案が可能です。サーベイヤーという事故に関する物件の調査員が社内におりまして、その者が物件を見に行って、改善提案をしております。例えば、消化器が置いてある場所がよくないので、ここに置いた方が火事が出たときに消しやすいですよ、スプリンクラーの配置を変えた方がいいですよ、扉の位置はこうした方が非常時に逃げやすいですよ、などの提案です。場合によっては、建物を作り込む前段階から参画します。このようなノウハウはローカルの保険会社は自社内で持っていないことが多いようです。日系企業さまは保険会社からこのようなアドバイスを受けられるということをご存知なのですが、ローカルの企業さまにとってはまだ馴染みがないことが多いようです。

 

 

編集部

 

フィリピン国内で今後どのようなサービスを展開されていく予定ですか?

 

原田さん

 

まず世界的にみて、保険業界も少しずつデジタル化が進んできています。その中で、どのように私たちのサービスを提供していくかが大きな課題ですね。フィリピン市場はまだ大きく立ち上がってきていないので、本格展開はしていませんが、将来的にはフィリピンでもデジタル化を検討していく必要があると考えています。

 

 

編集部

 

デジタルでの保険手続きと言うことですか?

 

原田さん

 

そうです。加入手続きを含めた各種手続きです。日本や他の先進国も少しずつ導入してきていますが、どのタイミングで何から展開していくかが重要です。マーケット環境が違うので単純に日本と比較はできませんが、フィリピンも変えていく余地はあると思います。
そもそも日本の仕組みが古くなってきているので、それも含めて、私たちは大きく変えようとしています。規制の問題などがあり 、日本よりも海外が先行して、新しいサービスを出してくると予想しています。シンガポールやイギリス等は企業の要望に応じて規制を一時凍結する、サンドボックスという制度を立ち上げています。日本もこれから実施しようという流れになっています。フィリピンにおいてはマーケットが大きくないので、そのような仕組みを持ってきてもまだ商売になりづらいと思います。

 

 

編集部

 

心に残っている本は?

 

原田さん

 

ダニエル・ピンクの『Drive』です。モチベーションの在り方の本で、人のモチベーションを1.0、2.0、3.0という段階に分けています。1.0は、例えばお腹が空いたとか、本能的なモチベーションです。2.0 は、これを達成したらご褒美をあげるという飴と鞭のようなモチベーションです。3.0 は、自主性のあるより高度なモチベーションで、自分をコントロールし、自発的にモチベーションを上げていく状態です。そのモチベーションの在り方を説明した本です。
多くの企業はモチベーション2.0で止まっていて、これをしたらボーナスをあげる、逆にこれはペナルティとか、飴と鞭の世界です。しかし著者はもっと自分で決められること、マスターできること、自分がより高いレベルに行けること、大きな目的が達成できること、などを見出すことで、自主性のあるモチベーション3.0に辿り着けると提唱しています。
マネージメントとして、できるだけそういう会社を実現したいですね。いかに仕事を通じて社会に貢献していくか、いかに自分のスキルや能力を上げられるか、いかに自分で課題を見つけて解決していくか、これらを突き詰められる集団でありたいです。つまり仕事が面白くて自発的に業務をする仕組みが会社として、組織として提供できたらいいなと思います。現実はモチベーション2.0で止まっていますが(笑)。それでも、いかにモチベーション3.0まで引き上げるかが課題です。
フィリピン人は一般に言われているほどレイジーではないと思っています。仕事は嫌いではないですし、プライドは高いです。琴線に触れることがあれば自発的に仕事を行います。ボランティアや募金、CSR活動なども好きですよね。イベントも大好きです。例えばクリスマスパーティーはまさにドライブ3.0ですよ(笑)。テーマを何にしようかとか、衣装は何にしようかとか、会場はどこにしようとか。会社としてはバジェットだけ設定して後は何も言っていませんが、自発的に準備が進められます。勝手に夜な夜な残って練習をして、パーティーでは一糸乱れぬ踊りを披露してくれます。この人たち仲良かったかな、と疑問になる人たちでもチームワークを発揮します。日本で部内で何かするぞ、となってもあそこまでのパフォーマンスはできないですよね。これを日常業務でも発揮してもらえたら会社はもっと成長するはずです(笑)。私たち日本人は飴と鞭のモチベーション2.0に慣れていますが、フィリピン人はある意味、簡単にモチベーション3.0に到達できるのかもしれないですね。

 

 

編集部

 

プライベートの時間はどのように過ごしていますか?

 

原田さん

 

ゴルフですね。マニラゴルフでプレーすることが多いです。フィリピンではスキーはできないですからね。その他には映画を観たりもします。

 

 

編集部

 

原田さん自身の今後の展望や夢は?

 

原田さん

 

仕事の面では、現在アジア3カ国目ですが、可能な範囲で新しい国で新しい保険事業に携わっていきたいなと思います。
個人的な夢は、実はあまり日本国内を旅行したことがないので、引退したらキャンピングカーでも買って日本のゴルフ場を巡りたいですね。日本のゴルフ場は2,300位あるらしいです。すべては無理でしょうが、色々な地方を旅しながらゴルフができたらいいなと思いますね。 フィリピン人の日本の旅行先と言えば、以前は東名阪など有名所だけでしたが、今では日本人の私も知らないような温泉などに行くようになりましたね。「あそこは素晴らしかった」など、当然私が知っているものだと思って話してくれるのですが、そもそもその県に足を踏み入れたこともありません、ということも結構あります。日本は治安の良さや地域ごとに特色のある美味しい食べ物があったりして魅力的ですよね。山の中でキャンピングカーで寝ていても強盗に襲われる心配はありません。

 

 

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ビジネス烈伝

フィリピンでのトラック販売台数シェアナンバーワンのいすゞ。トラックメーカーが作る質実剛健な造りのSUVも着実に人気を伸ばし、人気は高まる一方。フィリピンで創業20周年を迎え、今後はジプニーに代わる公共輸送で貢献していきたいとも考えている。フィリピン人に愛され続けるメーカーであるため、サービスの拡充に力を注いでいる。
入社1年目で経験した飛込み営業で扱っていた事務機器を自分の武器に各国で事業を行ってきた尾澤さん。フィリピンでの販売はB to C系の製品や商業印刷の売上は堅調ですが、事務機器が伸び悩んでいます。自社製品は優れているもののお客様の課題解決に活かしきれておらず、’17年8月に赴任され、現在改善を進めています。
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2015年にマニラ支店を立上げ、1年目から好スタートを切り、現在はセブにも営業所を構えています。世界中に広がるネットワークやブランド力、どんな手配でも自前でやれるという圧倒的な強みには「おもてなし」を体現できる自信が感じられます。日本への窓口、顔として、まさに日本の広告塔となりフィリピンとの架け橋役を担っています。

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『交渉が行き詰った場合の対処方法』先月号では労使交渉に臨む姿勢についてお話させていただ いております(前回のフィリピンあらかると に掲載されていますので、見逃さ...続きを読む
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