フィリピンで「リアルジャパン」を展開する
三菱商事株式会社
シニアデペロップメントオフィサー
栗生 祐太郎さん
1983年米国ロサンゼルス生まれ。東京理科大学卒業後、JR東日本に入社。入社当初から非鉄道部門に所属し高架下や駅周辺などの沿線開発に携わる。2016年に三菱商事に出向。同年10月から海外不動産開発の担当者として渡比し、現職。
〈心に残っている本〉
エリン・メイヤー教授が書いた〝異文化理解力“という本です。異文化を理解することの重要性を教えてくれます。例えば、アメリカ人は部下を評価する際にポジティブなことを直接的に伝え、ネガティブなことをほのめかす傾向があるのですがフランス人はこの逆でポジティブなことをほのめかし、ネガティブなことを強調して伝えます。ですのでアメリカ人の上司がフランス人スタッフのパフォーマンスを評価するとフランス人は褒められていると感じるそうです。文化の違うフィリピン人と働くにあたって色々考えさせられた一冊です。海外で働く人には必読の1冊だと思います。
2016年10月に三菱商事のシニア開発オフィサーに就任した栗生さん。近年、フィリピンではショッピングモール内に日本コンセプトの商業エリアや日本のコンテンツに対して注目が集まっている。JR東日本で培った沿線再開発のノウハウを糧に、不動産開発を通じて海外と日本をつなげる仕掛け作りに注力する。
編集部
経歴をおしえてください
栗生さん
1983年に米国ロサンゼルスで生まれ、父の仕事の関係で3年ほど住んでいました。その後は神奈川県川崎市に移り、高校は佼成学園、大学は東京理科大学経営学部に進学しました。
編集部
なぜ東京理科大を選ばれたのですか?
栗生さん
高校時代、サッカーと水泳に受験ぎりぎりまで打ち込んでしまったため、現役時代は思うような結果を残せず1年間浪人。浪人中に物理が大好きになり将来は物理学者になろうと考えていました。努力の甲斐もあり某理工系国立大学に合格したのですが、両親が行った入学手続きに不備があり、急遽入学資格が消失してしまいました。その連絡を受けたのが3月中旬だったので多くの大学は入学手続きの受付を締め切っていたのですが、東京理科大学だけがまだ入学の受付をしていたので期限ギリギリで手続きをして進学を決めました。未練を残したまま他の大学で物理学を学ぶのが嫌だったので、全然違う分野で見聞を広めようと思い経営学部に決めました。
編集部
当時の心境はいかがでしたか?
栗生さん
結構達観していました。「そうか、物理学者にはなれないんだ。どうしようかなって。」でも、起きてしまったことを悔やんでも仕方がないので全く別の道に進むことにし、「自分が選択した道を最善にしよう」決意しました。振り返ってみると私の人生の大きな転機だったように感じます。
編集部
卒業後は2006年にJR東日本入社されました。
栗生さん
当時JR東日本がエキナカビジネスを他社に先駆けて仕掛けていた時期だったので面白そうな会社だなと思ってエントリーしました。当時は皆、エキナカをやりたいと言ってましたが私は“駅から始まる街づくりをしたい”と駅周辺開発を志望動機にしていました。おかげで入社後は希望通り不動産部門に配属にしてもらえました。
編集部
どのような仕事を手掛けられたのですか?
栗生さん
入社して約半年間はJR東日本が保有している用地の管理をしていました。当時の上司の口癖が「開発の根幹は管理から」だったので不動産開発を担当する前に用地管理業務を拝命しました。あまり知られていないのですが実はJR東日本は日本でも有数のランドオーナーで約1万8000ヘクタールもの土地を保有しています。(1ヘクタールは10,000平方メートル=約3,000坪)これは東京ディズニーランドとシーを合わせた面積の約180倍にあたる面積です。用地管理業務の主な業務は巡回管理で徒歩でJRの所有地をまわり点検することで大体1日10㌔近く歩いていました。東京担当だったので都内の線路付近はすべてまわりましたね。巡回業務は2人一組で行い、巡回ルートごとにペアが変わります。主に役職定年された社員や再雇用・嘱託社員が担当していた業務だったので新入社員は私だけでした。2人きりでほぼ一日一緒に歩くので自然と会話が増え、国鉄時代の話や会社の歴史など良く教えてもらいました。経験豊富な人達が代わる代わる毎日マンツーマンで仕事に対する姿勢やマナーなんかについてもレクチャーしてくれるのでとても勉強になりましたね。もしかすると社会人としての立ち振る舞いの基礎はここで形成されたのかもしれません。 用地管理業務は一見するとつまらない仕事に見えますが、自分の目で足で現場を確認する作業は学ぶことが多かったように思います。
編集部
その後はどのようなご担当になったのでしょうか?
栗生さん
半年間の用地管理業務の後は念願の開発業務で高架下の開発を担当させてもらいました。東京都内の高架下のいくつかの店舗は私が担当したお店で未だに店の前を通ると色々な苦労が思い起こされます。2008年から2013年までは御徒町・秋葉原間の高架下開発プロジェクトというものが立ち上がった時にはプロジェクトメンバーの一員として開発を手がけました。プロジェクトチームに参画した時は下っ端だったはずなのですが気づいたらプロジェクトリーダーになっていました。 同時期に鉄道の新しいルート「上野東京ライン」を開通させるための業務も担当していて、周辺住民や高架下利用者に協力を仰いで用地取得などを進めていました。
編集部
かなりハードな仕事内容ですね
栗生さん
協力を仰ぐと綺麗な言葉を使えばそこまでですが、交渉している内容は土地の権利関係に関する事なので入社3年目の若造にはなかなかタフな仕事でした。今でも鮮烈に心に残っているのは交渉時に言われた「あなたは大企業の傘に守られている」という言葉です。交渉相手には長い間、同じ場所で経営をされていた自営業の方もいらっしゃったし、年配の方もいらっしゃいましたが皆さん、必死に商売をしてお金を稼いで生活しているところに会社から給料をもらってのうのうとしている若造に色々と言われたら腹立ちますよね。交渉の中で相手に泣きつかれたりコーヒーをかけられたりしたこともありました。経験を積むうちに交渉をしている相手の人生を大きく変えてしまう交渉であることを実感し、とにかく先方の希望に添えるように相手側の立場に立って物事を考えるように努めました。先方との信頼関係を築くことが最も重要でしたね。その後は本社でJR東日本の保有する不動産の運用戦略を統括しました。
編集部
どのような事業を手掛けられたのですか?
栗生さん
1番大きな話題は北陸新幹線の開業ですかね。本社の案件ですと支社よりも事業規模が大きくなるので一人で何でもやるというわけにはいかなくなるので現場の担当者とよく対話しながら状況を判断して戦略を立てるという感じで進めてました。本社で働く他の社員と比べても現場には良く足を運ぶタイプで、本社のホワイトカラー社員なのに夜間に徹夜で行われる土地の測量作業に参加したり、北陸新幹線の新規開業部分約50㌔を全て歩いて境界確認をしたりしていました。他にはバスタ新宿がある新宿駅新南口や千葉駅の再開発なんかも担当していました。
編集部
駅の再開発に携わっていらっしゃったのですね
栗生さん
そうですね。元々、今の会社に入社した動機が「駅から始まる街づくりをしたい」ですからね。フィリピンに来る直前に担当していた品川新駅の開発事業なんかは入社前から手掛けてみたいなと思っていたのでまさに念願叶ったという感じです。品川新駅の再開発エリアは東京都心を走る山手線の品川―田町間です。2024年に新駅(2020年に暫定開業)を設置するので、再開発事業や都市計画申請のための土地の整理を担当していました。もともと車両基地があった場所を利用する予定で、東京で最後の大規模開発ともいえると思います。
編集部
その後三菱商事に出向されたのですね
栗生さん
三菱商事とJR東日本で協業して海外若しくは国内で何かビジネスを仕掛けられないかという趣旨で2016年に三菱商事に出向しました。最初の3カ月は三菱商事の本社で商社の企業文化などを学び10月からフィリピンに赴任。不動産事業を担当しています。日本をテーマにした商業エリア「ジャパンタウン」も担当の一つです。
編集部
フィリピンに来てからはいかがですか?
栗生さん
こちらに来てからはまずパートナー企業と関係を作っていくことから始めました。今手掛けている「ジャパンタウン」プロジェクトのパートナーであるアヤラからの要請もあり2017年1月から日本をテーマにした商業エリア「ジャパンタウン」のプロジェクトマネージャーとしてプロジェクトを統括するようになりました。
編集部
なぜジャパンタウンの事業が始まったのでしょうか?
栗生さん
フィリピン国内にショッピングモールが乱立し徐々にモールに個性が無くなり金太郎飴状態になってきたので、他のモールとの差別化を図りたい大手財閥アヤラグループがJapan コンセプトの商業施設を作りたいと三菱商事に声をかけてきたのが始まりです。アヤラとしてはライバルのSMに対抗したかったのだと思います。日本にはまだまだフィリピンに知れ渡っていない魅力的なコンテンツが多々あるのでアヤラは三菱商事を使ってそのコンテンツを仕入れることが狙いなんでしょうね。
編集部
ジャパンタウンのコンセプトを教えてください
栗生さん
「リアルジャパン」です。ジャパンタウン自体は珍しいものではないのですが、大体どの国のジャパンタウンも江戸だとか屋台、提灯といった古い日本のイメージばかりでリアルジャパンからは程遠いものが多いので、ありのままの日本を打ち出して差別化を図りたいと思っています。
編集部
現在の日本の姿に近いコンテンツを展開するのですね
栗生さん
はい。固定化された古い日本の文化ではなく、実際に日本で流行っているものを紹介していきます。
編集部
出店の目標を教えてください
栗生さん
一応、アヤラとの話ではアヤラのモールで展開する日本コンセプトの商業施設は三菱商事と進めることになっているのでまずはグロリエッタでロールモデルを作り、アヤラが今計画している新設のモールにコピーしていけるような仕組みを作っていきたいと思っています。グロリエッタのジャパンタウンは2019年2月に開業予定です。フィリピンの人たちにリアルジャパンを楽しんでいただける場にしたいです。
編集部
フィリピンの印象はどうですか?
栗生さん
とにかく皆さん陽気です。私のこっちでのプライベートの友人はほとんどがフィリピン人でいつもワーワー、キャーキャー言っています。現地スタッフの実家にもたまに遊びに行かせてもらうのですがお年寄りから子供まで皆明るくて賑やかです。
編集部
今後の目標はございますか?
栗生さん
日本の文化を海外に発信して、それぞれをつなげるような仕事に携わりたいです。日本人の知見や世界をひろげていきたいですね。
編集部
休日はどのように過ごされていますか?
栗生さん
子供とショッピングモールに行くことが多いです。たまにフィリピン人の家にフラッと遊びに行ってフィエスタ(飲んで食べて歌うフィリピン人の休日の過ごし方)を楽しみます。
編集部
座右の銘は?
栗生さん
為せば成る。迷ったらやる。
編集部
今後の夢や展望を教えてください
栗生さん
日本にいると、人々の心が貧しくなっているように感じることがあります。余裕がない、他者を許容できない世の中になってきている気がしますね。ニュースを見ていても不倫ゴシップがあった芸能人を強く批判するほか、道路で肩がぶつかっただけで人を殺害する事件もおきています。フィリピンは経済的にはあまり裕福ではないですが、皆さん明るい。フィリピンで学んだことを日本に持ちかえり、うまく何かの形にできたらと思います。