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第五十八回ビジネス烈伝 / CANON MARKETING (PHILIPPINES), INC. 尾澤 一弘 さん
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サービスの改善でお客さまにも社員にも喜んでもらいたい

CANON MARKETING (PHILIPPINES), INC.
尾澤 一弘 さん

1964年鎌倉市出身。早稲田大学政治経済学部卒。’89年キヤノンに入社。1年目に事務機器の販売を担当したことから事務機器のエキスパートとして、その後オランダ、ドバイ、シンガポールに駐在。’17年から現職。学生時代はバンドを組むなど音楽好きな一面も。

〈座右の銘〉
『坂の上の雲』です。主人公たち若者が自分の意思でもって一生懸命歩んでいきます。客観的に見ると大変なことですが、非常に生き生きとしています。作品で楽天的と言う言葉が使われるように、大変な状況にあってもチャレンジして乗り越えようとするところがすごくワクワクしますね。読むと元気が出ます。

入社1年目で経験した飛込み営業で扱っていた事務機器を自分の武器に各国で事業を行ってきた尾澤さん。フィリピンでの販売はB to C系の製品や商業印刷の売上は堅調ですが、事務機器が伸び悩んでいます。自社製品は優れているもののお客様の課題解決に活かしきれておらず、’17年8月に赴任され、現在改善を進めています。

 

 

編集部

 

キヤノンに入社されたきっかけは?

 

尾澤さん

 

海外に行ったことはありませんでしたが、知らない場所で仕事をしてみたい、全世界にかかわる仕事をしたい、という気持ちがありました。キヤノンの製品は世界に展開しており、海外売上高比率は高く、魅力的でしたね。’89年当時で既に海外の売り上げが国内を上回っていまして、7割ほどを占めていました。入社以降も伸び続けました。リーマンショックあたりの’07年くらいが最も高かったです。
それからキヤノンの行動指針に「三自の精神」というのがありまして、「自発・自治・自覚」を尊重する風土があります。会社は個々人を尊重し、社員がある程度好きなように仕事ができる雰囲気があります。また、創業メンバーの1人である御手洗が医者の家系の出身ということもあり、キヤノンは健康第一を謳っていました。当時としては珍しく、社員にきちんと休みを与える会社でしたよ。週休2日制はもちろんのこと、夏休みは16連休が与えられていました。ど真面目な人間ではない私にはちょうど合っているかなと思いました(笑)。入社してから知りましたが、残業ばかりして休みを取らないでいると「休みを取りなさい。」と指示が来るくらいです。
海外へ行くチャンスがあり、会社の風土が自分に合っており、休みをきちんと与えたりして社員のことを気遣うことができる会社だと思い、入社しました。ところで私、実はキヤノンに2回入っています(笑)。

 

 

編集部

 

と言いますと、どういうことでしょうか?

 

尾澤さん

 

平たく言いますと、キヤノンに内定が決まった後に留年してしまい、その翌年に再度内定をもらいました。留年したのは、体育の科目で単に出席数が足りなかったからでした。「体育祭まで出席していれば大丈夫!単位を出す。」という教授の言葉を信じて、体育祭の後は全部休みました。詰めが甘かったですね(笑)。そのときはバンド活動に夢中でした。
留年が決定した後、キヤノンの人事担当者に謝罪に行きました。「半年で卒業できるなら待つけれども、1年留年だと待ちません。ただ、もう一度受けてもらう分には構いません。」と言われました。そこで留年した年にもう一回受けに行きました。当時、人事担当者とかなり仲良く話をするようになっていました。迷っている時期でしたが、色々と話を聞いてもらいましたね。その方に2回目も取っていただきました。

 

 

編集部

 

最初、どこに配属されましたか?

 

尾澤さん

 

入社して2〜3カ月は工場の研修があり、その後にそれぞれ配属が決まっていきました。当時はバブルでとても多くの人が採用されていた時代で、事務系は男性だけで80名くらい、女性も合わせると120名くらい入社しました。技術系はもっとたくさんですよ。
事務系の配属は大きく3つに分かれていました。1つ目は経理や法務、人事などの部署で本社勤務になります。2つ目は工場の管理や製造に関連する生産系の部署で、工場研修後も工場に残り、トレーニーとして5年間勤務します。3つ目は事業部関係の部署なのですが、こちらではすぐに配属はされず、まず1年間販売研修を受けるため、キヤノン子会社の販売会社に送り込まれます。私は事業部関係を希望して、東京にある販売会社に送り込まれました。ただ、研修というのは名ばかりで、事務機器の直販でしたね。予算を持たされて、トレーニーとして1年間販売をしていました。大変でしたが、その経験は今でも活かされていますよ。

 

 

編集部

 

販売研修では訪問販売をされたのですか?

 

尾澤さん

 

そうですね。私たちが研修で実施したのは、キヤノンの製品が使用されていないお客さまに売り込みに行くという、まさに飛び込み営業でした。中小企業さん向けの新規開拓を担当しました。エリアは銀座でしたので、たくさん売れそうに思いましたが、お客さまのところに行くと「あなた、キヤノンさんは今日で3人目だよ。」と言われるのです。他メーカーだけでなく、同じキヤノンでも他ディーラーさんが共存していましたから、競争が激しかったですね。お客さまでないところにどんどん飛び込んで行きまして、たまたまキヤノンの事務機器を使っているお客さまにお会いしたら、そこは他ディーラーさんが担当しているので立ち去るしかありませんでした。 通常はアポイントを取ってから、直接会って話をして、という流れがありますが、実際はアポイントを取ることさえ一苦労でした。話を聞いていただくというのがどれだけ幸せなことかとつくづく感じましたね。さらに、話はできても売ることは難しく「要らない、要らない。」と毎日言われ続けました。せっかく大学を卒業して入社したのに何してるのだろうと落ち込みましたよ。本社に直配属された同期たちはかわいい女の子に囲まれて仕事をしていましたが、それに比べて、私は散々に断られ続けて、たまに公園で一人でぽつんとして、「何のために働き始めたのかな。」と悩んでいましたね(笑)。

 

 

編集部

 

最終的に販売はできましたか?

 

尾澤さん

 

私はスタートしてから3カ月間、1台も売れませんでした。お客さまのところに行って名刺をばらまくだけではなくて、お客さまの使用環境をチェックして、本当はどうあるべきかを提案しながらアプローチしていきましたが、その詰めが甘かったりして全然結果が出なかったですね。それでも、その当時の上司に助けてもらって1台目を売ってからは次々売ることができました。月々のターゲット台数というのがありまして、それを達成すると、その販売会社の中で月に一度行われるランチ会に参加できました。4ヶ月目で売れ始めて、5ヶ月目以降はランチ会によく参加できていましたよ。 他の会社さんでも同じだと思いますが、売れていたら何を言ってもいいですし、会社の中でも大きな顔をしていられます。極端な話、コーヒーを飲もうが数字を上げていればいいのです。その代わり、売れないときのプレッシャーは強烈でした。

 

 

編集部

 

4ヶ月目から売れ始めたきっかけは?

 

尾澤さん

 

それまで積み重ねてきたものが実ったというのと、テクニック面を磨いたというのと両方ですね。2ヶ月前に回ったところから電話がかかってきて「見積もりを持ってきて。」と言ってもらえたりしました。テクニック面としてはお客様の課題解決をきちんと提案するという、クロージングの部分を強化しました。最後まで詰めて「こういう条件でいかがでしょうか?」というところまで持っていくようにしました。

 

 

編集部

 

販売研修で学んだことは何ですか?

 

尾澤さん

 

販売する上で、見ず知らずの状態から始めて、少しずつ人間関係を作っていくというのが、いかに重要かを学びましたね。国によって多少違いはありますが、特に日本を含めたアジアでは信頼してもらえないと買ってもらえません。「初めまして、これからよろしくお願いします。」という段階ではまず買ってもらえません。「あなたを信用するから買ってあげる。」というところまで関係を築くことが大事です。そういう意味でも売れると「お客さんが自分のことを信用して買ってもらえた!」となり、本当に嬉しかったですね。販売研修はとても過酷な現場でしたが、新人が成長するにはぴったりの機会と言えますね。 少し話が逸れますが面白い話がありまして、私たちが販売会社で研修を行い始めたとき、販売会社の新入社員が同時に配属になりました。彼らも私たちと同じようにセールスをして、同じチームにいました。ある日、その中の1人から「君らはいいよな、1年経ったら本社に戻れるんだから。こっちはずっと続けないといけないんだから絶望的になるよ。」と言われました。彼はいつまでも販売することができずにいました。ところが研修開始から6ヶ月が経過した頃、彼は突然異動になりました。それも左遷とかではなくて、人気があるマーケティング部門に異動していきましたよ。結局、残ったのは売れるセールスでした。これは、会社が売れない人の適性を見て、すぐに移したということですね。人を育てるという観点で面白いなと思いました。でも残された側からすると、言われたことと逆の状況になりましたので、彼のことが羨ましかったですよ。私たちは売れるようになっても1年間きっちりいなければなりませんでしたから(笑)。

 

 

編集部

 

研修期間が終わった後はどうなりましたか?

 

尾澤さん

 

1年間の研修後、本社に戻りました。研修に参加した25人のうち、販売成績上位10人は海外トレーニーということで海外にもう1年間、研修に行きました。販売台数と売上が成績の評価対象でしたね。私は11番目で海外には行けなかったのですが、成績順に配属先を選べるという仕組みになっており、希望通りに事業部門の複写機輸出に関する部署に行くことができました。複写機は、研修のときに事務機器をメインに直販しておりましたので、馴染み深い製品でした。それから海外各地に販売会社があり、そこで販売活動を行っていました。本社の事業部門は、海外の販売会社と直接やり取りしていましたね。海外とのつながりが強いということで、事業部門に入りました。 海外の販売会社がカバーしきれていない国というのがありまして、そこは事業部門が商社さんを通じて現地でのマーケティング活動を行っていました。当時商社さんと一緒に管轄していた地域は、アジアの一部、東欧、旧ソ連、中近東アフリカでした。配属後に私は中近東アフリカを担当することになりました。商社さんを通して複写機の輸出ビジネスを行いましたね。最初はアシスタント的な役割で予算管理などをしていました。私たちのチームは統括を任されていて、地域担当が個別にいましたが、2 〜3年後には私が中近東アフリカの主担当としてアサインされました。

 

 

編集部

 

実際、中近東アフリカに行かれることはありましたか?

 

尾澤さん

 

年に1回ほど中近東に行っていましたね。2週間くらい滞在して、商社さんと一緒に現地のパートナーを訪問したりしていましたよ。 しばらく商社さんと一緒に販売していたのですが、’96年頃に変化がありました。商社さん経由で販売をしていた地域も、直接私たちが取り組むように切り替わっていきました。商社さんが抜ける代わりに、海外の別の販売会社がそこを管理するようになりましたね。このような移管業務が順番に行われ、最後となったのが中近東アフリカでした。中近東アフリカの移管先はヨーロッパの販売会社でしたね。結局、私たちの部門は解体になり、そこに在籍していたメンバーは海外に散らばりました。私は中近東アフリカの複写機ビジネスを持って、’96年に当時ヨーロッパの販売会社本社があったオランダに赴任になりました。

 

 

編集部

 

海外勤務はオランダからスタートしたのですね。

 

尾澤さん

 

そうですね。オランダに行ってからも場所が変わっただけで、業務内容は基本的には変わりませんでしたよ。オランダでも既に中近東アフリカと連携していた部門がありましたが、複写機は扱っていませんでした。複写機の事業部を持って、私が異動してきたという形です。

 

 

編集部

 

オランダはどんな印象でしたか?

 

尾澤さん

 

赴任したのは’96年でしたが、それ以前に出張で訪れたことがありました。そのときは真冬でとても寒かったです。宿泊したホテルの周囲には何もありませんでした。ですので、赴任が決まったときはあまり心が躍ることはありませんでしたね。 ところが、来てみたらとても良かったですよ。赴任したのは4月頃で、爽やかな天気が続き、日は長くて夜10時まで明るかったです。自然も豊富でした。ただ、料理に関しては見た目は綺麗なのですが、味付けが薄くてあまり美味しくなかったですね。外見に気を遣うのが、いかにもオランダ人気質を表していると思います。例えば、家では窓に花を飾ったり台所を綺麗にしたりしています。実は台所はあまり使わない家庭が多いです。汚れてしまうからだそうです(笑)。あと農業国ですから、野菜やチーズなどの食材は安くて美味しかったですよ。当時結婚していて妻と一緒にオランダに行っていまして、普段は外で食材を買って家で食べていましたね。フランスから美味しいワインも入ってきていました。生活大国と言われるとおり、住んでみると非常に良いところだと感じました。 当時はユーロではなく国別に通貨が分かれていましたが、国境はほとんど無いに等しい状態でしたね。週末に車でベルギーやドイツに行くこともありました。国民性は非常にフランクで話しやすく、外人慣れしていました。仲間内ではオランダ語で話すのですが、私が加わると英語に切り替えてくれていました。例えば雑談中、こちらから話しかけていないときでもいつの間にか英語にしてくれていましたね。

 

 

編集部

 

オランダには何年間いましたか?

 

尾澤さん

 

4年間です。オランダに住んでいる間も継続して中東を担当していました。オランダに来る前は中近東アフリカ担当でしたが、来た後に中東専任になりました。その代わりに取り扱う製品の幅が広がりましたね。 ドバイまで飛行機で約7時間かかるのですが、1年のうち3割くらいは中東に出張していました。1回行くと約1週間滞在して、各地にいるパートナーさんのところをぐるっと回りました。このとき感じたのは、同じことを言っても人間関係ができていないと通じないということです。私は’90年代初めから携わり、商社さんを介さず直接やることになった際も自分がコンタクトパーソンとして担当し続けました。おかげで中東のお客さまは全て知っている状態でしたから仕事を進めやすかったですね。

 

 

編集部

 

オランダの後はどちらに移られたのですか?

 

尾澤さん

 

中東の拠点作りのため、ドバイに移りました。実は私が入社する前に中東のレバノンに事務所がありましたが、内戦の影響で事務所を閉じたという過去がありました。その苦い経験があって出遅れていましたが、他社さんが次々にドバイに進出していたのもあり、さすがに手遅れになるのは避けたいということで、2000年から拠点作りを開始しました。そのとき、立ち上げメンバーの1人として全商品のビジネスを持ってドバイに入りました。そのビジネスを行いながら、ドバイの事務所を販売会社に切り替えようという動きも同時に行っていました。 プライベートの方では、ちょうどドバイにいるときに子供が生まれました。ただ、子供が生まれる直前に9・11テロが発生しまして、ほとんどの日本人が帰国してしまいました。ドバイでは日本人が住めるところは3カ所ほどしかなくて、同じコンドに多くの日本人が住んでいましたが、あっという間にいなくなってしまいましたよ。でも妻はもう出産間近で飛行機に乗れないので、留まるしかありませんでした。「何かあったらどうするのよ!」と言われましたね。私も含めて不安でしたよ。それでも何とか無事生まれて一安心。と思いきや、その後にアメリカがアフガン侵攻を始めて、今度はアメリカ人が一斉にいなくなり、本当に怖かったですね(笑)。ニュースで後から知ったのですが、9・11テロの数ヶ月前に子供が生まれた病院にオサマ・ビンラディンが来て何かの治療を受けたらしいです。そんなこともあってドバイは2年間の滞在で、日本に帰国することになりました。今となっては笑い話です。オランダに4年間、ドバイに2年間の通算6年間を海外で勤務しましたね。

 

 

編集部

 

’02年に日本に帰られたのですね。日本ではどのような仕事をされたのですか?

 

尾澤さん

 

ドバイにいたときはマーケティング責任者として全商品を扱っていましたが、日本に帰った後は事務機器の出身舞台に戻って、国内販売会社の担当を6年間、その次にヨーロッパの販売会社担当を5年間務めました。’13年までの11年間、事務機器の販売推進部門に所属しました。 日本に帰った当初は戸惑いがありましたね。仕事の進め方が違えば、組織や自分の立場も違いましたし、マーケットも違いましたから。日本では何事も決裁者に一つ一つ相談をしてからでないと決裁が完了しません。一方、海外では人も時間も限られているため、細かいことは自分でどんどん決めていきました。国内の事業部門はどういう形で運営しているのかを理解することができましたので、日本に戻って働く経験ができたのは良かったです。

 

 

編集部

 

’13年からはどちらに行かれましたか?

 

尾澤さん

 

’13年4月からはシンガポールに異動し、4年半おりました。シンガポールのオフィスは東南アジア全体を統括しています。その中で、B to B系と呼んでいる、複合機を中心とした事務機器ビジネス部門で販売やソリューションを行いました。レーザービームプリンターなども扱いましたよ。仕事自体は大変でしたけれども、やりがいが大きかったです。 当時、アジアの地域統括マーケティング部門として大きくは北京、シンガポール、香港の3拠点がありました。フィリピンは香港の傘下にありましたが、’17年からは効率化のため香港のテリトリー全部をシンガポールに集約することになりました。それがきっかけでフィリピンを見始めるようになりましたね。 フィリピンでの事業は事務機器が弱いと感じていました。フィリピン社会の複雑な問題が影響を及ぼしておりましたね。「まずはアドミを立て直して、販売やサービスを改善、お客様の課題解決を軸に事業運営の抜本的改革が必要です!」と当時の上司と盛んに話をしていました。「誰かを送り込まなければ解決することは難しいです。」と言っていたところ、’17年8月に私が送り込まれることになりました。

 

 

編集部

 

フィリピンに来るとなったときの心境はいかがでしたか?

 

尾澤さん

 

私がトップとして行くことを全く想定していなかったので正直驚きましたね(笑)。もともとフィリピンにいた社長の下にアドミ系の誰かを送り込むというのが私の想定でした。アドミ系を強く推していましたので、実はアドミ系の人間もフィリピンに来ていますよ。 急遽フィリピンの赴任が決まったこともあり、シンガポール側では私の後任がいないまま出てきました。ですので、シンガポール側での私の業務は他の人がカバーしている形で、後ろ髪を引かれながらこちらに来ましたよ。 こちらに来たばかりの頃はシンガポールが恋しかったですね。シンガポールの会社はそれなりに大きな組織で、日本人だけでも約50名おります。4年間いると社外の人たちとの交友関係も広がりました。どこに何があるかを把握できていましたし、車を自分で運転して行くこともできました。それに比べて、最初フィリピンには知人が誰もいませんでした。会社の日本人は私1人しかいませんでした。それでも徐々に知り合いができてきて、一緒にゴルフに行ったりして今では楽しめていますよ。シンガポールに比べて日本食が安いのが嬉しいですね。

 

 

編集部

 

フィリピン人のスタッフはどうですか?

 

尾澤さん

 

性格が明るいところが良いですね。国民性だと思います。 逆に気を配っていることとしては、トップが見るところは見て、手綱を締めるところは締めるようにしています。各部門ではできていることも会社全体で見ると方向が一致していない場合もあるので、上の人がきちんと見る必要があります。それから問題があっても報告されない原因として、問題を問題と認識していないことがありますね。私自身が現場を直接見て初めて問題が浮き彫りになるケースがあります。それらの課題には、ちゃんと方向性や問題点をディスカッションして一緒に取り組んでいきたいですね。

 

 

編集部

 

貴社のサービス概要をお聞かせください。

 

尾澤さん

 

B to B系とB to C系の両方を扱っております。B to C系はカメラやインクジェットプリンターで、個人向け商品です。B to B系は事務機器や商業印刷などがあります。

 

 

編集部

 

フィリピンでの売り上げはいかがですか?

 

尾澤さん

 

B to C系は伸びています。B to B系の商業印刷もそこそこ良いのですが、事務機器が厳しい状況です。もともと私は事務機器の責任者でしたので、それを立て直しに来ました。顧客課題の解決力・サービスを向上し、事業を早く軌道に乗せるようにしていきます。

 

 

編集部

 

同業他社と比較して貴社の強みとは?

 

尾澤さん

 

インプットからアウトプットまで、製品が全部揃っていることです。インプットデバイスとしてはカメラやスキャナがメインです。アウトプットデバイスの方は複写機などです。そしてインプットからアウトプットまでを自前で繋ぐソリューションを持っています。例えば、スキャンデータを保存して、コントロールしながらプリントすることで効率化が図れます。

 

 

編集部

 

今、海外に拠点は幾つありますか?

 

尾澤さん

 

開発、生産会社、販売会社を全部含めまして、2016年末時点で367社あります。連結対象の会社が日本国内と海外を合わせて、これだけあります。

 

 

編集部

 

その中でフィリピンはどういった位置づけですか?

 

尾澤さん

 

販売会社では大きな拠点として日本、米州、欧州、アジア、オセアニアがあり、フィリピンはアジアの傘下になります。弊社では成長が見込める国に関して、販売会社を作って地場で販売をしております。フィリピンはその中の1つです。以前から力を入れており、昨年は20周年を迎えることができました。アジアのテリトリーの中でもGDPの伸びが高い国ですので、これからもっと力を入れていきます。

 

 

編集部

 

フィリピンで事業行う上での魅力は?

 

尾澤さん

 

1人当たりのGDPはまだ小さいですが、人口が1億人以上でGDPがこれから大きくなるというのが魅力です。今後が楽しみな市場ですね。

 

 

編集部

 

逆にフィリピンで事業を行う上での問題点は?

 

尾澤さん

 

地方展開をしていく上で言葉の壁があります。フィリピンに来る前は知らなかったのですが、フィリピンでは主要言語がタガログ語だけでなく、8種類ほどありますよね。弊社はセブとダバオにも支店がありますが、うまく使い切きれていないところがあります。支店をうまく使って、いかにその周りの島にもマーケティングやサポートをしていけるかが大きな課題です。ローカルのパートナーさんとも話しながら地方展開をできる体制を整えているところです。

 

 

編集部

 

今後どのような事業、サービスを展開していくご予定ですか?

 

尾澤さん

 

3つありまして、1つ目は「地方展開」です。地方ではあまり娯楽がないということもあり、ショッピングモールなどへ行く人が多いです。そこに私たちのラインナップをきちんと出したり、何か楽しめる形で製品を打ち出していくことを考えています。 2つ目は「サービスの充実」です。お客さまがせっかく私たちの製品を使ってくださってもサービスが不十分ですとフラストレーションが溜まってしまいます。サービスのクオリティやスピードを上げていきます。製品自体は非常に良いものなので、そこは私たちの責任だと考えています。 3つ目としては「製品のプロモーション」です。コンシューマー向けからB to B向けの製品まで、新製品や新技術がありますが、その魅力や長所がうまく伝えられていないと感じています。使い方次第で色々な場面での業務効率化に繋がります。まずは新しい技術や製品の強みを社内メンバーでしっかり共有することから始めます。

 

 

編集部

 

座右の銘は?

 

尾澤さん

 

「七転び八起き」ですね。今までの人生を振り返ると、アップダウンを繰り返してここまで来ました。苦しいときも諦めなければサポートしてくれる人が出てくるものです。 苦しいときに諦めないということをフィリピン人スタッフに伝えたいですね。私が若い頃に経験した飛び込み営業で、100件コールデーというのが週に1回ありました。1日に100件お客さまを回りました。一見無理そうに思えますが可能なのです。ほとんどが断られますので(笑)。これは、そのときに売り込むことが目的ではなく、まずは自分を知ってもらうことが目的です。加えて、お客さまのオフィス環境を確認して課題を見つけ出します。営業は断られたところからがスタートです。そこから人間関係を作って、初めて買ってもらえる可能性が生まれますし、そうして買ってもらえたときの感動をフィリピン人スタッフに味わってもらいたいですね。

 

 

編集部

 

プライベートの時間はどのように過ごされていますか?

 

尾澤さん

 

ゴルフや会食ですね。日本人だけでなくフィリピンの方と行ったりもします。本音が聞けて楽しいですね。

 

 

編集部

 

尾澤さんの今後の展望や夢は?

 

尾澤さん

 

アジアのマーケティンググループのスローガンに「Delighting You Always」というのがあります。私たちの製品を通してお客さまに本当に喜んでもらい、そして私たちも嬉しい気持ちになることができます。これを、スタッフ全員が一緒になって実現したいですね。 フィリピン人スタッフはいつも明るいです。それは良いことですが、仕事を通して本当の喜びを感じてもらえるようにしていきたいですね。

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ビジネス烈伝

授業動画を使って塾に行くよりも格段に安く学習できる方法が日本でも話題になっている。その仕組みをフィリピンの学校の授業にも取り入れているのがQuipper。

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その他

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SMマーケット、ロビンソン、ルスタンス、ウォルターマート、メトロスーパーマーケット、
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