地元銀行とタッグ組みフィリピン全土に積極進出
熱意、思い切り、フットワーク
ORIX METRO Leasing and Finance Corporation Director
佐藤 文彦さん
1963年、米国イリノイ州生まれ。早稲田大学法学部卒業後、1987年オリックス入社。その後も米国ワシントン大学、早大大学院、ハーバード・ビジネス・スクールAMPで学ぶ。子供たちの教育方針から、家族はクアラルンプールに在住。
「家族とはその時のタイミングで東京、マニラ、KLのいずれかで落ち合う感じです」
【好きな言葉】 「喫茶去(きっさこ)」
禅の言葉。「お茶でも召し上がれ」との意。ドバイ駐在時代に、どんな時でも「なにはともあれコーヒーでも飲みましょうか」という現地の人の余裕に、この言葉に通ずるものを感じました。
【好きな書籍】 「やりたいことは全部やれ!」(大前研一著)
タイトルそのままで、やりたいと思ったことは先延ばしにしないですぐやれ、ということです。
フィリピン全土に支店を展開し、リース、ファイナンスを中心としたビジネスを展開するオリックス。地元金融グループとの強固な連携を強みに、攻めの姿勢でエネルギーや不動産など幅広い分野の事業にも進出している。グループを統括するORIX METRO Leasing and Finance Corporationのディレクター、佐藤文彦さんにお話をお聞きしました。
編集部
現在、オリックスがフィリピンで取り組んでいる事業を教えて下さい。
佐藤さん
主な柱が、法人様へのリース、ファイナンス。 建設、輸送、製造分野の機械が中心です。次に発電事業。大手商銀メトロバンクとの合弁会社で再生可能エネルギー、省エネルギーにも取り組んでいます。そして、不動産事業。同じくメトロバンク傘下の不動産会社フェデラル・ランドとの共同事業です。マカティのコンドミニアム「ミドリ」は完売し、フォートボニファシオでは、高級ホテル「グランド・ハイアット・マニラ」、コンドミニアム、オフィス、商業施設を建設中です。フィリピン最高層の建造物になる予定で、高価格帯ながらコンドの販売も好調です。
編集部
佐藤さんのこれまでのご経歴は?
佐藤さん
1987年にオリックス入社後、国内営業、米国留学、オリックスUSAを経て、海外現地法人を一括担当する国際部(旧称)で勤務しました。この時、1997年に新規法人としてオリックス・エジプトの立ち上げに関わった事が、振り返れば自分のターニングポイントでした。海外の極めて優秀な人たちと一緒に仕事をして、「自分はこのままではだめだ」と痛感しまして。思い切って会社を辞めて、大学院で国際経営学を学び直す事にしたんです。手続きを踏んで休職制度という手もありましたが、当時の私は今すぐにでも、という焦りにも似た気持ちがあったものですから、退社を決意して大学院へ行きました。
編集部
ということはオリックスには再入社された形?
佐藤さん
そうなんです。 早稲田の大学院を卒業する時、オリックスの当時の国際本部長とお話する機会があり、「今こそ海外でマネジメントをやってみたい」という強い思いを聞いていただきました。そして改めて古巣に戻ったという訳です。
編集部
ご自身の熱意もさることながら、会社の体制も柔軟なのですね。
佐藤さん
当時としては初めてで、出戻り社員第一号なんて言われました(笑)。ただ、基本的にオリックスには柔軟なDNAが根付いていると思います。事業に対しても同様。多様なビジネスを手掛ける中で、面白いアイデアは挑戦させてくれる。明確な理由さえあれば「だめ」とは決して言われません。ですからうちの社員はいつも何か新しいアイデアを探しています。
編集部
2001年、マニラに赴任されました(現在は2度目)。その時はどの様な業務を?
佐藤さん
丁度、それまでの合弁相手がメトロバンクに買収され、新たな関係構築に携わりました。当時フィリピンは国自体が疲弊していて、うちの会社も元気がなかった。社員もOFWにでもなった方がいいんじゃないか、といった雰囲気。そんな状況を打開しようと模索した結果、国内各地にもっと支店を増やそうと。支店長ポストが増えればモチベーションも上がりますしね。ただ、当時はメトロマニラに6支店があるだけ。また、一口に地方展開といっても、スタッフはいないし、土地ごとに言葉も違うし、本社が管理できるのかという不安があった。それを払拭したのがメトロバンクとの提携でした。
編集部
どの様な関係を構築したのですか?
佐藤さん
メトロバンクは既に全国に支店網を確立していました。彼らと喧々諤々やって、商圏の選定という重要な部分を補完してもらえたんです。進出したらマーケットがなかった、というリスクを避ける事が出来た。人材についても、メトロバンクへの応募者で“入社待ち”になっている人を紹介してもらえた。銀行業務と我々のファイナンス業務は共通部分が多く、元々ふるいにかけられた人材から絞り込んで採用するので非常に効率がよかった。もちろん、実際にはあれこれお願いしても、メトロバンクの社員も多忙ですから、簡単にはいきません。そこで当時の頭取に人事制度を見直してもらい、オリックスをサポートしたらインセンティブやボーナスに反映できる仕組みにしてもらいました。メトロバンクにとっても、例えば彼らが扱えないトラックファイナンスをオリックスに紹介する事で、お客様のニーズに応えられる、というメリットを享受してもらうことができました。
編集部
現在オリックスが東南アジア諸国で展開する支店数としては、フィリピンが突出しています。この手法が奏功した?
佐藤さん
そういっていいと思います。Win-Winの関係を築き、急拡大によるリスクを抑えながら徐々に支店を増やしました。現在は63支店で、9月には70支店までにしたいと思っています。首都圏は過当競争が続いていますが、地方は安定して適正な利益を出せます。今では利益の約8割を地方が占めます。
編集部
地方へも自ら足を運ぶのでしょうか。
佐藤さん
支店開設の際には出向くようにしています。また、昨年の台風ヨランダの後は、私も現地へ入りました。スタッフと被災されたお客様を訪ね歩き、支払い猶予や追加融資などの要望を聞いて、基本的に全て応えました。こういった非常時に苦労をともにしたお客様は口コミを生んでくれます。「オリックスはすぐ現場に来たぞ」と。それを聞いた人からまた新たなビジネスが生まれたりするんですね。
編集部
トップ自ら、フットワークが軽いの ですね。
佐藤さん
思ったら割とすぐ行動するタイプです。2011年3月の東日本大震災のときは東京勤務でしたが、4月に宮城・石巻の被災地に入りました。自分にしかできないことをと思い、テント生活をしながら海外からの支援団体の通訳にあたりました。急遽休みをとって10日間現地入りしたので周囲は驚いていましたが、利益一辺倒ではなく、社会との関わりの中での仕事、という考え方を実感でき、本当に行って良かったと思っています。社会との関わりという事では、以前、ADB(アジア開発銀行)のチャリティーコンサートでバンド演奏をしたり、日本語のローカルテレビで経済番組を隔週で担当したりもしました。先月はピアニストの妹をマニラへ呼んでコンサートを開きました。ドバイ、マレーシアでも行なったのですが、いつも温かい交流関係が生まれるので、今後も続けていきたいと思っています。
編集部
今後はどの様な事業に取り組む予定でしょうか?
佐藤さん
より積極的に新事業を開拓したいですね。例えば自動車のオペレーティング・リース。単なる自動車ファイナンスではなく、メンテナンスを付随させた長期型レンタカーのイメージです。フィリピンの本当の意味でのモータリゼーションはこれからです。国際会計基準上、財務諸表にのせなくてよいオフバランス処理が可能で、いわゆる多国籍企業にとってメリットがあり、まとまった需要も期待できると思います。また、エネルギー関連や物流にも可能性があると思っており、フィリピンの市場にはまだまだ伸びしろが多いと思います。