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フィリピンで働く人図鑑 Vol.10 / 山路 健造さん

創設5 0 周年を迎え、盛り上がりを見せるJ I C A ボランティア派遣
JICAボランティア 平成26年度2次隊

コミュニティ開発 山路 健造さん
1984年12月2日生まれ
在比歴 1年
普段のランチ:ホームステイ先でのフィリピン料理

 

お仕事の内容について

コミュニティ開発隊員として、南ビコールの南カマリネス州ティナンバック町に所属。農業事務所の一員として、有機ごみの堆肥化やデモファームによる有機農業の促進、町名産であるココナッツを生かしたココナッツオイル絞り器導入に向けた環境整備などを行っています。 また、来年2月のフィリピン青年海外協力隊派遣50周年記念式典の実行委員長もしています。

 

    

     フィリピンに来たきっかけは?

 

もともとは西日本新聞で新聞記者として働いていました。その際に佐賀のNPO法人「地球市民の会」の国際協力活動に関心を持ち、国際協力の世界を志すようになりました。新聞社を退社後、JICAボランティア(青年海外協力隊)を受験し、合格、フィリピンに派遣されました。

 

    

     フィリピンの好きなところ

 

いつも明るく、陽気なところ。辛いことがあっても「ケンゾウ、元気出しなよ!」と、横で踊ったり歌ったりしてくれて、励まされています。一方で、あまりに楽天的すぎてスケジュール管理ができておらず、なかなかプロジェクトが進まなかったりと、困った面もあるんですけどね(笑)。

 

    

     海外で働く際に求められるスキル

 

語学などよりも、「この国の人や土地が好き」と思えることだと考えます。新聞記者時代から「地域を好きになる」ということを心がけてきました。現地の人とおしゃべりしたり、お酒を飲んだりして、積極的にコミュニケーションをとることが大切だと思っています。

 

    

     プライベート時間の過ごし方

 

活動内容やフィリピン文化を紹介するブログ( ココナッツの樹の下で kenzoyamaji.blog.fc2.com/ )の更新をしています。ほかにもネットメディア「開発メディアganas」(http://www.ganas.or.jp/)へ「フィリピンのど田舎でモッタイナイとさけぶ」という連載を寄稿させてもらっているので、その文を書いたり、毎月1回、活動内容をまとめた隊員通信「月刊やまじタイムズ」という新聞形式のレポートを書いたりしています。

 

    

     恋人

 

ビコール語で「Soltero po ako(. 独身です)Mayon ilusyon(. 恋人はいません)」と自己紹介するのは鉄板ネタです。100%笑いを取れます。

 

    

     フィリピンでの失敗談

 

青年海外協力隊は、入国して1週間目くらいに、任地(配属先)を訪問し、挨拶とホームステイをして、そこで家を探してくることになっています。私はその際、「漁村に連れて行ってやるぞ!」と言われ、行った先でお昼から、魚やカニが出てきて酒盛り。2時ごろに開放され、家に戻ると、今度はホストファミリーの誕生日会。まだエンペラドール(ブランデー)に慣れておらず、カラオケで日本語の曲を歌い、ダンスを踊り、抱えられて部屋に行ったそうなのですが、覚えておらず。いまだにホストマザーからは「ケンゾウ、ヨッパライ!」(親戚に日本人がいるので、少し日本語を知っている)と言われ、赴任して最初の1ヵ月ほどは禁酒させられていました。

 

    

     尊敬する人は?

 

青年海外協力隊関係者(隊員、隊員OB/OG、JICA関係者、フィリピン人など)に尊敬する人が多いです。皆さん夢を持ち、その夢に向かって努力をされているからだと思います。

 

    

     人生のモットー

 

国籍や民族を越えて「人をヒトとして好きになれる社会をつくる」ことです。大学時代から、多くの外国人と接する機会がありました。彼ら彼女らの中には、日本と国同士は仲の悪い国もあります。でも、実際に人間として付き合ってみれば、国籍や民族など関係なく、「一人の人間(ヒト)として」お互いを認め合うことができるはず。これは記者時代も、協力隊になってからも、変わらぬ私の理念です。

 

    

     今までの経験の中で一番成長を感じたこと

 

協力隊の活動を通して、あらゆることに対して、積極的に行動を取れるようになりました。例えば、ココナッツオイル絞り器導入に向けた働きかけをしたときに、なかなか手助けしてくれる人が見つかりませんでしたが、それが導入できたときの効果を説明し、徐々に協力者を増やしていきました。積極的に行動し、自分に負荷をかけることで成長したいです。その成長が、任地にとって「付加価値」を生むと信じています。50周年記念式典の実行委員長に立候補したのも、その考えからきています。

 

    

     これからの目標

 

現在誘っていただいているNPOがあり、帰国後そちらに行く可能性がありますが、まだ勉強し直したいという思いもあります。とにかく、途上国の人たちが一人でも「幸せだ」と思えるような社会づくりの手助けをしていきたいです。

 

 

    

     カバンの中身見せて下さい!

 

カメラ、パソコン、ミニホワイトボード、十徳ナイフなどを持ち歩いています。ホワイトボードはちょっとした会議やプレゼンをするときに重宝しています。十徳ナイフは生活する上で何かと便利です。デング熱予防のための虫よけも大事ですね。植物の種を持ち歩いているのは僕くらいでしょう(笑)。



 

これからフィリピンで働こうと思っている人へのメッセージ

 

文化の違いを受け入れることが大切です。最初はフィリピン人の計画性の無さ、仕事への意欲の無さに慣れるまで時間がかかりましたが、赴任から1年が経ち、いちいち怒ることもなくなってきました。それは、日本が良い、フィリピンが良いではなく、「両国の文化の違い」だと捉えられるようになったからです。

 

 また日本人がフィリピンでできることは多いと思います。フィリピン人は優秀な人が多く、国には資源が豊富にあるし、地方にもお金があり、豊かな国だと思いますが、国全体で見たときに上手く回っていない。そこに日本の仕事術やマネージメントの仕方を伝えれば、歯車が回りだし、もっと発展すると思います。

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セブでの研修が終わった後は、インドネシアでの事業立ち上げを経て、バンクーバーのビジネススクールに今年の4月まで行っていました。そのときに会社から声がかかり、マニラに赴任することになりました。

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日本とフィリピンの友好、相互理解のために文化交流を行っています。具体的には、文化事業(日本映画祭や展示、公演など)、日本語教育(日本語教師の研修や日本語能力試験の実施)、日本研究・知的交流(日本について研究する人への支援、知的リーダー層の交流)を3本柱として行っています。その中でも特に文化事業と日本研究・知的交流を担当しています
26歳で今の会社をフィリピンで立ち上げ、最初はオンライン英会話からスタートしました。現在では、語学事業の中でより幅広くオンライン英会話、語学留学、海外インターンシップ、オープンカレッジ、フィリピン現地の駐在員の方たちを受け入れる、通学可能な英会話教室も運営しています。
JETRO Manila全体の仕事としては、日本からフィリピンへの輸出促進とフィリピンへの投資支援が二本柱になっています。その中で、私は調査担当として、フィリピン経済統計をまとめてデータ化し資料に起こしています。例えばフィリピンの人口ピラミッドや経済成長の状況について、他のASEAN諸国と比較をしながら日系企業に説明をします。
日本人のお客様を中心に、フィリピンでのお住まいや、出張時のご宿泊先、進出されてきた企業様向けの小規模オフィスをご案内して、住環境を整えるご提案をしております。物件は日本人のお客様が投資用に購入されたものが中心、かつ弊社も保有している物件なのでその辺りの安心感をお客様にお伝えしたいです。
フィリピンの危機的状況にいる子どもたちの支援をしているNPO法人ICANマニラ事務所でスタディツアー、研修事業、国際理解教育、資金調達を担当しています。スタディツアー、研修においては、日本からフィリピンの現状について学びたい人を募集し、ICANが実際に活動している事業地に案内します。
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