<第5回>コーヒー文化をフィリピンに、目指すは日本進出
東京カフェ コンサルタント 吉沢淳さん
東京カフェ7店舗をはじめ、合わせて17の飲食店のフィリピンでの事業展開にかかわってきたレストランコンサルタントの吉沢淳さん。さまざまな変遷を経てコーヒー業界に足を踏み入れ、当地で起業した経緯を、その人となりとともに伺いました。
≪プロフィール≫
東京カフェ
コンサルタント 吉沢淳さん
東京出身。コーヒチェーン勤務を経て、2006年にフィリピンで東京カフェを創業。
好きな書籍
「たったひとりのワールドカップ」三浦知良
10年ぐらいの間、何度も読み返している本で、海外でパイオニアとして活躍するという点で共通する部分が多く、バイブルです。
好きな言葉
~プライドは誇示するものではなく見せつけるものでもない。愛する人を守るためだけに使うもの~三浦知良 私にとって愛する人とは、妻であり家族であり、自分の下で働いてくれているフィリピンの従業員全員です 。
編集部 ●東京カフェを開いたきっかけは?
吉沢さん ●元々は、かつて働いていたコーヒー店運営会社の出店準備のためにフィリピンへ出張で来ていたのですが、その後、会社を飛び出す形で独立。よく知る地場のパートナーと組んで『東京カフェ』をつくりました。本当は「食事も出すコーヒー店」をやりたかったんですが、当地顧客の需要は無視できず、「おいしいコーヒーのあるレストラン」の形態になりました。モールオブアジアにある1号店のオープンは2006年5月です。日本で20~30年前にコーヒー文化ができたように、フィリピンでのコーヒー文化構築の一役を担えればという思いでした。
編集部 ●フィリピンはコーヒーの産地で昔から家庭でコーヒーを飲む文化がありましたが、何が違うのですか。
吉沢さん ●コーヒーの原種豆は大別して、アラビカ、ロブスタ、リベリカの3つがあるのですが、フィリピンでは主に、霜や害虫に強く結実まで短い期間で済む安価なロブスタ種と、リベリカ種が採れます。一方、日本で多く使用されているアラビカ種は高価なこともあってほとんど使われておらず、独特のにおいなどクセのある地場産とは違うコーヒーのおいしさを紹介したかったんです。
編集部 ●開業後は、順風満帆だったのでしょうか?
吉沢さん ●とんでもないです(笑)。やると決めてからオープンまでは間がなくトントン拍子に進んだのですが、オープン後、数カ月はやろうとしていることが従業員に伝わらず、ノイローゼになるくらい悩みました。サービス=マナーはその国の常識や文化に由来します。フィリピンではあり得ない、かゆいところまで手が届く日本のマナーをここでも表現したいと思っていたのですが、打開策が見つからず追い詰められ、もう無理だと、半年後には帰ろうと思っていました。
編集部 ●それでも帰らなかったのはなぜですか?
吉沢さん ●負けず嫌いだったからです。自分の性格をよく知る日本でお世話になった人からは「意地はって無理するな、帰ってこい」と心配して声をかけてもらいましたが、最低でも1年は、という意地がありました。
編集部 ●どうやって立ち直ることができたのですか?
吉沢さん ●ストレスを感じると、あえて発散せず、自らをいったんどん底まで落としてから這い上がるのが好きなんです。誰に相談するでもなく自分の殻に閉じこもっている時、ふと、これまで『なぜ彼らには常識がないんだろう』と思っていたことが『常識がないのではなくて、常識が違うんだ』と気付きました。だったら教えてあげればいいと思い立ち、早速、夜中に従業員を集めてミーティング。そこで「フィリピンで商売させてもらっているのだから、フィリピンのやり方を否定はしない。ただ東京カフェの中では日本のやり方で通させてもらう。」と宣言しました。「フィリピンではどうこうという理屈はいらない、ただなぜそのやり方なのか理由は説明する。」と付け加えました。今振り返ると、最初の半年は遠慮していた部分もあったなと思います。
編集部 ●従業員の反応はどうでしたか。
吉沢さん ●ミーティングを開く前に事業パートナーに電話をして、「こういう宣言をする。もしかしたら全員辞めるかもしれない。」と前もってことわっておいたのですが、ほとんどが残ってくれました。それでも私のやり方が浸透するには半年ほどかかりましたが。すべての指示は私が直接行うのではなく、キーパーソンとなった信頼できるローカルのマネジャーを通じて行いました。
編集部 ●ローカル社員の人材育成についてどのように考えますか。
吉沢さん ●フィリピンほど人をモノとして扱う国はないと思うんです。それが嫌いで、マネジャーは外から連れてくるのではなく、自分が選んだ人材を社内で育てるようにしています。私たちはローカルの社員がいなければ商売できないわけで、なかなか夢を持てない彼らに昇進の機会を実際に見せるなどします。フィリピン人従業員は会社への忠誠心がないと言われることがありますが、彼らが忠誠心を持てるようにこちらが接することも必要です。
編集部 ●フィリピン市場進出を目指す日本企業に一言アドバイスするとしたら?
吉沢さん ●サービスの質を維持・向上するためには、当事者が現場にいなくてはだめ、ということですね。私たちは日本に基盤を持つ‘日本企業’ではないですが、当地に腰をおろして数年かけて事業を軌道に乗せてきた自負があります。
編集部 ●今後、大手居酒屋チェーンなど日本の飲食業の進出が増えることも予想されますが、危機感はありますか?
吉沢さん ●メニューの料金が5ペソ違うと市場が違ってくるので、近く進出してくる大手居酒屋チェーンは競合になると思っていません。その意味で、価格設定には最も気を配っています。ただ、競争により淘汰が発生するのは自然な流れなので、日本の飲食業界にはフィリピンにもっと来てほしいと思います。一方で日本企業の進出とは別に、回転の早い飲食業界で事業を続けていくのは、毎日怖いと感じていて、日々進化していなければだめだと痛感しています。かつては、会社が言っていることが昨日までと違うのは何事だと思っていましたが、経営者になって初めて、そのことが理解できました。
編集部 ●次の一手と将来の目標を聞かせてください。
吉沢さん ●モールオブアジアにある1号店が全面改装に入るのを機に、日本から炭火焙煎機を購入して自家焙煎に乗り出し、徐々に炭火コーヒーに全面移行していきます。さらにコーヒー豆の小売りにも着手します。最終的なゴールは、フィリピンからの日本進出です。フィリピンでは少量ながら良質のアラビカ種豆があり、これの取り扱いも検討しています。
編集部 ●ところで、海外で働くことは昔から意識していましたか。
吉沢さん ●幼いころ、海外に住みたいという漠然としたあこがれは持っていました。しかし海外に一度も行ったことがないまま25歳で結婚。もう行くこともないだろうと忘れかけていました。ところがその後、仕事でインドネシアに行き、ハワイでの結婚式に参列したりと、海外に出る機会が増え、33歳の時、バリスタの資格取得のためにイタリアに3カ月間滞在したのが決定打となり、海外でも生きていける、とそれまで自分の中で封印していた海外への思いが再び解き放たれたんです。
編集部 ●英語力には自信がありましたか。
吉沢さん ●とくに強いモチベーションがあったわけではないんですが、小学生のころ、友達のお父さんに遊びの延長で英語を教えてもらっていたことで、中学生になると成績がよく、英語は好きでした。学生時代はかなりやんちゃだったんですが、『英語のできるヤンキー』と呼ばれてました。同時に生粋の体育会系で、学校の部活ではテニス、学校の外では小学生のころから読売クラブのジュニアチームでサッカーをしていました。高校は、実績のあったテニスが強いという理由で、担任教師らの反対を押し切り偏差値も調べずに日大三高を志望。短期集中で猛勉強した結果、周囲の予想を裏切って合格し、校長室に呼び出されて万歳三唱してもらいました。ちなみに入試では、得意の英語が満点だったのに対し、苦手の数学は3点だったと後で教えられました。英語はよくできたんですが、数学は全然ダメだったんです。
編集部 ●コーヒー業界に入った経緯は?
吉沢さん ●高校では成績はそこそこだったんですが、素行不良を理由に日大への推薦をもらえず、一般入試にも失敗して大学へは行けませんでした。ただそのころカ―レースに出会い、F1レーサーを目指すという目標ができました。ホストとして働きながら資金を工面しノービスで結果を残すようになったある日、練習走行でクラッシュ。チームは解散に追い込まれ夢はとん挫。次に何をしたらいいのか分からず途方に暮れていました。そんな私を見かねて、ホストをやっていたのなら接客業はできるだろうと知り合いに勧められたのが、コーヒー店運営会社への就職でした。当時、社会をなめていたところがありましたが、ここでかなわないと思える人たちに出会ったことで、人の話を素直に聞けるようになり、上を目指してまじめに仕事をするように変わりました。つくづく周囲の人に恵まれたおかげだと思います。
編集部 ●最後に吉沢さんの父親としての一面を紹介して下さい。
吉沢さん ●娘が2人いますが、良いお父さんですよ。ただ娘が連れてくるボーイフレンドには当然厳しいです。気合いの入った男がいいですね。早期リタイアを目指しているのですが、引退したら、仕事や用事以外ではこれまでほとんどしたことがない海外旅行を家族で楽しみたいです。あとは、高校のころにはまったサーフィン三昧ですね。 東京カフェ コンサルタント 吉沢淳さん 東京出身。コーヒチェーン勤務を経て、2006年にフィリピンで東京カフェを創業。 好きな書籍「たったひとりのワールドカップ」三浦知良 10年ぐらいの間、何度も読み返している本で、海外でパイオニアとして活躍するという点で共通する部分が多く、バイブルです。 好きな言葉~プライドは誇示するものではなく見せつけるものでもない。愛する人を守るためだけに使うもの~三浦知良 私にとって愛する人とは、妻であり家族であり、自分の下で働いてくれているフィリピンの従業員全員です 。