このコーナーでは毎回フィリピンと深い係わりのある、またはがんばる日本人を紹介していきます。
今回は、マニラ学習塾の塾長を務める石川誠司さんにスポットを当てました。
自分で考える力と、人を思いやる気持ちを育む(前編)
マニラ学習塾 塾長
石川誠司さん
マニラ学習塾
石川さんがフィリピンの土を初めて踏んだのは、大学3年を終えた1982年の春。以来、フィリピンに興味を持ち、大学を卒業した1983年に本格的にフィリピンに住み始めた。その後、当時アルバイト講師として勤めていた塾を買い取って今の「マニラ学習塾」を創立。やがてフィリピン人女性と結婚し、3人の子宝を授かって今に至る。
日本で一般的に行われている、いわゆる『詰め込み教育』には反対だ、と石川さんは言う。
「日本の子供たちに対する俺の教育方針は、まず自分で考える力をつけさせること。生徒たちとは、学力と思考力をつけさせることを常に考慮しながら付き合っている。次に学力以外の人格形成。要するに人を大事にする気持ちだね。ちゃんと挨拶ができたり、人の話をちゃんと聞いたりできるようにすることがこれに含まれる。」
勉強というものは、自分と相手を良く知るための手段。学力と人格を両方ともバランスよく磨いてあげられなければ、それは教育とはいえない、というのが、「石川教育」の基本となる考え方だ。
「もちろん、俺の考え方とは違う考え方を持っているお母さんや子供もいるが、無理強いはしない。ただ、石川教育を一度でも体験してもらえば、その良さをきっとわかってもらえると思う。」
癌との戦いと教え子の死
言いたいことをいい、やりたいことをやる。常に楽観的でエネルギッシュな石川さんも、さすがに病には勝てなかった。一時期癌にかかり、相当苦しんだのだ。幸いなことに、治療のおかげで癌細胞は完全に消え、今はまた元気に教鞭を振るっている。
「俺は幸運なことに癌を克服することができたが、20年前に癌で亡くなった教え子のことを思うと、今でも心が痛い。」
小学6年から中学3年までの4年間、石川さんの塾に通っていたその女の子は、とても石川さんになついていたそうだ。ところが日本に帰国後発癌し、それから2年間にわたる闘病生活の末、亡くなってしまった。
「あの時、俺は塾の授業を休むことができず、日本に帰ることができなかった。そのために結局見舞いに行ってやれなかったことを、今でもすごく後悔している。」と石川さんは過去のつらい思い出を語ってくれた。
次回へ続く・・・
プロフィール
石川 誠司 (いしかわ せいじ)
マニラ学習塾 塾長
1960年生まれ。
1983年に上智大学を卒業し、その年の8月からフィリピンに住み始める。その後、現在のマニラ学習塾を設立。1985年にフィリピン人と結婚、現在子ども三人。1995年にパヤタス地区の子どもたちを対象とした教育活動KKKを創設。