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越川・在フィリピン日本国大使 本日3/5離任
2024年03月05日更新

在フィリピン日本国大使館 越川和彦大使が本日、3年3ヶ月にわたる任務を終え、帰国の途につかれます。マナロ外務大臣に外国メディア向けの会見の中で「越川大使がフィリピンを離れるのは悲しい」と言わせしめるほど精力的に活動され、そのお人柄から、フィリピンの方にも日本の方にも親しまれてきた越川氏は、この在任3年3ヶ月の中でフィリピンと日本をどう見ているのでしょうか。去る2月9日にメディアの要請で大使公邸にて「メディアとの懇親会」での内容を編集してお伝えします。(内容は懇談会の内容をもとにプライマーにて編集・抜粋)

在フィリピン日本国大使館 越川 和彦 大使
(2022年8月22日ビジネス烈伝取材時撮影)

 

 

越川大使がフィリピンに着任したのは2020年11月。まさにコロナ禍の真っ只中での在フィリピン駐日大使としての活動であったが、その間、様々な分野で日比の協力関係が深まって「日比黄金時代」とも言われています。この3年3ケ月の精力的なご活動とともに、大使の思いをお聞きしました。

 

 

■フィリピンの印象―コロナ禍での着任

 

私が初めてフィリピンに来たのは1996年です。当時ワシントンの在米国日本大使館で政務官として東南アジア、アセアン、インドシナ・南米を担当しており、スービックでフィリピン主催のAPEC首脳会談開催のための視察でスービックの米軍基地跡を訪問しました。当時、クラークはピナトゥボ火山の噴火の影響で使用できず、スービックも道路が寸断されており、陸上からは行くことがかないませんでした。そのためセスナ機でスービック飛行場に着陸したのを覚えています。

 

そして、2022年に11月、2回目のフィリピンに、大使として着任しました。
フィリピンは、日本との間に戦争の厳しい過去の歴史がある国です。私も着任の際にはこれまでの勤務地とは異なる感を持って赴任して参りました。

 

2022年に11月はまさにコロナ禍の一番厳しい時期で、皆さんも同じ状況であったと思いますが、メンタル的に非常に厳しい時期を過ごしました。
人に会い政策の協議をしたり情報交換をするのが私たちの仕事ですが、外出できない、直接お会いできないというのは非常にストレスがたまる状況で、なおかつ大使としては政権の中枢にコンタクトできないと商売あがったりです。しかしこのような状況下でも、最低限、政権中枢へのチャネルをつくらなければなりません。ちょうどドゥテルテ政権最後の一年半の時期にあたるのですが、主要閣僚はじめ重要な方々と直接お会いし、関係性をつくるために、大使公邸内にアクリルボードを設置して、その方々をご招待するチャネルをつくり業務にあたっていましたね。

 

メディア懇談会にて

 

■在フィリピンの日本の皆さんにコロナワクチン摂取の機会を!

 

大使館の一丁目一番地は日本人の皆さんの健康と安全の保護です。日本人の方の中には、私の着任当時、すでにワクチンを入手したり、フィリピン政府供与のシノバック、ファイザーなどのワクチンを打っている方もいました。ただ、中には日本で承認されていないワクチンを打ちたくないという人もいて、ワクチン接種機会の要請を受けていました。本省にも相談したものの、現地は現地調達だと。だから我々大使館の人間もワクチンがない状況でした。

 

そんな時、ある財閥の方から電話があってワクチンを打ったか聞かれました。実際、大使館にもワクチンはなくそのことをお伝えすると、「ではあげようか」と。「一般の方が打っていないのに我々が打てませんよ」「なんで?他の大使は受けているのに」と。当時の官房長官にご相談をしたところ、「では日本人に対してワクチンをあげましょう。ファイザーかモデルナかアストラゼネカがある」と。さっそくマニラ日本人会、マニラ商工会議所との共同で、パラニャーケの市長さんに場所を提供していただき日本人に対する接種の機会を持てたことは、コロナ禍の中にあっても良かったしありがたかったと思う点です。ただ私もコロナに掛かってしまいましたけどね。大統領就任式に、日本から外務大臣が来てもお会いできないのは忸怩たる思いがありました。

 

 

■しっかり語り継いで行くべき歴史

 

昨年、キリノ大統領の恩赦発出70周年で、日本人の方に献花のために集まっていただきましたが、こういったことは日本側が今後もしていかなければいけないことです。若い世代は過去の歴史を知りません。知らないのは伝えていないからであって、知ると「ああそうなの」とみんな感動してくれます。
歴史はしっかりと語り継いでいくことが必要であって、歴史を忘れるといろんな意味で問題が起きてきます。起こったことをしっかり認識したうえで活動していくことが、政府レベルは当然のこととして、民間企業の方も、すべてのレベルで必要です。歴史を知っていれば、接し方も違ってくると思いますね。

 

私の立場でも、これまでいくつかの場所に行き献花をしたり、謝罪をしてきました。あるとき、ロスバニョスの教会で日本軍が占領した教会の中にいた地元の方全員が殺害されたという話が出ました。謝罪を求められたのではないですが、「日本国大使として謝罪します」と申し上げたら、「そんな必要はありません、そんなことは求めていません。日本は本当にフィリピンのためにいろんなことをやってくれてありがとう」と。そんなことが多くありました。歴史はいつも心に置きながら、友好関係、協力関係を築くことが重要だと思っています。

 

フィリピンの皆さんの日本に対する思いが考えていた以上に良かったと感じました。これは非常にうれしかったですね。過去は過去、今はこれまでの両国関係、これからの協力関係が重要だと皆さんいってくださいます。これは非常に印象深いことでした。

 

 

■国籍取得・遺骨収集

 

フィリピン側からは、戦争で残っている日系人の国籍取得の問題、日本訪問を希望される方に対する特別な配慮がなされています。遺骨の問題もコロナが落ち着き、厚生労働省も人を派遣するなどしていますが、アバロス内務大臣などが誠意をもって協力的な姿勢を示してくれているのはありがたいことです。
遺骨の問題もある時期までは非常にセンシティブな問題だったんですよ。自分達の親族や親子が殺されているのに、なんで協力するのかなどという声もあったのですが、今まったくそういった問題は感じません。年月も経ちましたし、それだけ日比関係がよくなったということなのかと思います。フィリピン側の姿勢を最大限頼りにして一つでも多く解決に向けていって欲しいと思っています。

 

 

■前政権から現政権へ

 

ドゥテルテ政権は、日本との関係性は非常に良かったのですが、その一方でアメリカとの関係性は良いとは言えませんでした。「親中」ということだったのだと思います。そんな環境の中で、ODAの引き渡し式の設定などでも、外務大臣から(中国など)と「差をつけるな」と苦情をいただいたこともあります。
ドゥテルテ政権は、発足当時プロジェクトリストを提示していました。しかし、彼の政権末期1年半で実現したプロジェクトはほとんどなかったですね。かたやその間、日本は多くのフィリピンの事業に貢献して来ています。当時の財務大臣のところに行って「私たちは日本の税金を使って活動している、事業の広報において各国の扱いは平等でなくてはいけない」ということを再三申し上げてきました。ドゥテルテ政権は、アイディアの面は非常に良かったのですが、その一方で、私の立場ではストレスがたまることもありましたね。

 

そして、新しく誕生したマルコス政権。どのような外交をされるのか関心を強く持っていました。マルコス氏は、政治討論会にも出席されなかったし、選挙戦の中もあまり明確な方針を表明されず、大統領選の直前にマルコス氏とロドリゲス氏が公邸を訪問してくださった折にも、明確な話はなかったのです。そして大統領選挙でマルコス氏は圧勝。選対本部にお祝いに行くと、壁いっぱいにマルコス氏の父・故フェルディナンド・マルコス氏が故毛沢東氏、故周恩来氏と撮影した写真が壁いっぱいに飾られていました。なぜそのような写真が飾ってあるのか。これは前政権と同じ「親中」なのかと感じました。

 

しかし、皆さんすでにご存じのように、現マルコス政権は、ある意味伝統的なフィリピンの安全保障、防衛政策、外交政策をとっているのかなと思っています。

 

ドゥテルテ政権末期、中国は大きな鉄道案件3つをやることになっていました。スービック~クラーク間鉄道、南長距離線(マニラ~レガスピ間)、ミンダナオ鉄道。これら3つ、すべて進捗が止まっています。現在日本主体に建設中の南北通勤線も、もとはといえば中国がやるはずだったものですが途中で投げ出したという経緯もあります。MRT3も住友商事がメンテナンスを完了し、今60キロのスピードで定時に運行されるようになりました。MRT3の保守管理も十数年間は日本の手を離れていたのですが、結局は日本にもう一度やってくれと依頼があり、今は安定した運行できるようになっています。

 

新政権になって日本が今までやってきたことが再認識されて、日本の国民、企業に対する信頼感が再度認識されたということだと思います。私の立場としては非常に良かったと思っています。

 

 

■厳しい国際情勢の中での安全保障

 

安全保障面では、日本は日米で安全保障条約を締結しています。フィリピンも米国と安全保障条約を持っています。そして日本とフィリピンは戦略的パートナーの位置づけです。そしてフィリピンと日本は、東シナ海、南シナ海、同様の状況に直面している状況にあります。

 

フィリピンのみならず東南アジアには、日本との間に80年前の戦争の問題があったわけですが、その中で一番ご迷惑をかけた国、そして反日感情が強かったのがフィリピンでしょう。

 

その中で、象徴的だったのは2022年12月7日、日本の航空自衛隊の戦闘機2機が、クラーク基地で3機のフィリピン空軍のジェット機にエスコートされて本部にやってきたことでした。これは、歴史的なものをかなり克服して日本に対する信頼が高まった、一つの象徴的な出来事だったと思います。一つの新聞のヘッドラインには「NOT ZEROS(ノット・ゼロズ)」とありました。何それ?と思う人が多いかもしれませんが、これは第二次大戦時に活用された「零戦」との対比を意味しています。フィリピンの新聞にそう書かれることが、関係性の変化を示しているということだと思うんですね。

 

現場で様々な協働、協力が進む中で、現在RAA(Reciprocal Access Agreement:円滑化協定)の批准、自衛隊とフィリピン軍の相互の持続的な交流を交渉しています。フィリピン側は3月いっぱいでまとめるとおしゃっていました。そのような政治的なご発言は非常にありがたく、しっかりまとめて速やかに政府間で交渉を行い、フィリピン上院の承認を得る流れになっています。今、上院議員の皆さんは非常に好意的で、RAAの早期批准をと言ってくれています。これもまさに、フィリピンとの関係が新しいフェーズに入ったということかと思います。

 

国際環境は非常に厳しく流動的な側面があり、ウクライナ、中東・ガザ、の問題もあります。
2016年JICAの活動でガザに行き、病院に保育器、医療機器、医薬品を供与しに行ったのですが、今の状況を見ると非常に心が痛みます。当時1ミリオンの円借款の署名もし、NHKの方をJICAの専門家としてウクライナに派遣し、民主主義国家における公共放送のあり方の研修も行い、放送機器も供与しアンテナも寄贈しています。そのアンテナにミサイルがあたった映像を見た時には胸が痛かったですね。

 

一方、日本は台湾問題、北朝鮮を抱えています。日本とフィリピンは同じような安全保障上の脅威を感じています。
戦争や紛争を起こしてはいけない、そのためにパワー・ポリティクス(Power politics)は別にして、バランスが非常に重要だと思いますね。日本も同じです。フィリピンとは戦略的利益を共有しています。フィリピンもアセアンという枠はありますが、アセアンの中でできることできないことがあり、そのために日本やオーストラリアに対して強い関心をもって一緒にやりましょうということになるのだと考えています。

 

 

■両国のイメージアップを

 

マスコミを非難するつもりはないですが、ルフィーの事件の時の日本での報道について、多くの日本人にすごくフィリピンのイメージが悪くなったと言われました。これは残念でしたね。繰り返し報道されることで、フィリピンは大丈夫?といった感じになっていました。

 

ルフィーなど特殊詐欺の関係では、悪いことをやっているのは日本人なわけで、フィリピンは割りを食ってしまった感は否めません。
そんな中で、フィリピン側は非常に調査に協力的でした。日本の捜査当局からの要請に対しても非常に司法関係の方をはじめ多くの方が精一杯、協力してくださいました。
実際、大使公邸で8年間働いている鈴木シェフは「最初に来たアキノ政権当時はマーケットに行ってもすごく危ない感じがしていましたが、今はぜんぜん違います」といっています。そういう意味では治安はかなりよくなったのではないかと彼の話を聞いて実感しています。

 

たとえばニューヨークの9.11あとに起きたアメリカ炭疽菌事件では、日本の報道を見ているとマンハッタンは炭疽菌でいっぱいだと思うわけですよ。当時、私の家族はニューヨークにおり、長女だけが日本にいたのですが、「私は一人になってしまうのかなと思った」と言っていましたね。そして、テロリストの報道があればその街はテロリストでいっぱいだと視聴者は思うんですよ。報道にはそんな力があるんです。

 

あと、良いことはなかなかニュースにはならないですね。今、フィリピンでは多くの日系スポーツ選手などが活躍しており、こういったニュースは大使館でもできるだけ多く発信していくことにしています。バスケット大会をフィリピン、インドネシア、日本3か国で共催したり、空手の月井隼南さんの活躍もあります。体操競技でも交流が進んでいます。カルロス・ユーロさんを日本のコーチが訓練したり、バスケットもBリーグに優秀な選手が在籍しておりスポーツの交流が進んでいます。

日本の情報を発信することも重要です。例えばボルテスVはフィリピンでは国民的アニメだといわれるありがたい存在です。公邸にもプラモデルを飾っているんですが、「なんでこんなところにあるんだ」と公邸にいらした方、特に50,60代の方が非常になごむんですよ。


また、宮崎駿のThe Boy and the Heron (2023)を見に行きましたが、日本のポップカルチャーは力がありますね。我々もできるだけプレアップしたり参加するなどフィリピンの人に受け入れてもらう、そしてさらに日本語教育に関心を持ってもらえたらうれしいですね。

 

 

■日本への信頼感を

 

大切なのはトライセクター(Tri-sector)だと思うんですよ。大使は日本の顔などといわれますが、結局他の国の方は直接接した日本人を通じて日本を見ています。フィリピンとの現在の良好な関係は、フィリピンに来ている日本のトライセクターの方々の、長年の、真摯で、まじめで、日本的な努力があるからこそです。「ディスプリンから見れば日本に頼みたいんだ」という風に行ってくださるのは、そのような積み重ねで今の関係性を作り上げているということに間違いありません。

 

特に最近は日本に行くフィリピンの観光客の数が増え、昨年は62,3万の訪日数が発表されており、すでにコロナ前を超えています。昨年7月には単月で、タイを抜いてアセアンの中でフィリピンが訪日数ナンバーワンだったわけで、これは非常にうれしい現象です。

 

フィリピンの方に対しては未だ査証免除をしていないのですが、それにも関わらず日本にいってくださるのは非常にありがたいですね。

 

その関係性のもう一つの要素は、多くの一般の方が日本に行かれ、働き、フィリピンに送金したりしていることが、日本への理解の深まりに影響しているのではないかと思います。

 

 

■人材送り出し、育成モデルが今後の日本の重要事項

 

私がフィリピンに着任する際に最重要だったことの一つに、フィリピンの労働者の皆さんに日本に来ていただけるような、民間ベースのモデル作りがありました。非常に大きな関心をもって来たのですが、これが徐々に進み、「フィリピン人材の受け入れが王道だ」とおっしゃる日本の企業の方も、最近、多くフィリピンに来られてお目にかかるようになりました。これも非常にいいことだと考えています。

 

事前に、企業負担でトレーニングをし、日本語もある程度勉強する、これが実際の様々なカテゴリレベルで、様々なモデルができることが、日本の近、中長期的な将来にとって極めて重要であると私は思っています。

 

25年ほど前に南米課長をしていた際に、37万人の日系ブラジル人、ペルー人の方が日本で働いていました。今それがアジアから来ていただけるのです。

 

技能実習制度も今様々な答申がでており、根本的な制度改正案が今年後半には出るのではないかと期待しています。労働者の受け入れを前面に掲げ、労働者の保護、待遇を提供するという方向に今、来ています。
いろんな資源がありますが、やはり一番大切なのは人的資源です。その提供ができるもっとも有望な国の一つが、親日であり、日本への信頼感が強いフィリピンなのです。

 

フィリピンの方に限らず、海外から日本に来てもらうには、日本を行きたいと思うような社会にかえていくことが重要です。
日本には群馬県大泉町、静岡県浜松市など、20年前から海外からの労働者の受け入れに取組み、いろんなノウハウをもっている自治体があります。自治体によって関心、感度が違い、大きな差が出てきています。

 

 

■ガッツ、夢、情熱をもってチャレンジして欲しい

 

今の若い方はデフレ世代ともいえますね。
マクロ経済的には先日GDPの速報値が出ていましたが、0.4%の成長、消費が伸びていません。私の家内はインフレ世代ですから、ボーナス払いや月賦払いで買い物をします。でも、私の娘は現在42歳ですがお金を使わないですね、コンサバティブに。時代が異なるのだから仕方がないことではありますが、でも消費して欲しいし、関心を国内だけではなく、海外にも向けて欲しいですね。

 

我々の世代はまだ学生運動が下火になった最後の頃で、外にみんな出て行こうという状況でした。今の若い世代の話を聞いていると海外は面倒くさい、出ない、関心もない、そんな印象を受けますが、日本の外に出ていろいろとやろうという情熱、ガッツを持って欲しいと思います。

 

日本は国内だけで食べていける国ではありません。アメリカ、中国、インドなどとは違います。それらの国でさえ、外に出て成長してるわけで、日本人にも、もう一度そういう意味でガッツ、夢、情熱をもってチャレンジして欲しい。日本のGDPが世界で4番目に落ちてしまったという話がありますが、ああそうで終わるのではなく、もう一度巻き返すぞという気持ちを国全体の若い世代が持って欲しいなと思います。

 

それは役人も同じです。以前は「役人は間違ってはいけないし、言ったことは間違っていないといい張らないといけない」といった話がありました。でもそんな時代はとっくに過ぎています。
ニューヨークで広報センター長をやっていた時に9.11が起きました。ニューヨークに行って1カ月と2週間の時です。その時の経験でいまも活きているのは、持っている情報は出す、ただチェックする前なので正確かどうかはわからない、それでも出す、ということでした。もちろん難しいところはありますし、その時出した情報で怒られたりしたこともあります。
我々の危機管理はディスクロージャ―であって、確認できないから出さないということが後々問題になることが往々にしてあるんですね。

 

私も20歳まで外国に出たことがなかったのですが、外交官になりたいのに海外に出たことがないのはまずいなと、大学2年の時に休学をして横浜からバイカル号に乗りました。ですから最初に行った外国はソビエトユニオンです。77年のことです。マホトカからシベリア鉄道に乗った初めての旅はまだ強く印象に残っています。

 

半導体も日本が遅れてしまった、それはそれでいいのです。でも優れたところから学ぶのは非常にいい姿勢だと思います。いつまでも日本は先進国であるなどという上から目線の時代は、もやは終わっています。そこをきっちり認識してもう一回が威張って欲しいですね。

 

それは企業活動で言えば、中小企業から初めて世界的な企業になる、ぜひそこを目指していただきたいですね。
JICAの官房部長の時に中小企業海外展開事業スキームを導入しました。それから14年間で、1500~1600社の企業を紹介しています。その中でMITSUKOSHI BGCで黒ニンニク、桑の葉、それに低たんぱく米を紹介するイベントを行いました。このように国内だけでなく海外で頑張ってみようという中小企業の方が増えるといいなと、そしてグローバルな企業になるよう頑張って欲しいなと思っています。頑張らなきゃいかんと思います。

 

私が小学校の頃、給食にはアメリカから供与された脱脂粉乳が出ていました。バケツに温めた粉ミルクが入っていて柄杓で紙のコップについで出されていました。3年生から牛乳に変わった。まあ、いい時代に育ったなと思いますね。いけいけどんどんの世代です。そんな時期を知っている、だからこそ皆さんに頑張れと!申し上げたい。

 

盆踊り 第22回マニラ盆踊り大会(2月3日)

 

メディア懇話会での越川大使のコメント

 

私は2020年11月末にフィリピンに着任し、3年余り、そして3月5日に当地を離任することになりました。任期中、コロナ禍による活動の制限を受けた時期もありましたが、ドゥテルテ政権、マルコス政権下での日比関係が様々な分野で進展するのを大使として直接担当したり、他のセクターの活動を見ることができ、これほどの喜びはありません。

私の活動を支えてくださったフィリピン在住の日本人の皆さま、そしてフィリピンの皆さまに深く感謝申し上げます。

 

これからも日比関係は、安全保障、経済、人的交流、文化交流など、様々な分野において力強く発展していくことと確信しております。 また現下の厳しい国際環境の中で、みんなで協力してそのような方向にもって行かなければならないと考えています。

 

私は大使としての任期を終えて帰国いたしますが、日比関係の強力な応援団として、今後も両国の関係を見守って行ければと希望しております。 改めまして皆さまに感謝申し上げます。

 

Maraming Salamat! Mabuhay!

 

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