日本の魅力を発信し国内外でファンを増やす
JNTO(日本政府観光局)
マニラ事務所所長
藤内 大輔さん
1970年福岡県出身。上智大学の外国語学部ロシア語学科卒業。1993年に日本政府観光局(以下JNTO・旧特殊法人国際観光振興会に入局。米ロサンゼルスに2度にわたって計8年間駐在し、事務所所長などを歴任。海外旅行客の日本誘致に取り組む。2017年にマニラ準備室を開室、18年10月から現職。
〈心に残っている本〉
谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』(いんえいらいさん)です。欧米が光を重視する一方、日本は影を大切にする。そういった日本文化の歴史を綴るエッセイです。普段は海外と関わる仕事をしているので、日本文化やその本髄にふれるものが好きですね。アジアや東洋の文化に関心が高い海外の方もいらっしゃるので、自分も教養を身につけたいと思います。
2018年10月に開所したJNTO(日本政府観光局)のマニラ事務所。初代所長に就任した藤内さんはこれまで米国などで経験を積み、日本の観光創造に長年携わってきた。近年ではアジアからの訪日客が急増している。フィリピン訪日客のさらなる獲得を目指し、新たな観光需要の創出に汗を流す。
編集部
出身地を教えてください。
藤内さん
1970年7月に福岡県で生まれました。高校までは福岡で育ち、1989年に上智大学に進学。父が柔道の指導者としてドイツに行っていたこともあり、海外に関心がありましたね。将来は国際的な仕事に就きたいと漠然と考えていました。
編集部
大学は何学部に進学されたのですか?
藤内さん
外国語学部でロシア語を専攻しました。当時は冷戦が勃発した時期だったので国際政治に関心があり、ソ連や東欧の政治や経済を勉強しましたね。ロシア語の修得は難しかったですが、今でも文字は読むことができます。
編集部
就職活動はどのように進められたのでしょうか?
藤内さん
1992年に就職活動をしていたのですが、物を書いたりするのが好きだったので、新聞記者に憧れていました。海外にいって取材をしてみたいと思いましたね。しかしたまたま大学の就職課でみつけたJNTOの募集案内が目にとまったのです。意外にも多くの卒業生が就職しており、記者になるよりも直接的に海外と関われる仕事かもしれない。そう考えて入社を決めました。
編集部
JNTOの活動や歴史を教えてください
藤内さん
団体の前身となる組織は特殊法人として1964年に設立されました。大元は今のJTBと同じ母体だったと聞いています。当時は高度経済成長期で、外貨を獲得し日本経済を発展させるための施策に取り組んでいました。海外から旅行客を呼び込み、外貨を取得するというのが設立の主旨です。
編集部
入社後はどのようなご担当だったのですか?
藤内さん
1993年に入社し、国際会議の誘致活動に携わったり経理部で経験を積んだりしました。その後2001年からロサンゼルスに勤務になりました。
編集部
アメリカに行かれたのですね
藤内さん
当初はとにかく関係団体や企業に挨拶にまわりました。しかし9月に同時多発テロが起こり、一気に情勢が変化。「飛行機に乗るなんてとんでもない」という気運になりましたね。私の重要なミッションは落ちるところまで落ちた旅行需要を、どれだけ回復させられるかというものでした。幸い日本では2003年から小泉純一郎首相のもとで「ビジットジャパンキャンペーン」が始まりました。これは同年523万人だった訪日外国人客数を2010年に1000万人にするというものです。我々に予算が多く割り当てられたため、プロモーションに力を入れることができました。2005年には愛知万博もあったので、よいきっかけになりましたね。
編集部
どのように旅行需要を回復させたのでしょうか?
藤内さん
まずは航空会社と一緒に、安全性に関して説明にまわりました。日本に行くためには、まず飛行機にのってもらう必要があります。そのためとにかく安全性を伝えることが第一でした。今でもマーケティング調査をしますが、日本の良いところの1つに安全というキーワードがよく出てきます。今でも教訓として残っているのが、テロをきっかけに身についた「安全旅行」という考え方ですね。
編集部
アメリカ勤務の後はどちらにいかれたのですか?
藤内さん
2005年に日本の本部にもどり、引き続きアメリカ関連の仕事をしていました。そして2回目の赴任で再度2011年にロサンゼルスに戻りました。
編集部
ちょうど東日本大震災の頃と重なりますね
藤内さん
地震が発生した時は日本の職場にいたのですが、帰れないスタッフが多く発生し、電話もネットもつながりませんでした。しかしその時自分が日本で経験していたからこそ、アメリカで直接、自分が見聞きしたものを伝えることができたと思います。震災直後は「日本なんてとんでもない」と思われていましたたが、徐々に回復してきていると伝えると、次第に納得してくれたので安心しましたね。その後2015年8月に帰国し、本部で勤務になりました。
編集部
どのような業務に取り組まれたのですか?
藤内さん
事務所の新設に携わりました。2020年に訪日客数4000万人を達成するために、JNTOの事務所を新たに7箇所を設立することになったためです。訪日客は多いものの事務所がまだ整備されていなかったベトナムのハノイやマレーシアのクアラルンプールに新設が決定。そしてフィリピン・マニラにも事務所を構えることになったのですが、手続きが難航したため、まずは準備室を2017年3月に設立しました。
編集部
開所に時間がかかったのですね
藤内さん
我々は半官半民のため、どのような形態で事務所を構えるかという方針が固まるまでに時間を要しました。日本側との議論が難航しましたが、民間方式での設立が決まり、2018年10月にやっと事務所を開設しました。フィリピンの観光大臣や観光庁長官や弊団体の理事長などに開所式にきていただいたのが、何よりも1番ありがたかったです。まずは早急に事務所内で必要な設備などを整えたいと思います。ようやく現地スタッフの採用も始めることができました。2月8日~10日にはフィリピン最大の旅行博もあり出展を予定しています。フィリピンの方々からの日本人気は高いので、鉄道やホテル、テーマパーク業者など16の共同出店社にも参画してもらう予定で準備を進めています。
編集部
フィリピンの訪日客数は多いのですか?
藤内さん
2012年は8万人だった訪日客数が2017年には42万人、2018年は11月までの累計ですでに2017年を超える約45万人となり過去最高、年間で50万人に迫る勢いです。これはビザが緩和され、旅行しやすくなったことが大きな理由です。また2013年には日本とフィリピンの間で「オープンスカイ協定」が締結され、直行便の乗り入れができるようになりました。その結果セブパシフィックなどの格安航空会社(LCC)が多く就航できるようになったので、予算を抑えた旅行がしやすくなっていると思います。(今年の来日数をお入れください)。
編集部
フィリピンの訪日客の変化はありますか?
藤内さん
観光庁の調査によると、2014年からは急激に観光目的の訪日客が増えました。訪日客のうち以前は3割弱程度が観光目的で来日していたのですが、17年は8割を超えています。またリピーターの増加も特徴ですね。一度取得すると何度でも日本にいける「マルチビザ」の取得が2013年から可能になったため、複数回日本を訪れる人が多いです。今後もさらに若い人を中心にリピーターを増やしていきたいですね。
編集部
リピーターはどのような場所を訪れているのでしょうか?
藤内さん
宿泊統計をみるとまだ東京や大阪が多いです。しかしそれは東京や大阪以外の都道府県の情報が足りていないともいえます。今後は北海道へ直行便が就航します。ほかに九州などにも魅力的な場所が多くありますので、各自治体と協力して観光客獲得に向けた情報発信に努めたいですね。中国や韓国、タイなどを重点市場にしている自治体はありますが、フィリピンを重視しているところはまだあまり出てきていないのが実情です。
編集部
どのような取り組みが今後必要になりますか?
藤内さん
まずはフィリピンの旅行会社の人に日本の情報を提供することが大切です。日本からセールスにきて地域情報を発信したり、セミナーの開催や相談会も有効ですね。あとはフィリピンの方々は個人旅行でも10人ほどの規模で旅行をする場合が多いので、柔軟に団体料金を設定するなど、日本側の受け入れ体制の強化も必要です。例えばコース料理の最初にご飯を提供することに抵抗がある老舗の料亭などがありますが、フィリピンの方々はご飯を好みますので、細かな点の擦り合わせも重要かと思います。
編集部
フィリピンの方々は日本の何を楽しみにされているのでしょうか?
藤内さん
ラーメンなどの食事や買い物、そして「写真映え」スポットでの撮影が人気が高いですね。嗜好を丁寧に把握するためにアンケートを取り、定期的に日本に提供しています。日本には四季があるため季節ごとに違った景色を見られるのも魅力です。土地によって違う気候や食べ物を楽しむことができます。
編集部
プライベートな時間はどのように過ごされていますか?
藤内さん
ゴルフの練習をしたり、日本から家族が訪れた時は旅行に出かけたりします。
編集部
座右の銘を教えてください。
藤内さん
フィリピンにきてからは七転び八起きです。事務所開設まで1年半と紆余曲折しましたので、今後も粘り強くいたいですね。