第5回 アニメの「ワンピース」がフィリピンで出来ている!?
キーパーソン:Toei Animation Phils., Inc 社長 祖谷悟さん
日本ではもちろん世界中で人気のアニメ「ワンピース」や「ドラゴンボール」。東映のアニメを20年間作ってきた祖谷さんに尋ねました。
●Toei Animation Phils., Inc
社長 祖谷悟さん
フィリピンでアウトソーシングと言えば、今ではコールセンターがすぐに思い浮かびますが、四半世紀前にこの地をアウトソーシング先として選び、これまでフィリピンとともに長年歩んできた日系企業があります。それが東映アニメーションフィリピン。今回は、この地に根を下ろして20年、同社事業の推進役を担ってきた祖谷悟社長に話を伺いました。
編集部:フィリピンでの赴任はどのくらいになりますか
祖谷さん:1986年に技術と業務供与の形態で東映アニメーションがフィリピン事業をスタートさせましたが、私が赴任したのは92年からなので数えて20年目、社長になって3年目です。
編集部:東映フィリピンの主な事業内容を教えてください
祖谷さん:日本の東映アニメーション本社で制作するほぼすべての作品に関わっており、アニメーションの線画、着色、背景などの工程のおよそ70%をフィリピンのこのスタジオで製作しています。かつてはセル画でしたが、最近はデジタル化により主にコンピューター上で作業を行っています。
編集部:御社が手掛けた作品のうちフィリピンで人気なのは
祖谷さん:現在なら「ワンピース」。過去に遡れば「ドラゴンボール」や「スラムダンク」があります。このうちドラゴンボールの人気は別格で、ちょっとほかとは比べられないほどです。ただ、それではフィリピンで人気が出る日本のアニメの傾向は、と聞かれると、今でもよく分からないんです。
編集部:必要な人手を常に確保しておくのに苦労はありますか
祖谷さん:当地にアニメ制作会社の数が少ないこともありますが、弊社の場合、ジョブホッピングはさほど多くなく、ほとんどの社員が長く勤続してくれています。そのため約160人いる正社員の中には30~40代の、業界内では「年寄り」と呼ばれる世代も多く、無理が効かなくなってきています(笑)。仕事量が増えたり、納期が短い時などは、フリーの人や外部の会社から馬力のある若者を外注として臨時に雇い入れ、人員を補充します。正社員もそうですが、外注の人には1日何枚というノルマを課して、その達成度に応じた賃金を支払います。そして基本は「その日に請け負った仕事を終わらせてから帰る」です。なお採用の基準は、やはり絵がうまいかどうかが大きな部分を占めます。
編集部:社内で特に気をつけていることは
祖谷さん:データセキュリティーです。アニメのほか、弊社が制作を手掛けるコンピューターゲームなどは権利関係がうるさく、データの外部流出に最も気を使います。そのため社員が使用する社内のコンピューターは一切、ネットにつながらないようにしていますし、USBやROMのスロットをはじめから取り外しています。それでも完璧とは言えないんですがね。
編集部:これからの事業展望についてお聞かせください
祖谷さん: 最近のアニメ制作は納期が極端に短く、『ワンピース』などは放送日の2~3日前にまだフィリピンで作業をしていることもあります。その上、さらなるクオリティーの向上を求められます。また、制作現場では3D(CG)化も徐々に進んでいますが、3D技術の当地への移行は容易ではなく、全面移行となれば、現状ではフィリピンの会社はやっていけなくなります。ただ私は2Dのアニメがこの先も残っていくと信じています。
編集部:フィリピンのオリジナルアニメの可能性は
祖谷さん:当地で操業するアニメ制作会社は、東映を含めてほとんどが外国の作品を扱っていますが、フィリピンオリジナルアニメの制作は技術的には問題なく、アニメを楽しむ市場もあります。ただし趣味のレベルでのアニメはあるのですが、商業ベースに乗せるには制作に必要なお金を集めるのが難しいという大きな課題があります。
編集部:プライベートな時間はどのように過ごしていますか
祖谷さん: 出不精で、家や近場にいることがほとんどです。当初は出回ることもありましたが、外国人だと見るとニヤッとされるのが嫌だったり、家族もいるので、最近はほとんどなくなりましたね。反面、フィリピン人は人当たりが良く、日本ではなかった隣近所との付き合いが生まれました。長期の休みには家族で都会を離れ、バタンガスの民宿に行ったりします。何もないところがおもしろいと感じるんです」
編集部:フィリピンで長年事業を手掛ける「先輩」として、進出を目指す日本企業に一言
祖谷さん:この国で一攫千金を狙うのは難しく、野心をギラギラさせない方がよいと思います。逆に言えば、そういうことをしには来て欲しくないです。日本にいるのと違う時間の流れを味わってもらいたいです。
編集部:当地の日本食に何かご意見を
祖谷さん:かつてはフィリピンにおいしい日本食が今ほどなく、日本に一時帰国した時、コンビニエンスストアのおにぎりを食べて泣いたこともあります(笑)。このごろはそういう感動がなくなって少しさびしい気もします。その一方で最近、近所にあるラーメン屋の味が落ちたと感じています。
編集部:ところで、英語力には自信がおありでしたか
祖谷さん:学生のころ、ほかの科目は良くできたのですが、英語だけまったく駄目でした。大学4年の時、1年の一般教養課程の英語が取れていなくて、教授のところに「泣き」に行ったことがあるくらいです。就職後も海外勤務など思いもよらなかったのですが、フィリピンから日本に研修に来ていた妻との出会いが、英語を学ぶモチベーションになりました。フィリピン人が単語を区切ってゆっくり話してくれることもありますが、外国人といると自然と話せるようになるものです。それでも話せるようになってきたのはフィリピンに来てから2~3年後。今でも自信はなく、最近、投資委員会(BOI)に呼ばれて出席した会議では、フィリピン人参加者が英語のみで話をする中、唯一、英語とタガログ語の入り混じったタグリッシュを話していることに自分で気が付いてちょっと恥ずかしかった思い出があります。英語能力は、子どもにももう抜かれるでしょう
編集部:お子さんが将来、アニメ会社への就職を希望したら
祖谷さん:やめた方が良いと言いますよ(笑)。ただ自分がやりたいことをやればいいと思っています。フィリピンか日本かの国籍の選択に関しても同じです。国籍がどうであれ、私の子どもであることに変わりはないんですから。
編集部:好きな言葉は
祖谷さん:1日の苦労はその日1日だけで十分である。
聖書にある言葉で、フィリピンの言葉「バハラナ」(何とかなる)にも通じます
編集部:最近読んだ書籍は
祖谷さん:「ソフィーの世界」:哲学の入門書としても知られるベストセラーになったノルウェーの哲学教師が書いたファンタジー小説 日本からの訪問者が置いていってくれた本で、これまでにもう何度も読んでいます。柔らかく書かれていて、自分を見つめる良い機会になり、アニメ化したいくらいです。
編集部:インタビューさせていただき誠にありがとうございました。