アバカから都市インフラへ──
双日が描くフィリピン発展のビジョンとは
双日フィリピン株式会社
社長 後久 龍祐 氏
双日フィリピンは、その前身であるニチメンおよび日商岩井の時代から、20世紀初頭よりフィリピン市場において活発な商社活動を展開してきた。合併を経て誕生した現在の双日は、その両社の歴史とネットワークを引き継ぎながら、近年ではオフィス開発など新たな分野にも進出し、注目を集めている。今回は、2024年10月に双日フィリピンの社長に就任した後久氏に、現地での事業戦略やこれまでの歩み、そして今後の展望についてお話を伺った。
編集部
双日はフィリピンでどのような展開をされてきたのでしょうか。
後久氏
双日のフィリピンにおけるビジネス展開の開始は非常に古く、1908年まで遡ります。明確な文献は残っていませんが、最初の取引は「アバカ」と呼ばれる麻の一種(ミンダナオ島で栽培される繊維植物で、ロープや紙、衣料などに広く利用)で、このアバカの輸出が、双日におけるフィリピンビジネスの起点とされています。
その後、1936年に双日の前身の一つ岩井産業がマニラに出張所を開設。日系商社でも比較的早い進出でした。戦後には、同じく前身企業であるニチメン、日商岩井もマニラ支店を開設し、以降、木材、肥料、鉄鋼、繊維、機械、工業団地開発など、幅広い分野で事業を拡大し、戦後の経済再建にも寄与してきました。
代表的な展開としては、1969年には、旧日商岩井がFUSOブランドの車両販売会社を設立し、1972年には三菱自動車と共同で車両組立会社に事業参画し「三菱モーターズ・フィリピン(MMPC)」へと発展。この動きは、日本の自動車産業がフィリピン市場へ本格進出する先駆けとなりました。1995年には化成肥料事業を展開していたアトラス・ファーティライザー・コーポレーション(AFC)に出資参画、2001年に完全子会社化。
2004年、ニチメンと日商岩井の合併により「双日株式会社」が誕生しました。フィリピンにおいてもこの新体制のもと、さらなる展開が進みました。、2017年には「ニッポン・プレミアム・ベーカリー(NPB)」を設立し、FUWAFUWAブランドで菓子パン・食パンの事業を開始。また、2021年には通信インフラ事業に参入し、LBSデジタル・インフラストラクチャー・コーポレーション(LDIC)を通じて通信タワーの開発を推進。そして2022年、マカティ市でユーチェンコグループとのオフィスビル再開発「The Yuchengco Centreプロジェクト」にも参画しました。
編集部
開発中のオフィスビルの特徴は?
後久氏
双日とユーチェンコグループとの関係は50年以上にわたるもので、RCBC銀行との取引などを通じて、日本とフィリピンのビジネスをつなぐなどの協力関係を築いており、このプロジェクトも、ユーチェンコグループ側からのお声がけによりスタートしました。
現在は25年末の竣工に向け、25年2月に上棟式を実施、現地代理店のリーチュウ社と連携しテナント誘致を本格化しました。
このプロジェクトは、「安心・安全・快適・利便性」という日本的価値観を反映した空間づくりを目指しています。設計は日建設計が担当。フィリピンに多く見られる超高層階のビルではなく、「ワンフロアを大きく、快適に」という方針を採り、敷地の大きさをを最大限に活かした設計となっており、基準階貸床面積は約4000㎡と、マカティ界隈でも最大級の広さを誇ります。
これまでのマニラのオフィスビスは、十分なスペースを確保できず、複数のフロア、オフィスに分散せざるを得ない企業もありましたがこの建物はそうした課題の解決策となることを目指しています。フロアをカスタマイズすることも可能で、入居企業様の多様なニーズに応える余地があります。
さらに、下層階には一般開放型の飲食店やアクティビティスペースを、上層階には入居者向けラウンジやシェア会議室を整備予定です。ビル内での気分転換や大規模会議の開催が可能となり、利便性と快適性を兼ね備えた「都市型ワークプレイス」を実現します。
このプロジェクトは、単なる不動産開発ではなく、「都市の中のプラットフォーム」としての役割を意識しています。オフィス空間にとどまらず、人とビジネスが交差し、新たな価値が生まれる場を目指しているのです。ぜひ多くの日系企業の皆さまにも、利便性の高いマカティにおいて、日系企業ならではの設計・品質・運営力でビジネスに最適な空間を利用し、フィリピンでのビジネスを推進していただきたいと考えております。
編集部
今後のビジネス展開を教えてください。
後久氏
フィリピンは年々存在感が増し、大きな可能性を感じる市場です。経済のファンダメンタルズもそうですし、地政学的にも人口動態からも、今後の成長が見込まれているのは、多くの企業が感じていることだろうと思います。その中にあって私たち双日グループとして、これまでフィリピンで積み上げてきた事業の基盤をベースに、注力する分野が3つあります。
まず1つめは、アグリ関連ビジネスです。すでにアトラス・ファーティライザーという、化成肥料の製造・販売を行っている100%子会社がありますが、今後は単に肥料だけではなく、農業、畜産といった広い意味でのアグリ関連ビジネスを強化していきたいと考えています。フィリピンでは人口増加、食料自給率の低さも課題です。より良いものを、より手頃な価格で、安定的に届けられるような仕組みを作っていくーーそれが私たちの役割だと思っています。
次に、エネルギーの分野です。フィリピンも日本と同じ島国で、エネルギーの供給体制には慢性的な課題があり、経済成長に伴って電力需要が急増してます。私たちは、再生可能エネルギーや脱炭素の流れを踏まえた、新しいエネルギー供給やインフラ整備に積極的に取り組んでいきたいと考えています。
そして3つめが、都市や地域のインフラ開発です。今進めている「The Yuchengco Center プロジェクトもその一つですが、私たちはこれまでも工業団地の開発などに取り組んできた経緯があります。フィリピンにはまだ「土地はあっても価値がついていない」エリアが多くあります。ただ開発して終わりではなく、そこにどう価値をつけていくか、つまり人を呼び、雇用を生み、地域を活性化させるという視点が何よりも重要だと思っています。
これからも、アグリ、エネルギー、そして都市インフラの3本柱を中心に、フィリピンの持続的な成長や社会課題の解決に、しっかりと貢献していきたいと考えています。
編集部
フィリピンに赴任されるまでのキャリアを教えてください
後久氏
私がマニラに着任したのは2024年10月1日です。辞令はまさに“青天の霹靂”で、「なぜ自分が?」というのが正直な気持ちでした。
ただ、フィリピンについてはまったく無縁というわけではありませんでした。以前、シンガポール駐在時にアジア・大洋州の地域統括業務に携わり、その一環でフィリピンの事業にも多少なりとも関わる機会がありました。
私のキャリアは、一般的な商社のキャリアパスとはやや異なっています。通常、商社では配属された縦割り組織の中で専門性を高めながらキャリアを積み上げていきますが、私は会社の合併や事業再編といった節目に直面することが多く、結果的にさまざまな部門を経験してきました。
工業資材部に配属後、入社3年目でイギリスに業務研修として派遣される機会を得、一年を経た後に旭化成さんとの合弁事業における合成樹脂コンパウンドの製造会社に関わりました。当時のイギリスはまだ製造業が盛んで、日系企業も多く進出していました。私は事業再編の過程で人手が不足し、現場が混乱するなか、それらを補うため、急きょ工場に回されました。在庫管理や生産トラブルの対応に追われる毎日で、正直、商社マンらしからぬ仕事でしたが、ものづくりの現場を肌で学んだこの経験は、非常に大きな意味を持ったと感じています。
2001年の米国同時多発テロの後日本に戻ってからは、高機能材料関連の事業や労働組合専従などに携わってきました。ちょうど会社全体が合併・再建の大きな局面にありました。制度の統合や組織の合理化が進む中で、私は合成樹脂事業の担当として、主に事業会社の統廃合や再編業務に携わりました。不採算事業の整理では、厳しい判断をする必要もありましたし、事業会社の労働組合との交渉にも関わりました。ボーナスも出せないような厳しい状況下で、調整には多くの時間と労力を費やしました。ちょうど入社10年目くらいの時期で、「若造が何を言っているんだ」と言われることもありました。諸先輩方も含め、大きなご苦労があった時期です。
本来なら2度目の海外勤務を経る時期でもありましたが、今振り返ると、あの時期に事業再編・整理に関わった経験は非常に貴重だったと感じています。色々な課題と向き合うことができたと実感しています。
その後、新規事業として海外病院事業の立ち上げに関わることになり、インドネシアやベトナムでの病院プロジェクトに携わりました。現場のオペレーションにも深く関わる中で、ヘルスケア事業の現場感覚を養うことができました。
ただ、民間の病院事業は競争の激化もあり、双日としては大規模なPPP型病院事業に舵を切ることになりました。それを機に私は本社の経営企画部に異動し、さらに2018年からはシンガポールに赴任。アジア・オセアニア地域の地域統括業務に携わり、フィリピンを含む各国の事業支援を行ってきました。
こうした一連の経験を経て、2023年にフィリピンへの赴任が決まったわけです。フィリピンに来て半年が経とうとしていますが、生活面は非常に快適です。通勤も車でスムーズですし、食事も選択肢が豊富。宗教上の制約も少なく、人々も明るく親しみやすい。そして何より、英語が通じることは日常生活を営むうえで非常にありがたく感じています。治安面を除けば、大きな不安や不満もなく、充実した日々を過ごせていることに感謝しています。
この地で、現在推進中のオフィス開発など新たな分野に果敢に挑戦し、会社ひいてはフィリピンの発展に貢献できたらと考えています。
【プロフィール】
1975年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、98年ニチメン(現・双日)入社。合成樹脂部、英国ロンドン(業務研修)赴任後、英国内での合弁事業担当。日商岩井との合併に伴う事業再編・統廃合業務を経た後に、医療・病院事業の新規開発にて、東南アジアでの病院事業にも関与。2018年からシンガポールにてアジア・オセアニア地域の経営統括、24年10月から現職。
【座右の銘】
明確な座右の銘はないのですが、「公明正大」であること、「率先垂範」は常に心がけています。物事に一喜一憂せず、良い時も悪い時も流れとして受け止めるバランス感覚を大切にしています。
趣味
基本インドア派でゴルフが最大の悩み(笑)。馬が好きで、競馬もですが、馬好きが講じて一口馬主にもなりました(笑)。