台風ヨランダ 復興へ向かって
2013年11月8日、超大型台風30号ヨランダがフィリピン中部を横断、甚大な被害をもたらした。
数千人が命を落とし、生存者の多くが未だ癒えない苦しみにさらされている。
一方で、住民は復興へ向け歩み出した。最大の被災地とされるレイテ島タクロバンに生きる人々を訪ねた。
タクロバン空港に着陸する直前、台風で完全に破壊された町が窓の外に広がった。 台風で一面瓦礫の山となったタクロバン空港に近い海岸沿いの地区。かつて住んでいた家の場所で自分の所持品を探していた高校3年生のライアン・ディパス君(16)が立ちすくんでいた。 多くの家族がタクロバン・コンベンション・センターを避難所として暮らす。周辺には救援活動にあたる軍や支援団体がテントを設営していた。 タクロバン市庁舎で、家屋の被害の状態を市に報告するために大勢の人が列をつくっていた。市はこの聞き取り調査の結果を、国に申請する復興予算の資料の一つとするという。 被災者支援のための米をタクロバン市庁舎に運び込む人たち。 タクロバン市庁舎前で、温かい食料の配給をもらおうと集まった人たち。 倒壊した家並みを前にしても、子どもたちは笑顔を失っていなかった。 多くの家屋が倒壊した地区で遊ぶ子どもたち。 医師、看護師、薬剤師らで構成される日本の国際緊急援助隊の医療チームが、タクロバン市庁舎そばの公園で住民の検診にあたっていた。 医療援助にあたる日本の国際緊急援助隊の隊員と遊ぶ子どもたち。 医療援助にあたる日本の国際緊急援助隊の隊員と遊ぶ子どもたち。 医療活動の拠点となっていたEastern Visayas Regional Medical Centerの一室では、運び込まれた患者たちの診察が続いていた。 病院の一室で点滴を受ける女性。 海岸からすぐそばのEastern Visayas Regional Medical Centerの処置室前で涙する女性たち。 半壊した家屋で片付けに追われていたルーデス・タカネスさん(73)。台風で息子、娘、妹を失った。悲しみをこらえながら「家を修理するお金も、他に行くあてもない」と話した。 台風で3歳の娘リナリンちゃんと4ヶ月の息子リチャードちゃんを失った母のロザリンダ・カストールさん(33)。8人家族で避難していた学校が浸水し、窓枠にしがみついていたが猛烈な水の勢いで離ればなれになってしまったという。「娘と息子に会いたい」と話した。 郊外の墓地North Cemetery。背後の山の樹木はなぎ倒され、道路には、袋に包まれた犠牲者の遺体が並んでいた。 市内には「WE LOVE TACLOBAN」の文言があちこちに書かれていた。

ダバオから駆けつけた医療ボランティアチームのメンバーが、臨時の宿泊所としている教会内で自炊した夕食を前に祈りを捧げていた。 瓦礫を撤去する人たち。台車にはYOLANDAの文字が書かれていた。 大きな被害を受けたタクロバン市公設市場で、立ち話をする少女たち。 タクロバン市公設市場のそばの小屋で避難生活を送る家族。母親のサラさん(21=右端)は、8ヶ月のジュリアちゃんたちを連れて市場内の建物2階に逃げたという。 フランスの医療ボランティアチームの医師による検診を教会で受ける住民たち。 避難所になっているANIBONG小学校の教室で暮らす家族。母スーザンさんは1歳の男の子ロビンちゃんを片時も離さなかった。 市内のあちこちで電柱が倒れ、住民は危険な状況の傍らで生活することを余儀なくされている。 市内のあちこちで電柱が倒れ、住民は危険な状況の傍らで生活することを余儀なくされている。 横倒しになった車にシートをかぶせ、雨をしのぎながら料理をする人。 店舗が被害を受け閉店状態だったUNION BANKは、近くのレストラン内にスペースを借りて銀行業務を再開していた。 停電が続く中、ろうそくの灯を頼りに夕食を囲む家族。 市場では野菜や魚、肉などの流通が再開していた。 市場でリヤカーを押しながら懸命に働く子どもたち。 台風上陸から2週間後の11月22日午前、セントポール病院で男の子を出産したマリリン・ミジャランさん(35)。この出来事を決して忘れないようにと、子どもをフランシス・ハイヤン(ヨランダの英語名)と名付けた。 ヨランダ上陸前の10月26日に双子を出産したイスピーナ・アボルさん(30)。生まれたばかりの男児アルノルポちゃんと女児アージェリンちゃんを抱きながら自宅のテーブルの下で台風をやり過ごしたという。 なぎ倒された樹木がもたれかかったままのバス停。 瓦礫やゴミで埋めつくされてしまった河川。 セントポール病院で赤ちゃんの手当てに追われる医師ら 教会内で避難生活を送る人たち。 自宅の屋根の修理にあたる中、ひと休みしていた男性。 大きな被害を受けた海岸沿いの地区では、住民たちが廃材をバケツリレーしながら運び出していた。 瓦礫の撤去に協力してあたる中、笑顔を見せてくれた住民たち。 被害を受けた家屋の前で洗濯をする家族。 倒壊した家屋。 屋根部分が樹木にからまりながら地面まで落ちた家屋。 フィリピン国軍の輸送機C130でタクロバン空港からマニラへ向かう人たち。 タクロバン空港からマニラへ向かうフィリピン国軍の輸送機C130は、移送される多くの住民であふれかえった。 タクロバンからマニラへ住民を移送するフィリピン国軍の輸送機C130の機内で、母親が子どもに授乳をしていた。 タクロバン空港のそばの道路では、横倒しになった樹木の上にトラックが乗り上げていた。 救援物資の配給を受け取ろうと集まった人たち。 屋根が吹き飛ばされるなど大きな被害が出たタクロバン市公設市場。 タクロバン市公設市場で笑顔を見せる子どもたち。 営業を再開した市場で鮮魚を売る男性。 再開した市場でパンなどを売る家族。 市場の建物2階で避難生活を送る家族。 台湾の慈善団体により日当が支払われる瓦礫の撤去・清掃活動に参加しようと、教会に大勢の人が集まった。 ジープニーから笑顔をのぞかせる子どもたち。 瓦礫の中を歩く男性。 フィリピンの国民的英雄、ボクシングのマニー・パッキャオ選手の試合が市内で生中継された。臨時に設けられたテレビの前で応援する人たち。 パッキャオ選手の王座奪還の勝利に歓喜する人たち。試合後のインタビューで被災者に向かって、「私はいつだってみんなのそばにいる。もうすぐそっちへ会いに行くよ」と話した。 停電が続く中、発電機からの電気を頼りに夕食をとる家族。 避難所でろうそくの灯の中くつろぐ家族。 夜間、ろうそくの灯のもと野菜や果物を売る子どもたち。 台風で流されてしまった生家のあった場所を指差す、トライシクルドライバーのジェイミー・シンバホンさん(45)。 流された家の再建に取り組むトライシクルドライバーのジェイミー・シンバホンさんと妻ジョアンナさん。 タクロバン市内では、あちこちで復興へ向けた槌音が響き渡っていた。 家の再建に汗を流す中、男性は台風ヨランダがやってきた方角に目をやった。

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