ボルテスV、フィリピンヒットの立役者
メディア、フードビジネスで日本を伝える架け橋に
TELESUCCESS PRODUCTIONS Chairman and CEO
Larry Chan(ラリー・チャン)さん
1947年マニラ生まれ。フィリピン語、英語に加え、中国語を話す。趣味は料理、読書、絵画収集など。
【好きな書籍】
「三国志」、「水滸伝」などの古典中国文学
日本を訪れた際、新宿の紀伊国屋書店などの大型書店を訪ねるのが大好きです。圧倒的な品揃えにいつも感激します。
大学卒業直後から起業、やがて立ち上げたメディア企業で日本のアニメ、「ボルテスV」の放映権を得てフィリピンに紹介し大ヒットさせた立役者。激動する政局に翻弄されながらも不屈の精神で立ち上がってきた。昨年は日本の人気ラーメン店と組み、マニラの有力商業地に出店。日比をつなぐビジネスで成功し、なお挑戦を続けるラリー・チャンさんに、お話をお聞きしました。
編集部
事業家としてのスタートを聞かせてください。
チャンさん
大学を卒業してすぐ、自動車販売会社を友人と起業しました。その数年後、また別の友人とメディア企業を設立しました。海外からテレビ番組やアニメなどの作品を買い付け、フィリピンのテレビ局から放送時間を買い、広告主にコマーシャル枠を売るというビジネスモデルです。
編集部
日本のアニメを扱うきっかけは?
チャンさん
自動車販売会社に携わっていた時代、三菱自動車を扱っていました。日本へ出張した際、テレビで日本のアニメを見てその素晴らしさに感心していました。初めて見たのは「マジンガーZ」だったと記憶しています。
編集部
どのように放映権取得の端緒をつかんだのでしょう?
チャンさん
メディアビジネスを始めてから、当時、日比経済委員会の要職に付いていた東急電鉄社長の五藤昇氏の秘書だった上岡條二氏と、親しい友人関係を築くことができました。彼に五島氏を紹介してもらい、日本のアニメをフィリピンで放送したいという思いを伝えたところ、日比の友好を深めるよいアイデアだと理解し てもらえたのです。そして東急電鉄を設立のルーツに持つ東映から「ボルテスV」や「マジンガーZ」「グレンダイザー」といった作品の放映権を買うことができました。上岡氏は今も私のベストフレンドで、兄弟のような存在です。彼と出会えたことは私の人生の中で最も素晴らしい出来事の一つです。
編集部
絶大な人気を博した「ボルテスV」はしかし、シリーズ途中で突然放送が中止となりました。
チャンさん
当時の不安定な政局の中、様々な理由から日本のアニメは全て放送を中止せざるを得なくなってしまったのです。けれど戒厳令下にあった状況の中で、我々になす術はありませんでした。その間、収入源を失いほとんど破産しかけ、新しいビジネスに取り組む決意をしました。
編集部
どんなビジネスだったのですか?
チャンさん
まだアジアでの販売網が整っていなかったアップルコンピューターの、フィリピンにおける販売会社を始めました。当時は米国のシリコンバレーに行って、スティーブ・ジョブス氏やビル・ゲイツ氏にも会いました。でも考えてみて下さい。この時のアップルにはiPhoneもiPodもMacBookもなかったのです。ホームコンピューターの草創期で、当時非常に高価だったアップルの商品を扱うこのビジネスは、決して簡単なものではなかった。アップルと聞いて皆さんが想像するような華やかなものではありませんでしたよ(笑)。私にとって非常に困難な時代でしたが、一方でこの間、何も持っていなかった私を真実の愛で支えてくれた最愛の妻と結婚し、後に3人の子供に恵まれました。
編集部
やがてマルコス政権が終わります。
チャンさん
私は再びメディアビジネスに戻ることができましたが、それには相応の時間と労力を要しました。それでも新政府は「ボルテスV」をはじめとする作品を文化とみなし、放送中止からおよそ9年の時を経て、改めて国民の皆さんに見ていただけるようになりました。この時は何かを成し遂げたという達成感と感謝の気持ちで一杯でした。
編集部
「ボルテスV」の続きが見たくて革命が起こった、なんて冗談も聞きます。
チャンさん
当然ながらそれは単なるジョークですね。真のヒーローは民主化を求めた国民自身です。ただ9年後に改めて放送されたとき、この作品は再び視聴率ナンバー1を記録しました。それほど人々は待ち焦がれていたのでしょう。私に言えることはそれだけです。
編集部
フィリピンの人たちが皆「ボルテスV」の主題歌を歌えるのには驚きました。
チャンさん
もちろん!誰だって歌えますよ(笑)。私たちは英語版もタガログ語版もつくりました。こんな話があります。ボルテスVの再放送を知ったある父親が、その日は早く帰宅して子供たちとテレビを見たというんです。放送が始まって父親がテーマソングを歌いだしたら子どもたちがびっくりして「パパなんで歌えるの?」って。「当たり前だよ。ママを呼んできてごらん」と言って皆で集まり、家族全員で歌ったそう。この父親いわく「初めて子供たちとの絆を強く感じた瞬間だった」といいます。少々大げさですが、それくらい幅広く愛されていた作品だったのです。
編集部
他にも「スラムダンク」や「幽遊白書」「花より男子」など様々な作品を紹介してきました。これまで扱った中で最も好きな作品は何でしょう?
チャンさん
その質問にはやはりいつも「ボルテスV」と答えています。最も頭を悩ませた作品であると同時に最も人々に愛された、私にとってとてもセンチメンタルな作品です。
編集部
アニメ以外ではどのような作品を手掛けてきたのでしょうか?
チャンさん
日本映画では最初に「座頭一」を扱いました。主演の勝新太郎さんとは親しくさせてもらい、日本に行くたびに食事やお酒に誘って頂いたり、銀座を案内してもらったりと、本当によくしてもらいました。
編集部
フィリピンで人気の韓国ドラマも手掛けていますね。
チャンさん
韓国ドラマの人気の理由の一つは、物語が長編だということです。一度人気が出れば、視聴者は長く楽しみたいし、テレビ局もその人気を持続したい。日本のドラマは作品の質は良いのですが比較的短いシリーズばかりです。その点で韓国ドラマほど強くない。加えて、韓国は政府自体が自国の芸能産業を世界へ 発信することに極めて積極的です。ロケ地へ旅行者を誘致できるなど、観光業にも寄与するからです。我々のような企業を世界中から招いています。
編集部
昨年はオルティガスのメガモールにラーメン店「吉虎」をオープンさせ、新たにフードビジネスにも参入しました。
チャンさん
このビジネスは私の息子のアイデアです。日本食、とりわけラーメンは本当に素晴らしい。ただそれだけに競合も多く、アニメを持ってくるよりはるかに難しいかもしれません。幸いなことに私たちは非常に信頼できる日本人、田中さんをパートナーに持つことができました。当の私はと言えば、もっと若ければ昔の様に全開 で動くのですが(笑)。今は事業の中心になっている息子のサポートにあたっているというところでしょうか。
編集部
間もなくマカティのグロリエッタ5に新店がオープンしますね。
チャンさん
約120席の大規模店になります。ラーメンだけでなく、他の日本食もお客様にご提供したいと思っています。東京から招いた私たちのエグゼクティブシェフ、盛島博志氏と、神田幸太朗氏はともに“鉄人シェフ“ともいうべき素晴らしい料理人です。そして、将来的にはインドネシア、マレーシア、中東などへもパートナ ーとともに吉虎ブランドを広めたい。我々はラーメンが日本人のソウルフードであることをよく理解しています。最高の食材と最高のシェフによる、皆さんを決してがっかりさせない“Best of Japanese Ramen”を広めていくつもりです。