気象情報の有効活用で さまざまな分野に貢献したい
Weathernews Inc.
Operation Leader, Manila Operation Center 興梠 裕一(こうろ ひろかず)さん
昭和36年8月14日、浜松市生まれ。一橋大学法 学部国際関係課程卒。浜松のベンチャー企業に3年勤めた後、アメリカズカップというプロのヨットチームに在籍してヨットマンとして活躍。その後ウェザーニューズへ。2014年、マニラオペレーションセンターの立ち上げ時に、オペレーションリーダーとして来比。
〈心に残っている本〉
絶版なのですが『ウェザーキャスター』というアメリカの天気予報番組の歴史を描いた本です。実は、この本は私が翻訳しました。出版した後に、ウェザー ニューズの仕事の中で、テレビで天気予報のキャスターを務めました。実際に自分が天気予報番組での経験をすることになったものですから、特に心に残っています。
常夏フィリピンではお天気に無頓着だけれど、日本では毎朝天気予報をチェックするという人も多いはず。お天気によって左右される私たちの行動パターンは実は経済に深く関わっています。日頃あまり意識しないお天気と経済の関係を専門的な見地から語ってくれた興梠さん。ヨットマンから気象の世界への転身を経て今後目指す道とは?
編集部
Weathernews Inc.(以下「ウェザーニューズ」という。)のサービス内容についてお聞かせください。
興梠さん
ウェザーニューズという名前の通り、気象情報を提供するというのが会社のサービスです。 一番のポイントは天気予報の情報だけでなく、それによって影響を受けるお客様に、明日は お天気がこうなりますからあなたの業務ではこうした方がいいですよ、といった一歩踏み込んだ情報を提供するということです。提供先は例えば、船会社、航空会社、コンビニエンスストア、お弁当屋さんなど、様々です。
具体的に言いますと、船会社さんにはこの海域は何メートルの波で、何ノットの風が吹きますよ、といった気象データではなく、そういう状況だからこの船はこちらへ行った方がいいですよ、ここをこのくらいのスピードで走ってください、その後はこちらに行ってください、というような航路情報を提供しています。これを「推薦航路」と呼んでいます。単に気象情報を提供するよりも、お客さんが欲しい、本当の情報になりますよね。このようなサービスを様々な業種において行っており、私たちはこれを「(気象に対する)Risk Communication サービス」略してRCサービスと呼んでいます。
編集部
その中でメインの提供先は何でしょうか?
興梠さん
船会社さんになります。ウェザーニューズの起源は船から来ております。1970年に福島県の小名浜港の沖合で貨物船が座礁して15人の方々が亡くなりました。そのときに、この事故は防げたのではないか、そう考えたのがウェザーニューズの創立者、石橋博良でした。実は、彼が商社マンとしてこの船をチャーターして動かしておりました。小名浜沖に停めておくようにと彼が判断した結果、この事故が起きました。石橋は罪悪感を感じ、なぜこのような事故が起きてしまったのか、この事故は本当に防げなかったのか、必死に悩み、考えました。そして、気象情報が必要な人に必要な時にきちんと伝わっていれば防げるのではないか、これは天災ではなく人災ではないか、と考えるようになりました。色々と調べる中で、推薦航路を扱っている「オーシャンルーツ」という会社がアメリカのサンフランシスコにあることを知りました。それがきっかけで、彼は大手商社を辞めてそちらに転職しました。副社長を経た後、海のみならず陸でも気象のサービスができると考え独立し、ウェザーニューズを設立しました。さらにオーシャンルーツを買い取り、気象情報が陸、海、空、生活など様々な分野で役に立てるようにと試みを続けました。
編集部
船会社以外にはどういった業種がありますか?
興梠さん
全部で44種類ありますが、同じ交通系ですと、航空会社さんです。空港の気象条件が悪いので着陸ができないときは他の空港へダイバードする、もしくは引き返す、という場合 がありますよね。でも、そうすると余分にコ ストがかかります。それを回避するために、出発する前に「今出発しても目的空港で着陸できないからもう少し待ってください。」、あるいは出発するときに「上空である程度待てば着陸できますので、もう少し燃料を多めに 積んでください。」といった情報を提供します。 天候に合わせた業務改善ができるわけです。
それから道路業界にもサービスを提供しております。例えば、高速道路等道路管理をされている企業があります。降雪時、雪が積もってしまうと通行止めになりますが、そうならないように管理者は事前に融雪剤を撒きます。どの程度、どのタイミングで撒けばいいか、そして除雪車をどの場所にいつ待機させておけばいいかなど、私たちの情報を元に準備が行われます。
また、防災のために自治体にも利用していただいています。大きな自治体は基本的に国の気象機関の警報、注意報を元に判断します。ですが、個別の各市町村にとって、それは大まかな情報であり、どう対応するか判断するのが難しいです。そのような市町村では自分の市町村のどのあたりでどのくらい降るのか、川の氾濫する可能性等を考慮して、土嚢を積んだり対応策を準備したり、役所に待機する体制の判断などが行なわれます。
他にもコンビニエンスストアがあります。アイスクリームの売れ行きで例えると分かりやすいですね。同じ甘いものでもアイスクリームと氷系のあっさりしたもの、これらの売れ行きに気温の差があります。私たちはこれらの情報をデータベースで持っていて、明日はこういうものが売れる、売れないと予測できるので、アイスクリームがせっかく売れるのに品切れにならないよう発注判断を手助けできるわけです。
編集部
興梠さんの経歴についてもお聞かせください。
興梠さん
大学卒業後は、浜松のベンチャー企業に3年勤めた後、アメリカズカップに日本で初めて参加したプロのヨットチームに入りました。事務方も選手も兼ねていました。元々大学ではボート部でしたので、体育会系の学生のノリが再び、と言った感じでした。みんなで合宿して朝から夕方まで船に乗って、陸上に戻ってきたら筋トレするという日々でした。合宿所は伊勢志摩の鳥羽にあり、伊勢湾で練習をしていました。
水面に船を浮かべて戦うということに何か魅力を感じますね。ヨットは開放感があって楽しそうですよね。本当は違うんですけど(笑)。 ヨットはボートと違って風の力で勝負します。もちろん体力や船の設計などの総合力ですけど、風や波を読むことが勝負の大部分を占めるわけです。そういう世界に興味があり、若いうちしかできないと思って会社を辞めて、ヨットチームに入りました。 ヨットをしていた頃、船の上では通信が無いので、練習前夜に気象通報をラジオで聞いて天気図を書きました。その一連の作業が面白いと感じていました。当時、お天気の会社は 正直ほとんど知らなかったです。ヨットを辞めて仕事を探そうと思ったときに、私は海や船が好きなので、それに関わる仕事、さらに英語を使う国際的な会社で働きたいと漠然と考えており、念頭には船会社がありました。ところが、ウェザーニューズという会社があると知人から紹介されて行ってみました。その途端、どんぴしゃりとなったので他を考える余地もなかったですね。
編集部
企業のサポートはあったのでしょうか?
興梠さん
サポート企業はありましたが、潤沢な資金があったというわけではありません。バーレルなどの筋トレ用器具を購入するお金を抑えたかったので、バケツにコンクリートを流し込んで棒を立てたものを幾つも作りました。それを使用して、みんなで毎日トレーニングしていましたね。そのジムを私たちは「ジンバブエジム」と呼んでいました。当時オーストラリアチームのコーチが来てくれて いて、その中にアフリカのジンバブエ出身のコーチがいました。彼がそういうものを何でも手作りするんですよ(笑)。楽しかった思い出です。
編集部
ヨット整備は自分たちでされたのですか?
興梠さん
メンテナンスのチームを組んで、自分たちでやっていましたね。セイルが度々壊れるので、よく修理していました。
編集部
世界中で競技されましたか?
興梠さん
ヨーロッパとかアメリカとかに行きました。私は途中で体を壊してしまいましたけど、今でも当時の仲間の1人はアメリカズカップにチャレンジしています。彼は日本チームのキャプテンとして、今も活躍していますよ。
編集部
そういったバックグランドが現在につながるわけですね。
興梠さん
ヨットをしていた頃、船の上では通信が無いので、練習前夜に気象通報をラジオで聞いて天気図を書きました。この天気図だったら波や風はこうなると予測して、明日はどんな練習をしようとか、早めに切り上げようとか、予定を組むわけです。試合の時はその天気図を基に作戦を立てるわけです。今と違ってネットも無い時代でしたので、それは稚拙なものでしたけれど重要でした。その一連の作業が面白いと感じていました。当時、お天気の会社は 正直ほとんど知らなかったです。ヨットを辞めて仕事を探そうと思ったときに、私は海や船が好きなので、それに関わる仕事、さらに英語を使う国際的な会社で働きたいと漠然と考えており、念頭には船会社がありました。ところが、ウェザーニューズという会社があると知人から紹介されて行ってみました。その途端、どんぴしゃりとなったので他を考える余地もなかったですね。
編集部
会社の話に戻りますが、現在世界中にいくつの拠点がありますか?
興梠さん
今年、ミャンマーのヤンゴンと、ロシアのモスクワにオフィスができたので18カ国31オフィスになります。
編集部
その中でのフィリピンの位置づけとはどういったものですか?
興梠さん
天気予報を作って支援情報を加工するというセンターが大きく分けて3つあります。一つは東京。次にアメリカの オクラホマ。そしてヨーロッパでコペンハーゲンとアムステルダム。要は全世界を8時間ごとに見られる態勢を作っています。金融と同じでお天気も眠りません(笑)。その中で、マニラオペレーションセンターは東京本社のサポートをするという位置づけです。
このように全世界を3極体制でサービスしていますが、需要が旺盛で注文がどんどん増えたため、数年前、人員を増やす必要がありました。専門的な業務なので人員を見つけるのは難しいのですが、それでも何とか早い段階で人員を補充してサポート体制を構築しなければなりませんでした。そのときに船のことを良く知っている人が多くいる国ということで、フィリピンが候補に挙がりました。フィリピンは全世界の船員の約3割を占めています。日本の船会社における船員ということでは7~8割がフィリピン人です。フィリピンは世界一の船乗りの産地と言えますね。フィリピンには船会社関連のセンターが多く存在することもあり、ウェザーニューズもフィリピンにセンターを作ることになったのが2014年の10月のことです。それから東京と時差1時間なので、すごく便利な場所です。
編集部
フィリピンで事業をする魅力やメリットはありますか?
興梠さん
重複しますが、日本にもこの業務をしている社員の中に船乗りはたくさんいますけれども、フィリピンにいる社員はほぼ全員が船乗りの経験者です。商船大学を出てこの業務をしていますから、素人よりも飲み込みが早いです。進んでいる船がどうなっているか手に取るように分かります。船にも乗ったことが無いような人だと想像力が働かないですよね。波が4メートルで風が15メートル吹いていると言われても船がどんな状態か、普通はイメージできないですよね。それはサービスする上で非常に大きなメリットです。
編集部
世界中で何隻ほどにサービスを提供していますか?
興梠さん
全世界で約6,000隻の船舶にRCサービスを提供しています。航海中の船の中には、沿岸を走っている船もあれば、太平洋を横断するものもあります。沿岸を走っているだけならあまり判断は要りませんので、私たちのお客様は後者がメインになります。太平洋や大西洋を横断するとなると様々なルートがありますからその中で安全性や燃料などいろんな要素を加味した上で最適な航路を推薦しています。ウェザーニューズの船の動静チャートを見ると世界中の海運の動きが分かりますよ。
編集部
今、どういった物資がどこからどこに運ばれているか分かるのですね。
興梠さん
そうです。別の商売ができるかもしれませんね(笑)。船会社さんとの信頼関係でやっていますから、もちろん別の用途には使いません。船会社さんの船、荷物、乗組員の安全に関わる仕事を委託されていますから責任重大です。命に関わり、それを守る任務だということをみんな意識しています。
編集部
ウェザーニューズさんの情報を利用したときに得られるメリットとは?
興梠さん
安全を確保した上で、さらに効率的にコストセーブして物を運べます。最短時間で物が運べるだけでなく、燃料をセーブすることもできます。様々な航路があり、目的によって選択肢を選べます。早く行きたい場合、早くなくてもいいから燃費を抑えたい場合など、お客様が何を求めているのかを確認した上で航路を推薦します。さらに言いますと、船会社の役割として二酸化炭素の排出量を抑えるという目標もあります。これはなるべく燃料を使わないことにつながりますよね。そのための推薦航路もあります。ですから安全面のメリット、経済的なメリット、社会貢献的なメリットなどを提供できます。
編集部
観測インフラを自前で用意されているとお聞きしました。その経緯や工夫している点は何ですか?
興梠さん
お天気の観測インフラには衛星や風力のレーダーなどがありますよね。そういうものは何十億円もかかります。国家予算レベルです。なかなか一民間企業で作れるものではないですよね。私たちも初期段階では国が観測したデータを使っていました。ですが、そのような衛星やレーダーなども目的を絞ると、もっとコストを抑えて作れるわけです。さらに既存の部品を使って工夫すれば、もっと簡易的でローコストなものができます。そういったものを自分たちで開発してみようと考えついたのが始まりでした。
例えば、元々は飛行機で雨を観測するのに使用されているレーダーを陸上で観測するように目的を変え、雨雲レーダーを開発しました。世界中で飛んでいる飛行機に使われているレーダーなのでコストが安いです。また、通常は船に搭載されている衝突防止のレーダーを利用して、陸上に設置して津波を観測する津波レーダーを作りました。これら以外にも、揺れセンサーという地震を感知するものがあります。この中のセンサーは携帯電話の中にある部品を利用しております。
編集部
衛星はいかがですか?
興梠さん
なかなか出回っているもので流用できるものはないですね(笑)。一から作ることになりましたが、目的を絞っているので小さく作れましたよ。衛星ひまわりみたいな大きなものではありませんけどね。打ち上げは他の人たちと一緒に私たちの衛星も乗せてもらうという、乗り合いバスみたいに打ち上げるロケットがあります。それに乗せてもらって、宇宙空間で開放してもらいました。このような衛星は北極の氷を観測するためだけ、電磁波を観測するだけ、と目的を限定しているから小さなもので済んでいます。通常は何十億円もするものを、少し考え方を変えて手頃に作ります。これを「無常識インフラ」と呼んでいます。非常識とは常識を知らないことを指しますけれど、無常識は常識を知っている上でそれに縛られないで行うことです。私たちの定義ですけれどね。
編集部
次に、フィリピンでは通信インフラが脆弱で通信が遮断されたりということがありますが、どういったケアをされていますか?
興梠さん
確かにそこはポイントですね。フィリピンには船乗りがたくさんいるから来ました。どこにオフィスを構えようと考えたときに、通信環境が良いところということでマカティになりました。マカティもこれだけ企業があるところですから通信環境は守られていますけれど、それでも台風が来たら止まるだろうし、困りますよね(笑)。それなので、つい最近ミャンマーのヤンゴンにバックアップオフィスを作りました。そちらにもフィリピンと同じくらいの規模のセンターを作りまして、6月初め頃に開所式を行ったところです。ヤンゴンでは台風の影響はありません。マカティとヤンゴンの2つのオペレーションセンターで東京本社をサポートしています。
編集部
フィリピンで事業を行う上で苦労している点は何ですか?その問題点をどう解決していますか?
興梠さん
インフラ整備が不十分なところと通勤時の交通渋滞でしょうか。空気も綺麗ではないですし、治安も安定しているとは言えないですよね。しかし、どこに行っても少なからずそのような問題はありますから、ある程度は仕方ないですよね。
交通渋滞の件であれば、シフトをずらすという取り組みをしています。私たちは24時間体制で組んでいますから、出勤時間がピーク時に重ならないように上手く調整することが可能です。例えば、ある従業員は朝6時に来て、15時に帰ります。帰りも渋滞を避けられるので、家族との時間も取れますよね。それに合わせて日本側でも調整をしなければいけませんが、メリットはありますね。
それから、フィリピンでは仕事をする上でコミュニケーションや良好な人間関係が大事ですよね。ですので、パーティやクリスマスなどのイベントをしっかりするようにしています。先日、初めてアウティングを実施しました。当社は24時間体制なので、社員一斉には休めませんが、参加可能な社員が全員集まりました。当日、お昼12時まで仕事をして、その後バスに乗って4時間かけてビーチに行きました。そこでキャンプをして、翌日12時に出て、16時にオフィスに到着。そこからまた仕事をする、という弾丸ツアーをしてきましたよ。でも、実施して良かったです。こちらの人は黙々と仕事をしても続きませんからね。モチベーションを高めるためにどうやるかということですね。
編集部
フィリピン国内でこれからどのような事業、サービスを展開する予定ですか?
興梠さん
現在、フィリピンで実施しているのは船会社さん向けのサービスで、日本と一体化して事業を行っております。日本では船会社さん向け以外にも事業があり、今後はフィリピンでのサービスも様々な分野に延ばしていく予定です。近いところでは、航空会社さん向けのサービスを増やそうとしています。船と同様、飛行機も気象の影響を相当に受けます。ただ、フィリピンではまだ航空業界向けのサービスは十分ではありません。こちらの国ではPAGASAさんがサービスを提供していますけれども、予算的にもインフラ的にも人材的にもまだ十分ではありません。情報が少ない中で飛行機が飛んでいるわけです。飛行機の安全な運航をするためには、正確な気象情報と観測情報と予測情報が必要なのです。プライオリティー1番で準備を進めております。次はメディア向けのサービスですね。テレビや携帯に気象情報を出していくことです。テレビの気象情報は大まかですよね。そもそもあまり見られてないかもしれませんね(笑)。フィリピンは天気の変わり方がワンパターンです。雨季と乾季と、季節は二つしかありません。雨季の中で毎晩雷雨はあるけれど、今どこで雨が降っているのか、ネットを見ても載っていないので分からないですよね。豪雨があったら浸水し、交通渋滞がおきますが、どこで交通渋滞が起こっているか分からないですよね。日本では当たり前のレーダーですが、こちらで見たことないですよね?もし、この後どの辺りで豪雨になるかが分かれば、この辺で洪水が起きて渋滞するからこちらから帰ろうか、もう少し早く帰ろうか、などという判断ができます。フィリピンでは雨に基づく渋滞があるわけです。それを緩和するサービスを作っていけたらいいですね。
あと日本ほどの細かい台風情報はないので、そういったものを出していきたいです。ミンダナオではバナナなどのプランテーションがありますから、農業向けの気象情報も提供していきたいと考えています。
編集部
船乗り経験や知識があるフィリピン人スタッフが多いとのことですが、その獲得、教育はどうされていますか?
興梠さん
獲得のところは経験が無かったので、マンニング会社に委託して人を募って派遣してもらった上で、人選しています。
教育に関しては、立ち上げの時は日本での研修を実施しておりました。6名ずつのグループを作り、日本で2ヶ月間研修した後、フィリピンでの勤務をスタートさせました。現在は日本に行かなくてもよくなり、ここに日本やアメリカからのコーチを呼んで研修をしています。研修内容は、人によって様々です。基本的に皆船乗りなので、その知識は既にあります。それなので、その次のステップとしてお天気に関することを教えます。海域別に注意する点、エリアごとの特長的な気象、海流の種類、季節毎の特長などです。それから、お天気に合わせた操船や判断基準も含みます。あとはシミュレーションツールの使い方ですね。毎日、船からどんどんデータが送られてくるので、それを使用してシミュレーションを行い、得られた結果を船長に向けてメッセージを送る方法を学習してもらいます。
編集部
フィリピン人スタッフの優秀なところ、逆に大変なところがあれば教えてください。
興梠さん
優秀なのは物怖じしないで話ができるところです。コミュニケーションが上手ですよね。陽気でフレンドリーだから、社内は笑いが絶えないですよ。東京本社はシーンとしておりますが、研修で6人グループが本社に行ったときに、あのシーンとしている中で歌を歌うわけですよ。どうにかしてくれと言われましたね(笑)。それをデメリットとして捉えると、仕事中にワイワイと会話が始まってしまうことでしょうか。話題が仕事から脱線してしまうこともありますね(笑)。
編集部
フィリピン人社員、日本人社員は何名くらいですか?
興梠さん
フィリピン人社員は60名弱です。駐在している日本人は私1名です。他に出張ベースで日本人スタッフ数名が来ています。
編集部
海外で働く日本人に対して思うことはありますか?
興梠さん
フィリピンではOFWで海外に出稼ぎにいくことが当たり前ですよね。英語も話せます。それに対して日本人は同じ島国ながら、その点に関してまだまだだなと思いますね。日本は国際的だと言う人もいますが、商品が海を越えて行っているだけです。フィリピンよりも島の中に閉じこもっている人が多いという感じはしますね。日本人も流暢に英語が話せるようになったらいいなと思います。
編集部
座右の銘、好きな言葉は?
興梠さん
「Do your best」ですね。やれるときに最大限やれることを頑張る。「やらずに後悔するよりやって後悔せよ」という言葉も好きですね。
編集部
プライベートな時間はどのように過ごしていますか?
興梠さん
友人や知り合いと集まって飲みに行ったりします。1人のときは現地の人が行くようなマーケットに行ったりしますね。マカティ市役所の近くとか。値段も10分の1くらいで安いですし、新鮮ですよ。土日にふらっと行きます。あとはジムに行きますね。
編集部
ご自身の今後の展望や夢についてお聞かせください。
興梠さん
2年前にマニラオペレーションセンターを立ち上げて、現在はさらに新しい分野を開拓しようとしています。
アジアの中でもフィリピンは特に台風被害が多いところですし、今後もヨランダの時のような被害を受けることが出てくるでしょう。それをできるだけ小さくするようにしたいです。まずメディアに情報を出すところを強化します。具体的には、観測データを増やして、それに基づく予報データを作り、それがきちんと伝わるような環境を構築します。そうすることによって、被害を最小限にしていきたいですね。日本はあれだけ台風が来ても大雨が降っても最小限で抑えています。フィリピンは日本に比べてあまりにも情報が少ないので、やらなければならないことはたくさんあると感じています。
それから、昔フィリピンに渡ってきた人で、呂宋 助左衛門(るそん すけざえもん)という人をご存知ですか?彼は 大阪・堺の商人で、安土桃山時代にフィリピンに渡って貿易をし、秀吉に重宝がられて豪商になりました。日本とフィリピンの架け橋となって成功を収めた人です。私も今、平成の呂宋 助左衛門となって、お天気の分野で 成功させ、結果としてフィリピン人のためになることをしたいと思っています。