JALの運航を通じて、日本も地方も
フィリピンの皆さんも潤うために
日本航空マニラ支店支店長
船橋 孝之氏 氏
エアラインの運航にあたり、その裏側では、どのような業務がどんな期間で行われているのか?今回は日本航空(JAL)で運航の要となる運航企画関係の業務に長年従事しこの5月にマニラ支店長に就任した船橋氏に、7月から就航を開始したグループ内のLCC・ZIPAIR導入の背景、そして、自らを「企画屋」とおっしゃる船橋氏が今後競争激化が予想されるマニラ線に対してどう取り組んでいくのかなどをお聞きした。
編集部
社内では運航本部に所属されていたと伺いました。どのような業務をされていたのですか?
船橋氏
JALは本部制をとっており、例えば、販売本部、客室本部、空港本部、貨物本部、そして私が所属していた運航本部があります。
その中でまず私が担当したのは運航基準に関する業務です。航空法や国土交通省航空局の通達に基づいたオペレーション・マニュアルの作成がメインの仕事で、航空局安全部の方やパイロットなどと調整し進めました。
そのあとは運航企画部でJALの世界的な運航路線計画に合わせてパイロットをどのように配置し育成していくかなどの企画に携わりました。
航空会社の肝はパイロットであり、その育成には時間を要します。JALでは入社から機長になるまでには約15年かかります。
また、パイロットは1機種しか操縦することができず、たとえば、現在ボーイング767の資格を持つパイロットは767でしか操縦ができません。マニラに就航している787の資格を取得するには、その移行訓練には約5か月間を要しますし、787に乗務後は767の操縦は出来なくなりますので、路線便数計画に合わせてパイロットを適切に配置するには、中長期的な人員計画が必要です。
今回JALでは新機種エアバス350を導入しましたが、その運航のために350パイロットの必要数、養成開始時期、フライトに必要な資格の取得時期など詳細なシミュレーションを行い、必要な訓練機材が不足していれば調達し、およそ20年先の単位で配置計画を作成してきました。350は今年の11月からニューヨーク線に投入しますが、路線によって異なるパイロット数や多岐にわたる分野を全体的な視点から検証し運航計画を決定する必要もあるのです。
新しいパイロットの国際的なライセンスMPLを日本に導入するための法整備も担当しました。MPLとは旅客機のパイロットのうち副操縦士に求められるライセンスで、06年にICAO(国際民間航空機関)で規定されました。12年の日本への導入にあたっては航空法の改正が必要だったため、国土交通省の方とともに国会対応を含め、その法整備の業務に携わり法制化完了後は社内ルール作りも行いました。
運航訓練審査企画部では、パイロット訓練所の立ち上げに携わりました。JALでは大学生新卒の初期過程の訓練所をナパバレー(米国・カリフォルニア州)に持っていたのですが、一旦手放したため、新しい訓練所を立ち上げる必要があり、フェニックス(米国・アリゾナ州)に訓練所を立ち上げました。また日本の宮古島の北西の下地島にあった大型機の離発着訓練所をグアムに作ることになりその立ち上げにも参画しました。
客室企画部時代には、香港、バンコク、上海、台湾、シンガポールにある客室乗務員の基地をフィリピンにも拡大しました。18年、企画をまとめ、応募者をアサインして採用までいったもののコロナ禍で一端中断しています。
また、同時期に女性のライフスタイルに合った人事制度の改革「経験者キャリア採用」も立ち上げました。
編集部
2010年の経営再建に故稲盛和夫会長が就任され変わったことは?
船橋氏
一番変わったのは社員の考え方が統一されたことだと思います。それまでは社内に頭のいい人間は多くても、本部制をとっていることもあって自己の本部の利益を優先するような傾向があったと感じていますが、全員が同じ方向を向くようになりました。この意識統一には稲盛氏の経営哲学であるフィロソフィが年月を経た今も大きな役割を果たしており、グループ全員が集まった勉強会を定期的に開催しています。
また、破綻という衝撃的な局面に対峙して、残った社員全員が何かしなくては!という使命感が非常に強かった。がむしゃらな時を過ごしました。それが再上場への道筋に大きな原動力になったのだと思います。
破綻でストップしていたパイロットの採用と訓練所が再開した時、ようやく航空会社に戻ることができたという気持ちでした。
編集部
コロナ禍ではいかがでしたか?
船橋氏
パイロットは所有する資格に対し定期的な訓練審査が義務付けられていますが、それが実施できなくなりました。期間の延長措置もありましたが、資格を維持できていなければ乗務することが出来ません。いかに資格を切らさずに定期便を維持していくかに傾注した時期でした。
編集部
海外赴任はタイ、そしてフィリピンですね。
船橋氏
実は社内調査で希望の赴任先としてずっと「南の島」と書いてきました(笑)。バンコクは島ではないですが、南です。またフィリピンはまさしく南の島です。
赴任前も客室企画部で拠点の立ち上げの際に来比していますが、フィリピンの街はきれいですね。それにオートバイに乗っている方がみんなヘルメットを装着していて、まじめな国民性だと感じました(笑)。ただ公共交通機関の整備が遅れているのは残念です。
私はフィリピンに大きく2つのチャンスを感じています。まずお客様としてのチャンスです。ビジネス、旅行で来日される方ももちろんですが、現在30万名の方がOFW(Overseas Filipino Workers)として日本で就労しており、その縁戚の方が就労者の方を訪日する需要もあります。世界に散らばっているフィリピンの方の関係者の需要は大きなチャンスといえます。
次に就労者としてのチャンスです。フィリピンの方はホスピタリティーにあふれており、訓練をつめばどこでも通用する人財だと感じます。JALの試算では、今後JALのお客様の7割が日本人以外になると予測しています。客室乗務員としてフィリピンの人財は大きな力に成りえます。
編集部
ZIPAIRがJAL成田便に代わって運航を開始したのはなぜでしょうか。
船橋氏
JALグループには、ZIPAIR、スプリング・ジャパン、ジェットスター・ジャパンの三社のLCC(Low Cost Carrier)があります。これらは、フルサービスキャリアのJALでは取り切れない潜在的なお客様にターゲットを絞っており、グループ全体での需要拡大を目指しています。すでにバンコク、シンガポール、サンフランシスコなどで同様の運航を開始しています。この状況下でJALがフルサービスキャリアとしての特長をどう打ち出し、お客様に選んでいただける航空会社になるか。勝負どころですね。
JALはマニラ線では、羽田便、成田便をもっており、これをどう他の航空会社も含めて差別化して利用を拡大するか、これが今のマニラ支店に課せられた命題だと思っています。たとえば、この4月から全面再開したJALの羽田の深夜便を利用すればその日のうちに、国内便で日本全国どこにでも行くことが可能です。これは観光客の方にとって大きな魅力です。JNTO(日本政府観光局)と協力し、日本の地方を積極的にPRし観光客を誘致することにより、地方の活性化、日本の活性化につながり、皆が潤うように尽力します。
まだ他の航空会社も地方便を再開していない今がチャンスです。ここフィリピンでは、フィリピン航空などと比べ、JALは路線数、便数では少ないですが、その中でもお客様にJALを選んでいただけるよう、サービス向上に努めてまいります。たとえば、世界的に少なくなっている自社ラウンジがマニラにはまだありそれを活用したり、機内に入ればすぐに日本を感じていただいたり、でもありきたりのことはいたしませんよ(笑)。今後のJALマニラ線をぜひ楽しみにしていてください。
プロフィール
1968年生まれ、上智大学理工学部数学科卒、93年日本航空入社、成田空港旅客部、国際線アシスタントパーサー、大阪伊丹空港を経て運航本部配属、以来、一貫して航空会社の運航の要となる運航企画関係の業務に従事。15~18年同社バンコク支店副支店長、23年5月から現職。