「文化」「言語」「対話」を通じて、
日本への信頼、好意を育む活動に傾注。
国際交流基金(The Japan Foundation)
マニラ日本文化センター 所長
鈴木 勉 氏
最初は仏教のタイ、次いでイスラム教のインドネシアそしてキリスト教のフィリピンが2回、東南アジア3大宗教巡りのごとく異動しながら、通算37年、東南アジアとの文化交流を促進して来た鈴木氏に、マニラ日本文化センターのフィリピンでの活動とフィリピンの特性、それにご自身の今後についてお聞きした。
編集部
フィリピンとの関わりを教えてください。
鈴木氏
高校一年の時、サマースクールで10日間、ミンダナオ島のカガヤンデオロに滞在しました。まさにマルコス政権の戒厳令下の時期です。カガヤンデオロは北ミンダナオの中心地で、フィリピンで初めてアメリカ文化に接し、強烈な洗礼を受けました(笑)。そして街中をみればスモーキーマウンテンや路上に暮らす人もいて貧富の差が激しいのですが、夕べにはギターで皆で歌ったり飲んだり。貧しいのにフィリピンの人々はなぜこんなに幸せそうなんだろうと、そのギャップが子供心に衝撃でした。
就職活動の時、たまたま国際交流基金(以下JF)を見つけて試験を受けました。ずっとフィリピンで仕事をしてみたいという思いはありました。結果、二度の駐在で合計9年間フィリピンに滞在しています。
編集部
国際交流基金について教えてください。
鈴木氏
JFは、世界全地域で総合的に国際文化交流事業を実施する日本で唯一の専門機関です。「文化」と「言語」と「対話」を通じて日本と世界をつなぐ場を作り、人々の間に共感や信頼、好意を育むことを目的に活動しています。1972年に外務省所管の特殊法人として発足しました。
業務の柱は、日本語教育と日本研究・国際対話、そして 文化芸術交流の3本です。人体に例えれば、日本語教育、日本研究は、骨作り、基礎体力作り。そして文化芸術交流は血流のような位置づけですね。
編集部
マニラ日本文化センターの活動内容は?
鈴木氏
フィリピンは、世界的にみても幅広く日本語教育を行っている国の一つです。当初我々は、大学などの高等教育分野に傾注していたのですが、90年代のポップカルチャーブームで、中等教育にも日本語が爆発的に広がりました。
現在力を入れているのは就労のための日本語教育です。19年に特定技能制度が始まったことを受けてJFTベーシック試験のための、日常生活に使う日本語を3冊にまとめた教材「いろどり」も作成しました。また労働雇用省技術教育技能教育庁(TESDA)とともに、これまで文法中心だったカリキュラムをコミュニケーション能力中心にシフトするカリキュラム改定を進めています。
日本研究の促進としては、親日家の育成や日本経済、歴史など様々な分野の研究者の支援のために、フィリピン、デ・ラ・サール、アテネオの3大学中心に長年にわたって事業を展開してきました。
もう一つ、文化芸術交流、アート分野の交流も我々の重要な任務です。映画や美術、舞台パフォーマンス、文学、そして最近ではスポーツでも交流を促進しています。中でも映画は非常に重要なツールで、毎年日本映画祭「ジャパニーズフィルムフェスティバル(JFF)」を開催。いまやファンの皆さんの間では、「EIGASAI」という固有名詞で親しまれるブランドに成長し、今年の2月には全国5都市で開催、パンデミック前の最高記録3万を大きく超える計4万名の動員で、大成功を収めました。 そして、2026年はフィリピンと日本の戦後の賠償協定が締結されて70周年です。我々としても大きな事業を行う予定です。
編集部
二度の赴任で感じた変化は?
鈴木氏
フィリピンの方は、2005年当時からかわらず親日ですね。一つ大きく変わったと感じたのは戦争に対する認識です。この国は日本との戦争で111万もの方が亡くなっています。でも以前あった反日的な言動は、二度目の今回はあまりない印象です。世代が変わって記憶が薄れてきているのだと思いますが、だからこそ、加害者としての日本はこのことを忘れてはいけないと思います。
もう一つは、アニメの力です。フィリピンでは11の地域・64校で約150名の先生が日本語を教えているのですが、学生さんは皆さん、アニメが大好き!だから日本語を勉強したいと思ってくれています。私たちもそんな学生さんのために昨年、二泊三日のフォーラムをボホールで開催するなどの支援を行い、学生さんたちのアニメを通じた日本への思いを実感しました。
ただ、ちょうど時期を同じくして、ルフィーの事件が連日報道され、日本人はフィリピンが犯罪天国のように感じてしまったのは残念です。私はこれはアンフェアだと思います。フィリピン人が日本に向ける熱いまなざしと、日本人がフィリピンへ向ける冷めたまなざし。まなざしの非対称性とも言えます。ただ一方で最近は日本から若い世代がフィリピンを訪れており、フィリピンへの認識が変化しつつあるとも感じます。
そして日本食レストランが増えましたね。中には寿司ケーキなどの謎なフュージョン料理もあるのはユニークです。「ハロハロ現象」が起こっているんですね。日本食、日本文化の定着と現地でのローカライゼーションは他の国でもありますが、フィリピンならではの展開があるのは面白いところです。
編集部
フィリピンの魅力は?
鈴木氏
語学の観点でいうと、たとえばビサヤ地域のレイテ島・タクロバンでは、少数民族言語のワライワライを基本使います。ビサヤ地域ではビサヤ語を使い、学校ではフィリピン語を、中学生以上になると英語を話します。4つの言語が頭の中にあり、それが普通です。一方、日本人は一般的には日本語だけ。ですから、頭の中の言語構造がかなり違うんですね。そして歴史的な背景からいろんな人種が混ざり合っている。民族、言葉の多様性がフィリピンの非常に面白い点で日本にない魅力です。
編集部
今後ご自身が取り組みたいことは?
鈴木氏
政府系の非営利団体で新卒から37年、去る3月に定年を迎えたものの、みんなの前でスピーチをして花束をいただくなどということはまったくなく、何も変わることなく業務を続けています(笑)。ただ、今は若干足を出している状態で、いつかは外にでる時期がやってきます。私としては、組織を離れても国際交流の分野で培ったものをフィリピンの地で活かして、これから増えていくだろう中間層が行きたいと思うような、フィリピンでまだ知られていない文化体験ができる観光資源の発掘などに尽力できたらうれしいですね。
【プロフィール】
神奈川県出身、早稲田大学第一文学部卒。青山学院大学総合文化政策学研究科博士課程在籍中。1986年国際交流基金入所、バンコク、ジャカルタの日本文化センターを経て、2005から10年マニラ日本文化センター所長、19年から再び同職。
【座右の銘】
「一隅を照らす」 天台宗の最澄の言葉だが、アフガニスタンで人道支援活動に研鑽し2019年に暗殺されたドクターナカムラこと医師の中村哲氏(当時73歳)の座右の銘でもある。文化振興において、できることには限界があるが狭い範囲であっても活動を続け、一隅を照らすことで貢献していきたいと思う。
【鈴木氏おすすめの映画】
すべてNetflix Philippinesで視聴可能です。
英語字幕ですが。検索でタイトルから探してご視聴ください。
ダイ・ビューティフル Die Beautiful 2016年、ジュン・ロブレス・ラナ監督
トランスジェンダーの主人公は家族から絶縁されるが身寄りのない娘を引き取って育て、念願のミスコンで優勝する。しかし喜びもつかの間、授賞式の途中で倒れてそのまま突然死。彼女の遺言は埋葬前七日間にわたって行われる儀式で、毎日、ビヨンセ、ジュリア・ロバーツ、レディー・ガガなど海外セレブに似せた死化粧をしてほしいということだった。友人たちは彼女の遺言通り日替わりでメイクをしてゆく中で、差別や偏見に立ち向かった誇り高い彼女の人生を思い起こしてゆく。東京国際映画祭最優秀男優賞・観客賞。
キタ・キタ Kita Kita 2017年、シーグリッド・アーンドレア・ベルナード監督
全編北海道ロケで観光名所が満載。フィリピンから札幌に出稼ぎに来たレイアは日本人青年との失恋のトラウマから失明。しかし風体のあがらない出稼ぎフィリピン人男性が彼女に恋をする。彼のしつこい誘いをレイアは拒絶していたが、何度もアタックを繰り返した結果二人はいつしか心通じ合うようになり、癒されたレイアの目も治りかけたその瞬間、彼氏が自動車事故に遭遇する・・。比国内で大ブレークした結果、北海道への観光客が増加してフィリピン航空が札幌直行便を就航させる契機となるといった社会現象を巻き起こした。
リスペクト Respect 2017年、トレブ・モンテラス二世監督
フィリピノ語のラップミュージカル映画。主人公のヘンドリックスはマニラのスラム街に犯罪と貧困に囲まれて暮らしているが、阻害された生活の中でヒップホップにのめり込む。ある日ラップバトルに敗れて傷心の彼は仲間たちと町の古本屋に盗みのために侵入。そこにいたのはマルコス時代からの傷を背負う老主人ドクだった。当初は反目しあう少年と老人だったが、やがて意気投合するようになり、老人は自分の創作した詩をヘンドリックスに教え始める。やがてドクはマルコス父政権時代に妻と子供を失った活動家詩人であったことがわかってくる。シネマラヤ映画祭・最優秀作品賞など7部門受賞。
普通の家族 Ordinary People 2106年、エドゥアルド・ロイ・Jr監督
マニラのスラム街で生きる16歳の少女とボーイフレンドの少年の壮絶な人生を描いた作品。スリで生計を立てシンナーに溺れる二人が子供をさずかり、塗炭の苦しみにまみれた生活にも一筋の光が差し込むが、そんなつかの間の幸福も赤ん坊が金目当ての誘拐にあい暗転。二人は雑踏の町を泣きながら彷徨うことになるが、最後はボーイフレンドが麻薬密売人と誤解され、不審者による唐突な銃撃で絶命する。シネマラヤ映画祭・最優秀作品賞、東京フィルメックス観客賞。
バイバスト BUYBUST 2018年、エリック・マッティ監督
ドゥテルテ政権の麻薬戦争をモチーフにした作品。「BUYBUST」とはアジア最大のスラムと言われるトンド地区の麻薬シンジケートを撲滅するために国家警察が設けた特別部隊のこと。人気女優のアン・カーチスが特別部隊の隊員としてスラムに潜入し、女ランボーのように縦横無人に闘い活躍して最後まで生き残りヒロインになるのであるが、その過程で仲間の隊員は全滅、シンジケートのマフィアたちも全滅。抗争はスラム中を巻き込んで、阿鼻叫喚の死闘と殺戮の嵐で無数の住民が犠牲になって、スラムには死体の山ができる。製作費8,600万ペソの比版“超大作”。
シグナルロック Signal Rock 2018年、チト・S・ローニョ監督
ビサヤ諸島北サマールの離島を舞台にした実話に基づいた物語。家族の面倒を見ながら暮らす少年が、OFWで北欧に出稼ぎに行った姉と連絡を取る唯一の方法は、海の先端の岩礁に行くこと。島で唯一インターネットがつながるその岩礁で姉と携帯電話でつながりながら、かの地の男性と離婚問題を抱える姉の子の親権騒動を解決に導いてゆく。出稼ぎ大国フィリピンならではのヒューマン・ドラマ。
パン・デ・サラワル Pan de Salawal 2018年、アンナ・フランチェスカ・エスピリトゥ監督
フィリピン朝食の定番パンデサル(ちょっとしょっぱいふかふかのロールパン)をモチーフにした作品。老衰して生きる気力も失いかけたパン職人の老人のもとに突然身元不明の少女がやって来る。彼女のかける魔法で老人のパン屋が復活し、様々な生活を抱える周囲の住民たちも幸せになってゆくが、その少女が突然姿を消してしまう。庶民の街、バランガイを舞台にした心温まるヒューマン・コメディー。シネマラヤ映画祭・最優秀作品賞・監督賞など5部門受賞。
The Japan Foundation, Manila の情報はこちらから
https://www.facebook.com/jfmanila/