フィリピンの皆さんのQOL向上のために、
安全で快適な移動手段の提供に邁進。
トヨタ自動車フィリピン社長
岡本 淳宏 氏
自動車市場において、フィリピンでも圧倒的なシェアを誇るトヨタ自動車フィリピン。同社社長の岡本淳宏氏は、2020年1月2日に来比、タール火山噴火、コロナ禍と大変な時期を乗り越え、 新たなモビリティの可能性に果敢に挑戦中だという。その取組などについて伺った。(Primerマガジン1月号に、抜粋版掲載!)
編集部
これまでのご経歴を教えてください。
岡本氏
トヨタ自動車入社後、16年間国内営業に携わりました。需給管理、商品企画、販売促進、ディーラーさんの経営・収益管理をお手伝するのが主な仕事でした。トヨタの国内営業のよいところは現場のすぐ近くで仕事ができることですね。私にとっての基盤である『現場第一主義』はほぼこの16年間で培われたように思います。その後、日本国内のレクサス立ち上げに携わったあと、海外レクサスの営業に異動になりました。アメリカ、ヨーロッパ、アジアなどに出張する中で、アジアは一番活気があり、将来のポテンシャルも高く、なによりイキイキしている。大きな魅力を感じました。ですから、トヨタモーター・アジアパシフィック(シンガポール)に赴任しアジアを本拠地に仕事ができるのはうれしかったですね。
編集部
ビジネスパーソンとして活躍する中で印象に残っていることを教えてください。
岡本氏
2005年に日本のレクサスブランド立ち上げに携わったことですね。
トヨタは当時も40%以上の高いシェアを確保していたのですが、トヨタブランドではカバーできないお客様がいたことも事実課題としてございました。メルセデス、BMW、アウディなどにトヨタからお客様が流出していたのです。そうしたトヨタブランドでは届かないお客様を獲得するために国内にレクサスブランドを導入することになりました。従来のトヨタブランドとは全く異なる高級車ブランドの構築...これは非常に大きなチャレンジでした。
レクサスはアメリカで生まれたブランドです。1989年にレクサスブランドがローンチされた際にLSのボンネットの上にワイングラスを並べてエンジンをかけてもワイングラスが崩れないという静粛性を訴求する広告が話題となりました。またレクサスディーラーはCS(Customer Satisfaction)ナンバー1を目標に掲げ、お客様へのおもてなしのレベルを徹底的に引き上げました。商品の品質とお客様対応の両方での取り組みが評価されたことによりレクサスはアメリカで大成功を納めることができました。 日本におけるレクサスブランド導入は、トヨタブランドとどう差別化するかが最大のチャレンジでした。商品の品質もディーラーにおけるお客様対応レベルも当時の日本のトヨタは既に高いレベルに達していたので、トヨタや競合ブランドと比較してではなく、絶対的に最高の商品と最高のおもてなしを実現すること、それが国内レクサスブランド導入のミッションでした。
その実現に向けてこれまでのトヨタのやり方とは違った取り組みをすることもあり、従来のトヨタを否定しているように見えたんでしょうね、トヨタ社内でも不協和音を起こすことが多かったです(笑)。一つの会社の中で、新たにブランドを立ち上げるということは、私自身もそれまでの会社生活で培った既成概念を捨てて、将来に向けた新たなチャレンジのために考え方をリセットすることが求められ、これは大変貴重な経験になりました。
編集部
シンガポールからフィリピンにいらしたのですね。
岡本氏
2020年1月2日に来比、10日後の12日にはタール火山噴火が起きました。その日の午前中、たまたまタール火山にほど近いカンルーバンでゴルフをし、マカティに戻ったあとの噴火でした。この噴火による火山灰で弊社のサンタロサにある工場が甚大な被害を受けました。サンタロサ工場は在庫ヤードも兼ねており、輸入車も含め多数の在庫車が置かれていました。車のボディーは、火山灰を丁寧に拭き取れば除去できますが、メッキされたドアハンドルなどは、その後降った雨で変質しパーツの取り換えが必要になってしまったのです。
社内で即、緊急対策委員会を設置し対応、幸い皆、作業を的確に行い手を打ってくれて、人の安全などは確保できました。ただ在庫車の修復だけは被害規模が大きく、コロナによるロックダウンが始まった3月中旬にもまだ作業が完了しないという状況でした。その頃「タール火山の噴火のあとのロックダウンとは、もっていないなあ、岡本」とよく言われましたね(笑)
編集部
フィリピンの印象はいかがでしょうか。
岡本氏
フィリピンの人々はオープンで人柄が温かいですね。ロックダウンの中にあっても人に対する親切心を忘れない、非常によい国だという印象です。アセアン諸国の中でもインドネシア、ベトナム、フィリピンは人口ボーナスが続きますし、特にフィリピンは平均年齢も若い。成長が持続するのは間違いないと思います。また、新政権も基本、前政権の方針を継続していくということで、これまで培った日本との良好な関係が継続すると思います。ただ自動車に関わる税制についてはいくつか変更の可能性が言われており、この点は注視していかなくてはならないと思っています。
編集部
来比早々、SNSで注目されていましたね。
岡本氏
はい、マニラ近郊で公共交通機関に乗ったことを広報を通じて投稿したところフィリピンだけでなく日本でも大きな反響で驚きました(笑)。
シンガポールにいた最後の2年間くらい、テクノロジーを使ってより安全・便利なサービスを行うモビリティの企画を担当していました。モビリティの可能性を実現する設計図は描いていたのですが、ではフィリピンでこれをどう展開するか。それを現地現物で確認するために、「フィリピンの公共交通機関をまず利用してください」と社員に勧められ乗ってみることにしたのです。みんな面白がって「トヨタの社長でジプニーに乗ったのはあなたが初めてだ」と(笑)。
最初は鉄道です。朝八時半、MRTのクバオ駅の入口には長蛇の列で、何台も見送ったあと乗りこんだ車内は途轍もなく混んでおり、一度降りてしまったらもう電車に戻れないような状態で、フィリピンは鉄道やバスなどの大量輸送手段が圧倒的に不足しているのを目の当たりにしました。その日の夕方、今度はマカティからトンド地区まで行こうと、長い列に並んでUVエクスプレスに乗り、トライシクルにも乗り換えました。ステーションの周囲にはトライシクルが待っていてすぐに移動でき、フィリピンでは意外にもシームレスなモビリティサービスが存在していることもわかりました。
今弊社でサービスを開始しているシャトルサービスは、通信可能なデータコミュニケーションモジュールを車体に組み込み収集したビッグデータのアルゴリズムに基づいて、アプリケーションを使って乗りたいところで乗って降りたいところで降りるという、ドアtoドアのサービスです。このサービスを利用することで、長蛇の列で待つこともなくなり、フィリピンの人が苦労している長時間の通勤時間の解消につなげることができます。
編集部
今年の市場と今後の活動を教えてください。
岡本氏
フィリピンの自動車市場は、19年を基準に考えると22年は85%回復にとどまる予測です。その中にあってトヨタ車は、新規車種の導入もあって、ほぼ19年の水準以上にまで回復しました。現在は供給が需要に追いついていない状態ですが、来年には自動車市場全体においても19年を上回ると思われます。
そして、我々の究極のゴールは、フィリピンの皆さんの生活のクオリティーを向上するために、安全で快適な移動手段をご提供することです。そのために、ハードウェアである車も進化させ、これまでにないテクノロジーを用いたサービスも提供し、またレンタカーやシャトルバスのように車を保有する以外のサービスもさらに展開していきます。
そして今後力を入れていきたいのはMSME(Micro, Small & Medium Enterprises)=中小企業・個人事業主を対象としたサービスです。これまでのトヨタでは手が届かなかったお客様に対して、ファイナンスの他にも商用車を使って事業を活性化するサービスを、本年子会社として立ち上げたトヨタモビリティソリューションフィリピン(TMSPH)が中心になって進めています。そのために本年新たに小型トラック・ライトエースも導入しました。
フィリピンの公共交通機関の不足、環境問題を踏まえたエコカーのニーズなど、トヨタがフィリピンに貢献できることは、非常に多いと考えています。
編集部
スポーツは何をやってこられましたか?
岡本氏
大学に入る前はサッカー、剣道をやってました。大学では、以前から興味のあったラグビーを始めました。子供の頃からラグビーファンで、社会人ラグビーでは新日鐵釜石、大学ラグビーでは同志社大学のファンでした。自分でラグビーをやろうと思ったのは、高校時代に流行ったTV番組の「スクール☆ウォーズ」(大映テレビ制作・TBS系,1984〜)の影響があったかもしれませんね(笑)。サークルでの活動ではありましたが、社会人になってからも何年かトヨタのクラブチームでもラグビーを続けました。そのころに比べると今の日本のラグビーは非常に強くなって世界の強豪と肩を並べるところまできた。私がラグビーを現役でやっていた当時から考えると隔世の感がありますね。
(取材:2022年11月9日)
プロフィール
【座右の銘】
現場第一主義。好きな言葉は Where there is a will, there is a way