フィリピンのBPO業界を牽引し、
グローバルな舞台で成長を続ける
【プロフィール】
DTSI GROUP
取締役バイスプレジデント 伊藤新吾さん
1974年生まれ、岐阜県出身。99年NTTに入社。海外のプロダクト営業、法務などを経て2013年より現職。
座右の銘 "Do not neglect to show hospitality to strangers, for thereby some have entertained angels unawares.”
「俺たちは天使じゃない(We’re No Angles)」という映画に出てくる台詞で、聖書の言葉です。もしかしたら天使をもてなしているかもしれないから初対面の人にも丁寧に接しなさい、というような意味と理解しています。年齢とともに人を見る目が養われてくると思い込みがちですが、初対面の方と接するときには常にこの言葉を念頭に置いています。
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今やフィリピンを代表する産業に発展したBPO業界。その成長を影で支えてきたのがDTSI (Diversified Technologies Solution International) GROUPです。いまではNTTコミュニケーションズの子会社としてさらに発展を続ける同社。そこで活躍する伊藤新吾さんの物語もとても興味深いものでした。
編集部● まずは就職までの経緯についてお聞かせください
伊藤さん● 高校、大学時代は外交官や国連機関で働く国際公務員になりたいと思っていました。大学3年終了時に休学し、外務省の在外公館派遣員制度を利用してジンバブエで2年間、大使館員として勤務しました。出張者のアテンド、運転手の管理、大使公邸の修繕、会計の補佐、さらに日本食の買い出しなど、何でもやりましたが、現地で商社の方々などとお付き合いするにつれどうも公務員が性に合っていないのではないかと思うようになりました(笑)
帰国直後に大学4年生として就職活動するにあたり、グローバルかつ広く公益に資するような仕事をしたいという思いがありました。そんな時にNTTのリクルーターと気が合い、トントン拍子で就職が決まりました。通信業界ではかつて国内はNTT、海外はKDDという区分けがあり、NTTは97年に初めて子会社を通じて海外での通信事業を行うことが認められたばかりでした。リクルーターからは海外事業を始めたばかりだがやれる人がまだ少ない。だからキミ、いいね!という具合に口説かれました。まだジンバブエに荷物も残していたので早く取りに帰る必要もあり、お世話になりますとさっさと決めた感じでした(笑)
編集部● NTTからDTSI GROUPに出向されるまでの経緯は?
伊藤さん● 入社から最初の6年間はグローバル通信サービスの営業をやっていました。入社したときの最初のチームが面白く、日本人の課長以外は全員外国人。チームリーダーがスコットランド人、私と同じ担当者がモロッコ人とマレーシア人でした。当時のNTT社内ではハッキリ言って浮いていたと思います(笑)
その後なぜか法務部に異動となり、主にクロスボーダーのM&Aやグローバル案件の契約交渉などの実務を3年半ほど経験しました。法務部からはほぼ一年おきに社員がアメリカのロースクールに留学しており私自身も異動当初は多少興味があったのですが、法務を自分の今後のキャリアにするのは何かちょっと違うなと。法務は会社を守る大事な仕事ですが、ビジネスを自らがドライブするほうが性分に合っていると感じました。もし留学できるのならむしろMBAを選びたいと思い始め、手を挙げたら運良くアメリカ留学できることになりました。MBA取得後は、外資系投資銀行をクライアントとしたアジア全体での営業を経て、NTTコミュニケーションズが前年に50.1%の株式を取得したDTSIに2013年に初代の出向者として参りました。
編集部● フィリピンのBPO産業を興した5人衆がいるとお聞きましたが
伊藤さん● DSTIのCEOであるミゲル・ガルシアがこの会社を興したのが97年、26歳の時です。彼が30歳になった頃、まだフィリピンのBPO産業がほとんど影も形もなかった2000年くらいから、他のフィリピン人4人とアメリカ各地のBPO事業者を回ってフィリピンの魅力をアピールしたのです。当時、BPOの中でもコールセンター事業はインドが世界の中心でしたが、彼らはこの事業はフィリピンでもっと成功するはずだと信じていたのです。アメリカ人にとってフィリピン人の英語はより自然に聞こえ、普段からアメリカ文化に触れているためにアメリカについての暗黙知もある。また何と言ってもホスピタリティに溢れるフィリピン人がカスタマーサポート業務について性格的に向いている。さらにインドよりも時差が小さい。そうしたフィリピンの魅力をアメリカのコールセンター事業者に訴えたのです。当時はまだフィリピン政府もこの産業に注目しておらず、政府の援助なしに5人衆が起業家精神を発揮してアメリカからBPO事業者を連れてきた。それがこの国のBPO業界が形作られる最初のきっかけとなりました。彼らが作った組織が現在のIBPAP(フィリピンBPO協会)の前身であるフィリピンコンタクトセンター連盟です。ミゲルは長年IBPAPの理事を務めており、今では100万人以上を雇用するに至ったBPO業界全体の発展に今でもコミットしています。DTSIがNTTコミュニケーションズの子会社となってからは、日系企業を含めたBPO以外のお客様にもDTSIが得意とするITインフラの構築・運用やフィットアウト(内装)等のサービスを提供させていただいております。
編集部● 今の話は有名な話ですか?
伊藤さん● この業界に長く関わっている人はよく知っていると思います。ミゲル・ガルシアという人物はフィリピンのBPO業界のマネジメント層では知らない人はいないですね。
今でもミゲル自身やDTSIの幹部がアメリカなどの海外市場にロードショーに出ており、コンタクトセンターを含むBPOに関連するカンファレンスや展示会などにブースを出してBPO事業の展開先としてのフィリピンの魅力やDTSI社が進出をサポートできることを説明しています。
編集部● 時代や経済環境が変化する中で、DTSI GROUPに求められてきた役割は?
伊藤さん● まず会社の歴史的な経緯を説明しますと、97年の創業当初はオフィス内で様々な配線をするケーブリング会社でした。その後ケーブリングだけではなく、IT機器やソフトウェアを売るようになり、さらにITソリューションを提供するようになっていきました。次第にコールセンターを中心としたBPO向けのITソリューションを提供するということがこの会社の中核事業になっていき、BPO業界の成長とともに会社も大きくなっていきました。さらにITだけではなく、フィットアウト(内装)も自社にて直接手がけるようになりました。そうするとBPO事業者が、特にアメリカ系のお客様が多いのですが、海外から何百席、何千席という拠点を開設するためにフィリピンに来られた時に、DTSIはITとフィットアウトをまとめて引き受けることで他社と差別化することができました。また、2007年頃からはITインフラもフィットアウトも全てまとめてリース化することでCAPEXをOPEXに置き換えるサービスを開始したところ、これが大ヒットしました。
編集部● 今後の会社の展望や課題は?
伊藤さん● 現在もBPO、なかでもコンタクトセンター向けのITインフラ構築と内装はDTSIが最も得意とするところではありますが、今後はもっと広範囲なお客様に向けてサービスを提供していけるように会社全体を変えつつある状況です。フィリピン国内の最大のセクターの一つであるBPO産業は今でも年15~20パーセントの成長を遂げていますが、BPO以外のサービス業や製造業にも成長しているセクターがあります。DTSIは元々ITインフラの構築や内装が得意な会社なので、これをうまく活かして別の成長セクターに対してもプロダクトやサービスを開発しているところです。
また、NTTコミュニケーションズとしては2009年にNTTコミュニケーションズフィリピンという現地法人を設立して日系企業とのお付き合いさせていただいていました。2013年にこの日系企業向けのシステムインテグレーション事業はDTSIに移管しております。DTSIがもともと得意なことをうまく活用しながら、日系企業にもよりよいサービスを提供していきたいと思っています。
編集部● 他のASEAN諸国に比べてフィリピンのどこにポテンシャルを感じますか?
伊藤さん● 英語力が高く、ホスピタリティに溢れ、コミュニケーション能力が高い。またそういったことを活かしてマネジメントする能力が高い人も多い。他のアジア諸国と比較して際立った強みだと思います。人が介在することで価値が生まれる領域についてはフィリピン人の能力はずば抜けて高いと思います。BPO、船員、海外の建築や医療の現場で活躍している人が多いのもその具体例だと思います。
編集部● プライベートな時間はどのように過ごされていますか?
伊藤さん● 月に何度かはゴルフをする以外は、長男が昨年からサッカーを始めたので練習や試合をよく観に行っています。私もサッカー少年だったので昔の自分を重ねてしまいますね。マニラロックスターズの一員としてソフトボール(と飲み会)をするのも楽しみです。
また、本を読むのも好きです。ビジネス・経済書や、現代小説、それから宇宙モノをよく読みます。村山斉さんの宇宙本はわかりやすい言葉で説明されていて素人にもとても面白いです。昨年読んだ「なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか」という本はフィリピンを含めた国がなぜ歴史的に貧しい状態におかれてきたかを考えるうえで参考になりました。
それから、食べるのも大好きで特に好物のカレーについては先日「マニラ咖喱(カレー)部」という部活動を立ち上げました。部員も徐々に集まり、ほぼ毎日のように自主練の様子がFacebookにアップされています。Facebookをやっていない方も含めて絶賛部員募集中です。
編集部● 心に残っている言葉は?
伊藤さん● つい先月、ある人生の先達にいただいたのが、「誰かに反対されるのはよいことです。凧は風と同じ方向に流されて舞い上がるのではなく、向かい風によって舞い上がるものなのだから。」というメッセージでした。勝手に「逆風舞凧」と字を当てて心に留めています。
編集部● 今後の展望や夢についてお聞かせください
伊藤さん● 岐阜の片田舎で育ったのですが、中学入学直後から母親の友人の大学講師から英会話の個人レッスンを受けていたためか海外に対する強い意識がありました。日本人や日本の企業が世界でもっと活躍するようになったらいいなという思いが歳を重ねるにつれてより一層強くなっています。自分自身の展望としては、海外の出資先といったアウェーな環境でも経営ができるようもっと経験を積みたいと思っています。「逆風舞凧」はそんな私に海外での経営経験豊富な方が贈って下さった言葉です。
フィリピンは日本企業のグローバル化に大きく寄与できる国だと思います。フィリピン人の高い英語力を活かしてカスターサポートをするもよし、社員の英語教育に活用するもよし。東京オリンピックに向けてこのような活用はさらに増えるのではないでしょうか。また単に英語力だけではなく、実際にマネージャーとして質の高いフィリピン人も多いですから彼らに海外子会社をマネージメントしてもらうのもいいと思います。そうした関わりを通じて日本とフィリピンが共に発展できたらと思います。あと、先日ゴルフで同伴していただいた方に恵まれて初めて100を切りましたので、せめてもう一回100を切りたいですね(笑)