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ビジネス烈伝 ローソンフィリピン LAWSON PHILIPPINES INC 社長 妹尾 正明氏

めざすは“普通”のコンビニエンスストア
再現性あるビジネス展開で邁進!

 

ローソンフィリピン LAWSON PHILIPPINES INC
社長
妹尾 正明氏

 

 

 

ローソンフィリピンが猛進中だ。パンデミックの小康状態を脱し、2022年末には店舗数も3桁の大台に乗せた。日本のコンビニエンスストアが相次いで撤退、縮小するなかで、ローソンフィリピンはフィリピンでどのようなビジネス展開を目指しているのか? 妹尾正明社長に伺った。

 

 

編集部

 

都市部を中心に急激にローソンの店舗が増えている印象です。現在どのくらいの店舗数で、どのような展開をされてきましたか。

 

妹尾氏

 

2022年12月28日にフィリピン国内で100店舗になりました。
ローソンフィリピンのこれまでの展開は4つのフェーズに分けることができます。2015年にピュアゴールドローソン(PG Lawson・ピュアゴールド 社との合弁会社)の1号店をオープンし店舗展開を始めた第一フェーズ、ピュアゴールド社のポートフォリオの変更で同社の保有株をローソンが買取って100%出資会社となり、またアヤラグループとの提携を発表した第二フェーズ、第三フェーズにはロックダウンが始まり、かつアヤラグループ企業によるフランチャイズ1号店、一般オーナーによるフランチャイズ1号店がオープンした時期、そしてコロナ禍があけたと考える昨年末からの、“新生ローソン“が第四フェーズです。
フィリピン国内ではセブンイレブンが圧倒的な店舗数を持っています。ミニストップ、ファミリーマートの日系コンビニエンスストアが店舗数を縮小する中で弊社が目標達成できたのは、ローソンジャパンの経営陣のフィリピンへの熱い思いが原動力になっているに他なりません。
しかしまだ成功とはいえません。今、ローカル社員を含めて全員に言っているのは、100店舗は達成した、でも、我々はまだ成功はしていないということです。

 

 

編集部

 

成功とはなんでしょうか。

 

妹尾氏

 

どこの会社でもそうだと思いますが、成功とは黒字になること、しかも再現性のある黒字になることです。2年以上連続して再現性のある黒字を達成して初めて成功と言えます。
「ブルーロック」(金城 宗幸 原著、ノ村 優介著、講談社コミックス、2018年)というサッカー漫画をご存じでしょうか。日本各地から招集されたFW選手300名が日本代表となる権利をかけて試合を重ねていくストーリーなのですが、この中で語られている印象的な事例があります。たまたまシュートを決めたりスーパーゴールを決める選手はたくさんいます。でもそれと本当に優秀な選手の違いは、自分自身で成功のパターンを習得し、再現性のあるプレーができるか、再現性の有無の違いだというのです。ビジネスもこれと同じです。再現性のある勝ちパターンを構築しそれをフォーマット化して持続性のあるものにしていくこと、それが会社の成功につながるのだと考えています。

 

 

編集部

 

フィリピンには2019年8月の着任とおききしましたが、印象はいかがでしたか。

 

妹尾氏

 

フィリピンに着任する前はローソンハワイの社長をしていましたが、従業員はほぼフィリピン人の一世、二世の方でした。ですので、アメリカから同じ英語圏のイギリスに行くくらいのイメージで、私にとってはフィリピンはなんら違和感を感じない国でした。
ただフィリピンに来てすぐにパンデミックになりました。考えてみれば、ローソンジャパンの商品部長になったばかりの2009年に鳥インフルエンザ、2011年の東北大震災とこの時期に直接影響をうける業務を担当してきました。それも切り抜けてきましたし、もうコロナ禍はほぼ終息、これから全力で巻き返していきます。

 

 

編集部

 

ローソンフィリピンの目指すのはどのようなコンビニエンスストアでしょうか。

 

妹尾氏

 

普通のコンビニ、いいかえればバランス型のコンビニです。コンビニエンスストアはスペシャリティーストアである必要はありません。フリクエンシー(頻度)が異なるからです。スペシャリティーがあれば注目はされますが、逆にその要素に引きずられてしまい結果、その要素の時にしか利用されなくなってしまう傾向に陥りがちです。
ローソンフィリピンは、顧客の99%がローカルの消費者です。その皆さんに毎日きていただくためには、すべてが二番手であってもいい、しかしなんでも、すべてのものが揃っている、バランスの取れた日常使いのできるコンビニ。それがフィリピンローソンの目指すところです。

 

 

編集部

 

フィリピンの消費者動向はどのように把握し商品に活かしているのですか。

 

妹尾氏

 

フィリピンに来てまずやったのは、スーパーで買い物をする主婦や家族がどんなブランドのどんな商品を購入しているのか、後をついて歩くという購買調査です。
さらにスーパー地下のフードコートに行き、はじからはじまで一軒ずつ、2か月間出店している店舗で毎日夕食を食べて、すべてのメニューと価格帯を身体に叩き込みました。そのうえで商品開発を始めたのですが、もちろん失敗もあります。試行錯誤しながら今でも毎週新商品を開発しています。

 

 

編集部

 

フィリピンのポテンシャルをどうみていますか。

 

妹尾氏

 

年齢層が若くポテンシャルは大きいですね。コンビニ業界では、国民一人当たりのGDPが4000ドルを超えるとコンビニ文化が始まると言われています。どういうことかといえば、国民一人当たりのGDPが4000ドルを超えると、ライフスタイルが変化し家庭に電子レンジが置かれるようになり、コンビニの利用が広がるのです。フィリピンの都市部はこの4000ドルを超えており、事業環境がすでに整っているといえます。

 

 

編集部

 

ご自身のことをお聞きします。ローソンに入社するまでのご経緯とご活躍を教えてください。

 

妹尾氏

 

私は東京都足立区北千住の出身です。まさに金八先生の舞台となったエリアで、私の学生時代はいじめはないけれど校内暴力の全盛期。やんちゃな同級生に囲まれて生活していました。あるとき、このままいったら自分の人生がどんな“世界線”になるのか、考えてみたんですよ。このまま何もしなければ、他の同級生と同じくこのまま地元で働いて、子だくさんで肌を寄せ合って暮らすのかと想像した時、それも悪くはない。でも違った“世界線”を見たくなって、急に勉強したくなりました。

当時アメリカの大学は英語さえ頑張れば、非常に入りやすく、International Studentは歓迎されていました。そこで一念発起してアメリカの大学に進学しようと決めました。それこそ、This is a penぐらいのレベルから、基礎英語から始めて猛勉強の末、TOEFLで677満点中の600点以上を取りアメリカの大学に進みました。私自身はいわゆる不良な生徒ではではなかったですが、学校が嫌いで学校に行かないから高校卒業の単位が足りない、補習を受けまくってなんとか高校を卒業する事が出来たレベルですので、周囲は家族を含め今でも私の事は頭の出来が良くない子との評価です(笑)。そんな過去と経緯から、当時英語を教えてくれたアメリカ人の英語の先生には今も感謝しています。また、大学進学に際しては両親も大喜びでした。自分の子供が勉強で人生で一度も誉められたことがなかったので(笑)。 アメリカでは最初、ニューハンプシャー州の大学に入学したのですが、ニューハンプシャー州はボストンの北側に位置し、冬は大雪に囲まれ北千住のもやしっ子にはあの寒さは非常に厳しかった(笑)。あと英会話も覚悟はしていたもののもぜんぜん通じない、それに人生初めての一人暮らしでホームシックにかかったりとの留学生「あるある」になり、気候も温暖で生活しやすいハワイの大学に編入しました。専攻はマーケティングです。現地で大学卒業後1年働いた後、せっかくアメリカにいるんだしと、大学院に進学しMBAも取得しました。

大学院卒業後の進路を考え、一度就職ををしてみたいと日本企業のなかでいくつか候補の分野を絞ったのですが、最終的にダイエーコンビニエンスシステムから内定を頂きました。大学時代に日本のリテールなども調べた経験もあったことから、日本のコンビ二にも興味がありました。加えてハワイにいた1995年、アメリカでインターネットが普及しはじめたのですが、私もホームページなどの制作をおこなっていたこともあり、日本に先駆けてITの世界に触れていました。そこで将来、ローソンでインターネット関連の新規事業に参画するという前提で就職を決めたのです。
ダイエーの新入社員は、どんな社員も店舗から業務を始める決まりがあります。私も足立区のローソンに配属され、店長として社会人生活をスタートしました。まず店舗で経験を積むのは流通業で仕事をするうえでとても重要なことです。しかし、店舗にいる期間が明確に決まっていませんでした。1年ぐらい店長として過ぎたあたりで、いつになったら入社時の希望であった新規事業とインターネット関連の仕事ができるかわからない、やめてしまおうかなと思ったのですが、たまたま同じエリアの店長40名以上が参加した会議に、就職面接の時声をかけていた際の人事室長、当時は本社で運営本部長をやっている偉い役員の方が地域巡回として店長会議に偶然出席されることとなり、目の前に座る40名の店長の中で私と目が合ったとたんに、「なんでお前がここにおるの?」と(笑)。どうやら忘れられていたんですね、翌週、異動の辞令がでて以来、20年近く本社で勤務するようになりました。
本社に異動してからまず担当したのは、インターネット関連の新規事業です。

 

 

編集部

 

ローソンの謎のローソン部などの事例は、モバイルマーケティングの成功事例としてしられていますね。

 

妹尾氏

 

ローソンクルー♪あきこちゃんや謎のローソン部などは、新規事業や広告販促の部署で立ち上げた事業です。最初は上司として偉そうな事をそれぞれのPJを立ち上げた若手女性社員に話していましたが、あっという間に逆に彼女達から学ぶ様になり、いまではすっかり私自身が彼女達に相談する立場です(笑)

社内では31歳の時に広告販促部でマネージャー、そして41歳で商品部長になりました。商品部長に抜擢された際は、外資系のお取引先様に大変可愛がって頂きました。外資系のお取引先様のVIPが訪日した際に、多くは最大手であるセブンイレブンさんに真っ先にご挨拶に行くのが通例です。しかし、海外のお客様は英語でしか会話出来ませんので、多くのお取引先様は来日されてすぐローソンと商談をし、私から日本流の商慣習やマーケット情報、小売側の考え方を聞く事も多かったです(笑)。お取引先様のなかには現地日本法人の提案がなかなか理解されない事も多くあり、私が代わりに日本法人が考える施策を代弁したり有効性を説明したことが非常に日本法人の責任者の方々から感謝されて、後日、ローソンの売上利益に貢献する提案を頂ける事も多かったです。コンビニ業界の商品部長で英語が堪能な方が当時はいませんでしたので、ラッキーでしたね。 その後海外事業部で新興国の開発担当等を経て、ハワイで店舗展開していたLawson USA Hawaii の社長を拝命しました。とはいえ、現地に駐在はせず日本からのリモートで業務をしていました。フィリピンに来たのは19年の8月、新生ローソンとして事業規模を拡大するとの会社方針により、ハワイ事業や新興国の市場開拓業務からフィリピン事業専任となりました。
ローソン入社以来、全くスタイルの異なる4代の社長の下で仕事、勉強させて頂きました。ローソンで仕事をしてきた24年間で様々な体験をさせていただいたことに非常に感謝しています。

 

プロフィール

東京都足立区北千住出身、ハワイで大学、大学院(MBA)修了後1998年、ダイエーコンビニエンスシステム(現ローソン)入社、直営店店長、新規事業部、広告販促部マネージャー、商品部長、海外事業部長、ローソンUSAハワイ社長を経て2019年から現職。

【趣味】
将棋・小学5年の時に父に手ほどきを受け、以後毎週東京千駄ヶ谷の将棋会館に通い、6年生の時に全国小学生将棋名人戦の予選通過、決勝トーナメントにも出場。フィリピンで40年ぶりに再開。

【座右の銘】
「通身是手眼」。昭和の将棋史に数々の記録と将棋界を築いた升田幸三先生がよく言っていた言葉でもあり、私自身も、仕事をするにあたっても全身を研ぎ澄まし、無心で取り組みたい。

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