ここフィリピンでも、より存在感を持つ
ロジスティックスカンパニーへ!
NXフィリピン株式会社 NIPPON EXPRESS PHILIPPINES CORPORATION
社長 森 啓輔 氏
世界で7位、日本を代表するロジスティックス企業・日本通運は、2022年1月から全世界において社名変更、フィリピンでも【フィリピン日本通運】から【NXフィリピン】とし邁進中だ。コロナ禍を経てフィリピンでどのようにビジネスを展開しているのか。NXロジスティクスフィリピンの社長を兼務する森氏にご自身のビジネスパーソンとしての活躍を含めお話を伺った。
編集部
社名変更された経緯を教えてください。
森氏
当社は長期ビジョンとして「グローバル市場で存在感を持つロジスティクスカンパニー」として海外売上比率50%を目標に掲げています。プレゼンスとお客様からの認知向上とブランディング強化のために、日本国内の関係会社および全世界の現地法人名を【NX〇〇】に統一しました。
当社の企業メッセージ「We Find the Way」には運ぶこと、それは新しい未来をつくろうとするお客様の思いを実現すること。どんな時でも、ただ一つの最善の方法を見つけ出し、必ずやり遂げる。このような私たちの強い意志と自信をこの企業メッセージに込めています。フィリピンにおいても刻々と変化するお客様の物流ニーズに最適なご提案をしていきたいと思っています。
編集部
NXフィリピンのこれまでの展開を教えてください。
森氏
当社は1995年に設立しました。成立当時の従業員は10名程度でしたが、現在は輸送を中心としたNXフィリピン、保税倉庫を中心としたNXロジスティクスフィリピンの2社を合わせ1800名程度の社員を抱えています。弊社は、セブ、ダバオにも拠点を設けて各種輸送、保管業務を行っています。
フィリピンの国際航空貨物輸送については、弊社は20%程度、フィリピン国内の業界トップシェアを維持しています。
現在のフィリピンの課題としては、PEZA企業に与えられている優遇税制を縮小させる動きがある点です。これで海外から見た生産地としてのフィリピンに対する魅力が薄れ、外国企業の投資が減少することになるのではないかと危惧しています。
その一方で、フィリピンは平均年齢が若く(2021年時点25・3歳:出典 Philippine Statistics Authority (PSA)データ)、人口ボーナス(2023年2月時点で15〜64歳までの労働力人口比率は66・6%:出典 PSAデータ)の点からも消費地としての魅力は高く、小売業を始めとして販売系企業の進出は今後も期待が持てると見ています。
編集部
森さんご自身のことをお聞きします。
森氏
弊社では陸・海・空と事業が分かれており、横異動はあまりありません。私自身は日本通運入社後、長年に渡り国際航空貨物部門の営業として従事しました。東京勤務を経て2009年に蘇州支店長として中国に赴任したのですが、当時の中国はGDP成長率が7~8%程度を維持しており、日系企業の新規進出も多く、拡大の一途をたどっていました。
中国でまず驚いたのは、、電車のシートを予約しても、ほぼ間違いなくその席には誰かが座っている(笑)、空席だからということなのでしょうか、日本ではあまりないことで国民性の違いを感じました。大きな出来事もありました。11年には東北地方太平洋沖地震が発生。私は中国からテレビで見ることになったのですが、目を覆いたくなるような光景に大きなショックを受けました。
また翌年の12年には、尖閣諸島を巡り、中国各地で反日運動が勃発。蘇州でも日本人街や日系デパートが破壊され、日系企業の中には放火されるところもありました。当時驚いたのは、某日系大手メーカーで、中国人スタッフの安全を考慮し、午前中で帰宅させたのですが、そのスタッフが午後から反日運動のデモに工場の制服のまま加わっていたということもありました。
中国に赴任した4年間、弊社も支店、営業所を年々拡大し、帰任の際には、蘇州、無錫、南京、合肥、常州5支店の支店長を兼務、充実した駐在生活を送ることができました。その後、東京に帰任、20年4月にNXフィリピン社長としてフィリピンに着任しました。
編集部
フィリピンの印象はいかがでしたか?
森氏
正直言いますと、フィリピンへの異動辞令を受けた際にはあまり嬉しくはなかったですね(笑)。多くの日本人の方も同じかと思いますが、フィリピンの印象はネガティブなイメージが多かったのは事実です。
ただ赴任して直ぐにその印象は180度好転しました。戦時中の悲しい過去がありながらフィリピンの人々は日本人に対し非常に好意的に接し、また明るくホスピタリティが高いですね。赴任して直ぐにフィリピンの人々を大好きになりました。現在コロナ禍がある程度終息を迎え、日本や世界各地から出張者がくるのですが、事務所に訪れた際に、スタッフ皆が溢れんばかりの笑顔で元気よく挨拶してくれることに大変驚かれます。
ビジネス面では、フィリピンは空港、港ともにインフラが整っておらず、さらに慢性的な交通渋滞もあり、我々ロジスティック企業は苦労しています。
この点、新政権では前政権に引き続き、空港、港等のインフラ改善に力を入れていくとのことです。また特に首都圏北方では新マニラ国際空港(ブラカン 国際空港)が27 年に開港する見通しで完成後は国内最大の空港となります。大きな期待をもっています。
編集部
座右の銘を教えていただけますか?
森氏
あまり聞き慣れない言葉と思いますが、「○○らしく、○○ばらず」です。これは私が30歳半ばに初めて管理職(課長)なった際に、父親から言われた言葉です。将来課長から次長、部長、支店長という立場になるかもしれないが、課長であれば部下からみて課長らしく振舞い、ただし課長ばらず常に謙虚でありなさい。支店長になったら支店長らしくリーダーシップを取り、ただし支店長ばらず、従業員の幸福や労働環境の向上に常に気を配りなさい。それ以来ずっとこの言葉を念頭に置き、実行してきたつもりです。 そして今も1800人の従業員を抱える会社の代表として社長らしく、社長ばらずを頭に置いて、従業員エンゲージメントの向上を一番に考えています。全員一丸となってフィリピンのロジスティックスの向上に貢献してまいります。
新任の駐在員が来る際には必ず、赴任前に観てからフィリピンに来るように薦めている動画があります。それは、BS1スペシャル「憎しみとゆるし~マニラ市街戦 その後~」 (NHKエデュケーショナル/椿プロ/日本放送協会)です。内容はご存知の方も多いと思いますが、下記解説の通りです。
『昭和20年、廃虚と化したマニラの街で、2歳の娘の遺体を抱きしめ立ち尽くす男がいた。のちにフィリピン大統領となるキリノ。日米両軍が戦ったマニラ市街戦で妻と3人の子を失い、日本軍を激しく憎んでいた。しかし8年後、キリノは大きな決断をする。憎しみからゆるしへ。そして反対を押し切って、日本人BC級戦犯全員に恩赦を与える。なぜキリノは決断したのか。遺族やマニラ市街戦の生存者の貴重な証言で、その真相を描く。」(NHK BS1スペシャル/2014年8月29日放送)』
常にフィリピンの人々への尊敬の念を持ち、ここフィリピンで仕事をさせてもらっているという感謝の気持ちを忘れないように、今後も指導して参ります。
プロフィール
大阪府茨木市出身、1988年日本通運入社。長年、国際航空貨物部門営業として従事、2009年に中国蘇州支店長として赴任、蘇州、無錫、南京、合肥、常州5支店の支店長を兼務。滋賀航空支店長、京都航空支店長を経て、2020年4月から現職。
【座右の銘】
「○○らしく、○○ばらず」
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