比類なき超重要国フィリピン、
“親日”と“信頼”が拓く成長とウィン・ウィンの扉
——今こそ日本の本気を
独立行政法人国際協力機構(JICA)前所長
坂本 威午(さかもとたけま) 氏
3年間にわたりJICAフィリピン所長として、多くの要人の懐に入り込み、現場の最前線で奮闘してきた坂本威午氏が、3月末で本帰国を迎える。インフラから平和構築、経済発展、人材育成・交流まで、果敢に取り組んできたプロジェクトの数々。そして「比類なき超重要国」フィリピンの将来を見据え、坂本氏が強調するのは、“親日”と“信頼”が生む日本企業にとってのビジネスなどの参画チャンスと、日本が生きていくためのフィリピンとの関係強化の重要性——。「今こそ日本が本気を見せるタイミング」と語るその真意を聞いた。
Q2. 特に読者の関心が高い、MMSP(Metro Manila Subway Project/マニラ地下鉄プロジェクト)とNSCR(North-South Commuter Railway/南北通勤鉄道)について、現在の進捗状況や今後の見通しをご説明ください。
Q3. マカティ地下鉄はどうなっているのですか?
Q4. フィリピンでのJICAの活動は、日本および日本人にとってどのような意義やメリットがあるとお考えですか?
Q5. 坂本さんはフィリピン政府要人と強い信頼関係を築かれていると伺っています。どのようにして信頼関係を構築されたのでしょうか? 良好な関係を築く上でのポイントを教えてください。
Q6. フィリピンの政府高官との交流の中で、特に印象に残っている方がいらっしゃいましたら、その人柄が表れるようなユニークなエピソードをお聞かせください。
Q7. フィリピンの経済におけるリスク要因はどの点とお考えですか。
Q8. フィリピンの経済成長は今後どうなるでしょうか。
Q9. 今後の成長が見込める分野はどこだとお考えですか?
Q10. 一番苦労されたのは?そして帰国後はどのような活動を予定されていますか?
編集部
フィリピンでのJICA案件はどのくらいあるのでしょうか。また坂本さんが携わられた事業の中で、特に印象に残っているものを3つ、印象的なエピソードとともにお聞かせください。
坂本氏
現在、フィリピンでは、186のIFP(インフラ旗艦プロジェクト)が国家経済開発庁(NEDA)や財務省(DOF)により設定されており、その総額は約25兆円に上りますが、そのコア・内数となる国家事業を含めて、JICAが取り組んでいるオンゴーイング案件だけでも約100件あります。私の着任後の3年間で新たに数十件もの事業開始も出来ました。資金協力の累計総額は約4~5兆円に達し、技術協力やボランティア派遣も活発に行われています。これまでに累計で約1万2,000人の専門家を派遣し、研修員の受け入れは4万3千人を超えます。また、フィリピンへのボランティア派遣は累計1,700人以上で、これはアジアで最大の数です。
そして、JICAは、フィリピンにおいて、誰一人取り残さない「人間の安全保障」や「質の高い成長」に向けて、「質の高いインフラ」の重要性も強調してきました。インフラ整備は建設だけでなく、その後の維持管理や運用体制まで信頼のおけるサービスデリバリーを見据えた入念な計画が不可欠ですが、日本企業の皆様やJICAなどが長年フィリピンで積み上げてきた信頼と実績、すなわち関係者の努力・労苦を礎として、ジャパンブランドの高い評価が確立してきています。そうしたことを背景に、マニラ地下鉄プロジェクト(MMSP)や南北通勤鉄道(NSCR)などの鉄道案件や道路・防災などの大規模インフラが、よく「Big Ticket Projects」と言われ、目立っていると思います。
このように多くの事業を行っている中で、「3つだけ選ぶ」というのは正直難しいものです。映画『ローマの休日』の最後に、記者から「どこが一番良かったか」と聞かれて、主演のオードリー・ヘップバーンが「いずこも素晴らしく…」と明答を避ける場面がありますが、私も同じ心境です(笑)。それぞれの事業が大切で、現場の方々の顔が思い浮かぶ中で、順位はつけられません。
それでもあえて挙げるなら、例えば、イフガオ州マヨヤオで建設した80メートルの橋です。これはひときわ目立つ大規模インフラ事業ではない小さな橋の建設プロジェクトですが、そのもたらしたインパクトは非常に大きいものでした。
この地域はこの橋ができるまで貧しく、森林資源に頼る生活が続いていました。子どもたちが学校に通うのも困難で、違法伐採など生態系破壊や地滑りリスクも高まっていた状況でした。しかしこの橋の完成で子どもたちは安全に通学でき、お年寄りも病院に通えるようになり、さらに地場の野菜を市場に運ぶ「ファーム・トゥ・マーケット・ロード」も整備され、生活・経済環境が大きく改善されました。
2022年のオープニングセレモニーでは、私も現地の方々と一緒に民族舞踊を踊り喜びを分かち合いました。その際、「この橋をマヨヤオ・ジャパン・フレンドシップ・ブリッジと名付けてはどうか」と提案し、後日、市議会で正式に議決されました。正式に命名されたと連絡があったときに吃驚したのが、加えて私に「サン・オブ・マヨヤオ(マヨヤオの息子)」との特別な称号まで授与されることになったことです。これで次の選挙に立候補できるかもしれません(笑)。事業自体は大きなものではありませんが、この橋一つで地域住民の生活が劇的に改善し、また、二国間関係緊密化に大きく寄与する好事例だと思います。
(写真:フィリピン日本大使館HPより)
2つめは、防災分野での取り組みで、パッシグ・マリキナ川の治水プロジェクトです。これは1970年代から長年にわたり続けてきたフィリピンでも広く知られている事業です。
フィリピンは毎年20個くらいの台風が来ます。1970年代当時から、パッシグ川は蛇行がひどく、大雨が降ればマニラの中心部まで洪水が押し寄せていました。それを、JICAの協力のもと、ラグナ湖へ水を逃がす放水路も建設し、さらに、下流から順に河川改修を進めてきました。堤防の浸食防止には日本の特殊鋼板技術を用い、都市部施工における騒音・振動対策としてこれも日本の技術であるウォータージェット工法も採用しました。ジャパンブランドの事業として著名です。
このプロジェクトの成果がはっきりと示されたのは2020年の台風ユリシーズの時です。第三者調査によれば、JICAの支援がなければ100万人規模の被災者が出ていたところが、実際の被災者数は3万人と、被害は97%も劇的に減少しました。
現在プロジェクトは第4フェーズに入り、さらなる改修を進めています。その中で、日本特有の技術であるリターディング・ベイスン(洪水調節池)の導入も検討されています。このリターディング・ベイスンは、(パシグ川流域ではなく、)カビテ州のイムス川流域においてフィリピンで初めて導入された洪水対策方式ですが、日常は駐車場やイベントスペースとして利用できつつ、大雨時には貯水池・遊水池として機能するという洪水調節機能をもつ日本発の洪水対策施設です。
このカビテ州での初の導入事業のきっかけは、河川下流域に進出していた日本企業からの相談でした。カビテ州には日系企業が多数進出していましたが、彼らから「洪水で出荷や物流が止まってしまう」という悲鳴が届けられました。私たちは、現地住民の安全確保と同時に、日本企業のビジネス環境改善や雇用創出などにも寄与すると、事業化・協力に踏み切りました。この取り組みは、「途上国の方々に利する国際協力と日本の国益が両立する良い例」だと考えています。
当時のカビテ州知事(レムリャ現内務自治省(DILG)大臣)は、自ら日本に洪水調節池を視察に行くなど、非常に日本にシンパシー・期待を大きく持つ方で、私にも直接「JICAの取り組みでカビテの安全・利便性が向上した」と感謝の言葉を述べて頂きました。その際に、冗談交じりに「JICAを“Japan International Cavite(カビテ) Agency”と名称変更してよ」と言われたのも印象に残っています(笑)。
(写真:PJICAODA見える化サイトより)
そして3つ目はフィリピン南部・ミンダナオ島での平和と開発支援プロジェクトです。特に印象深いのは、農業支援とそれに付随する地域の生計支援です。
フィリピンの重要産業の一つである農業の発展を通じて、生計と雇用の安定を図るべく、単なる食糧支援にとどまらず、農民の収益向上と雇用吸収力増大も目指して、市場ニーズの高い野菜などの換金作物の栽培支援を行ってきています。生計・雇用の安定・期待が高まれば、兵士たちも武器を置き農業に従事するようになり、武装解除や平和のプロセスの進展にもつながります。
現在、作物としては、トマト、キュウリ、ナスなど市場価値の高いものを中心に栽培し、BARMM(バンサモロ・ムスリム・ミンダナオ自治地域)内での流通が進んでいますが、将来的には外部市場への展開も視野に入れています。
また、農業分野に加えて、日本から専門家も派遣して、職業訓練校の整備・指導者育成や起業支援にも包括的に取り組んでおり、さまざまな分野での就労やビジネスの芽が育って来ています。例えば、BARMMの中心都市コタバト市では日本食レストランや小売業の拡大も見られ、いい加減なJICA調べ(笑)では、現在、ラーメン店4軒、たこ焼き店7軒、ジャパンサープラスとの中古店も数多く展開し、かつては危険とされた地域に活気が戻っていることを嬉しく感じます。
さらに付言すれば、北マギンダナオ州のモデルファームの視察時に特徴的に感じたこととして、モデルファームでの参加農民の半数が女性、残り半数が元兵士(Ex-Combatants)だったことを挙げさせてください。ムスリム社会で女性の参加が進むことはジェンダー主流化の観点でも画期的です。また、元兵士が農業への従事を通じ地域社会に溶け込む姿は、平和と安定の象徴だと感じています。
私たちは、BARMMにおいて、「正常化トラック」と呼ばれる、元兵士たちの武装解除と、その後も再武装に戻らず、社会で平和裡・安定的に生計を立てられるようになる協力に力を入れています。単に武器を回収するだけではその実効性や再武装リスクなどに懸念が残ってしまいますので、武器回収とともに、ないし、武器回収を進めるためにも、こうした生計向上の取組が「正常化トラック」には重要ですし、有効です。 私自身、中東などでの経験から、武器を手放しただけでは平和は続かないと痛感しています。だからこそ重要なのは、「平和の配当」を早く提供し、将来に希望を持ってもらうことです。農業を軸とした生計支援のほか、職業技能訓練やインフラ整備、流通支援も一体で行い、持続可能な経済活動へと繋げています。
私たちは特定勢力に偏らず、中立の立場にいます。MILFとMNLF、さらには先住民族やクラン(伝統的氏族)など多様なステークホルダーの信頼を得ることが重要ですし、JICAはそれが可能です。JICAが間に入ることで対話が進む場面も多く経験して来ました。実際、BARMM誕生に至る和平会談にも、日本は大きな役割を果たしました。私自身、バンサモロ暫定自治政府初代首相及びMILF議長のムラド氏、MNLF創設者のミスアリ氏やセマ氏、更にはフィリピン政府側のガルベス氏など、関係者と良好な関係を築いており、冗談で「坂モロ」と呼ばれる(注:モロとはイスラム教徒など当地の方々の総称)ように、有難く光栄にも「信頼」をいただいています。このような信頼関係は極めて重要かつ有効な協力の礎です。
(写真:JICA)
編集部
特に読者の関心が高い、MMSP(Metro Manila Subway Project/マニラ地下鉄プロジェクト)とNSCR(North-South Commuter Railway/南北通勤鉄道)について、現在の進捗状況や今後の見通しをご説明ください。
坂本氏

結論から申し上げると、どちらも当初の計画より残念ながら遅れが出ています。
まずMMSPについてですが、進捗を左右している主な要因は用地取得の問題です。特に都市部では、権利関係が複雑で、住民や店舗の移転・補償調整に時間がかかっています。 こうした状況は日本でも例があります。例えば成田空港の拡張問題が典型例で、一軒でも立ち退き未了の場合、空港全体の工事・運用に影響を及ぼします。フィリピンでも、個人の権利と社会全体の利益の調整は容易ではありません。 フィリピンは民主主義国家ですから、強制的な手段は取れず、JICAも社会環境配慮ガイドラインに沿って、移転対象者への適切な補償や生活再建支援を求めるなどしていますが、それでも調整には時間を要します。
現状をより具体的に申し上げると、未契約区間がわずかに残っていますが、大部分は契約締結済みで工事が進行中です。用地取得も全体の7~9割完了しており、駅舎など建設が進んでいる様子が現地で確認できます。 また現状、主要区間の掘削も始まっており、一部トンネルボーリングマシン(TBM)も導入済み。車両や通信・電力システムには日本の最新技術を活用し、安全性と効率性を確保しています。完成後は、マニラ首都圏の渋滞緩和、さらには他交通モードとの接続で広域の移動利便性が向上すると見込まれています。生活環境の改善、ビジネス環境の向上、雇用の創出、モーダルシフトに伴う排気ガスや温暖化ガスの縮減など多様で大きな効果が期待されています。
とはいえ、一部でも用地取得が未完了だと、全体進行に大きな影響が出ます。当初、2028~29年の完成が目標とされていましたが、現状ではこの目標を維持するのは難しい状況にあります。そして、現場の用地取得が遅れれば、工事や車両の搬入などが進まず、追加コストが発生することも懸念されます。したがって、DOTrも精一杯加速化に努めていますし、JICAも各種助言はじめ、支援を強化しているところです。
次にNSCRですが、こちらはクラークからマニラ、さらに南のカランバまでを結ぶ150km規模の大規模な準高速鉄道の建設事業で、北側は一層の延伸も計画されています。このプロジェクトでは、車両調達や通信システムなど、JICAが全面支援しています。土木工事は区間ごとにJICAとADBで分担し、JICA区間では大成建設、DMCI、三井住友建設が施工を現在担当。こちらも用地取得の課題により、調整に時間がかかっていますが、上述の施工区間では駅舎や高架橋の建設など目で見て明らかに工事が進展しているところもあります。
これらの状況を踏まえ、私たちはDOTr(運輸省)に対し、事業加速化の努力とともに、現実に即したスケジュールの見直しを求めています。従来の目標や契約内容に拘り続けず、とらわれず、マスター・インプリメンテーション・スケジュールを再構築し、それに応じた各契約内容の調整も行って、日本企業はじめ受注企業の皆様に過度なないし無用な負担がかからない形にすべきだと考えています。
DOTrは、現実を踏まえ、まず用地取得や工事が進んでいるバレンズエラ近辺の一部区間の部分開通を目指す案を提案しています。2027年末~2028年初め頃の開業案が報道されていますが、これもさらなる遅延の可能性は否定できませんので、一層のモニタリングと加速化努力を求めていきます。

この用地取得との課題は、鉄道事業に限った話ではありません。たとえば、ダバオバイパスなど他の大規模インフラ案件でも、同じように用地取得が最大のボトルネックになっています。 計画経済などの強権国家であれば、手続きを簡略化し、強制的に進めることも可能かもしれませんが、フィリピンは民主主義国家です。住民の権利や法的手続きを尊重しながら進める必要があり、それがどうしても時間を要する要因になっています。繰り返しになりますが、フィリピンは民主国家であり、住民の強制排除で工事を進めることはできません。
立ち退き対象者に対しては、プロジェクトの社会的経済的な意義・恩恵を懇切丁寧に説明し理解を得て、正当な補償・移転先確保と生活再建をきちんと提示することが重要です。こうした点で、メディアを通じて世論の理解を広く得る努力も欠かせません。 それでも調整が難航した場合、公共事業用地の収用法に基づく手続きも可能ですが、その手続きにも時間がかかるし、できるだけ有効裡に合意に至ることを期待したいと思います。
また、DOTrなど実施機関の対応人員の不足も懸念事項です。用地取得や住民調整に携わる人員が足りておらず、準備・調整などの手続きが遅れているという側面もあると思います。プロジェクトのスピードアップには体制強化が必要でしょう。
この点について、私は先日予算管理大臣に対し「増員と対応加速化に必要な予算措置が必要ではないか」と具申したところですが、すでにDOTrやDPWH(公共事業道路省)に数百人単位の人員追加が決定しています。これは大きな前進といえます。
さらに、制度変更は慎重に進める必要がありますが、前払い補償金制度の改善検討や、日本の例も参考にした大深度地下法導入の議論もなされています。
用地取得やそれに伴う住民移転について、私たちが求めているのは国際基準に則った対応です。具体的には、JICAだけでなくADBや他の国際機関も同じように設定している社会環境配慮ガイドラインに基づいています。 要は、用地取得で立ち退きをお願いする際は、住民が納得し合意した上で移転する、ということが前提です。一方的に強制排除するやり方ではなく、補償金を100%合意のもとで支払い、生活再建が確実に行われることが求められます。住民が泣き寝入りしてしまうような事態は避けなければ、と考えています。
実は、こうした用地取得などの課題については、最近になってあれこれ言っているものではなく、3年前の着任当初から一貫して課題認識の強化とそれに基づく対応策の検討・協議をしてきたものです。
(JICA提供)
私がフィリピンに着任した直後の2022年4月、インフラ旗艦事業の進展政策にかかるフォーラムに国際開発パートナーの代表的にDPWHサダイン次官から招かれ、コメントを求められたことがあります。
その場で私が申し上げたのは、次の3点です。
①比政府部内の意思決定を早くすること:時間がかかり進展予測困難なプロセスをできる限り合理化し、迅速化する必要がある。
②用地取得を(社会的に納得できる方法で)着実に進めること
③民間企業への契約履行対価支払いを契約通りタイムリーに行うこと:工事が進んでも支払いが遅れたり、予算が確保されていなければ、企業側の負担が大きくなり、フィリピンとしての信頼を損ねる。
この3点は、私が着任以来3年間、繰り返し大臣・議員などハイレベルにも直接何度も申し上げ続けてきた内容ですが、ありがたいことに、フィリピン政府の理解も進み、少しずつではありますが改善の兆しを見せています。
たとえば、1点目の意思決定の迅速化については、昨年2024年4月、マルコス大統領が大統領令(EO59号)を発出し、インフラ旗艦事業(IFP)に対し「手続きを迅速に進めよ」と明確に指示しました。また、反官僚主義機関(ARTA)も通じて、行政手続きの無駄を省き、スピードアップを図る動きも進められています。
2点目の着実な用地取得についても、昨年2024年3月に、マルコス大統領は大統領令(AO19号)を発出し、省庁の垣根を越えた対策委員会の設置とそれを通じた対応加速化も指示しました。その他、上述の通り、丁寧な事業意義・効果の説明や各種用地確保手続きに必要な人員措置も進められるようになってきています。
3点目については、後述もしますが、予算の裏付けにあたって、目立つし二国間合意に基づく性格ということもあり、特にJICAの事業への適切な予算配置の議論は着実に好転してきています。予算がついても、契約対価支払いの手続きに時間を要すればそれも問題なので、これも増員配置や迅速な手続き処理を丹念にフォローし、口を酸っぱくして個別事案にも即して申し入れすることなどをJICAとして行ってきており、まだまだ完全ではないものの、好転はしてきているものと思います。
最後の3点目は、受注企業、特に日本企業の皆様にとっては死活問題ですので、その裏付けとなる予算手当の議論・改善状況について、もう少しご説明します。
JICAのプロジェクトに必要な予算措置については、DOTrやDPWHといった実施機関だけでなく、予算管理省(DBM)や、最終的に予算を決定する上院・下院の議会も密接に関わっています。そのため、関係者の皆さんに「JICAの事業が止まれば、フィリピン経済や社会に大きな影響が出る」という認識・理解を持っていただくように、議会関係者も含め、継続的にハイレベルでも説明を続けてきました。下院議長や上院議長、その他重鎮議員、たとえばグレース・ポー議員やJVエヘルシート議員などキーパーソンに対し、JICA支援のインフラ事業が生活環境・ビジネス環境・雇用も含めてフィリピン経済にどう貢献し、都市問題をどう改善するか、そしてその進捗成否が国際社会におけるフィリピンのビジネス適格かどうかとの「見られ方」にどう影響するのか、丁寧に繰り返し説明してきました。今では、JVエヘルシート議員などが上院本会議やメディアの場で、私が伝えてきた内容と同じことを自分の言葉で発信してくれるようにもなってきています。
上述のJICAの事業の意義・貢献の事例に関して補足すると、例えば、フィリピンで特に深刻なのが、都市部の交通渋滞です。これは経済成長、生活の質、環境問題・地球温暖化などの課題すべてに直結しています。
昨年4月、マルコス大統領が行ったタウンホールミーティングでも、大統領自ら「解決策はモーダルシフト」と喝破されました。小型乗用車やバイクなどの道路交通を、大規模公共交通機関に誘導し、道路通行車両数を増やさない、という方針です。マニラ首都圏は17市で構成され、面積も人口も東京23区とほぼ同じないし多い状況ですが、鉄道インフラの整備状況は大きく異なります。東京が83路線あるのに対し、マニラはわずか3路線。自家用車など道路交通に頼らざるを得ないため、渋滞が深刻化しています。 だからこそ、私たちはマニラ地下鉄プロジェクト(MMSP)や南北通勤鉄道(NSCR)、さらには南北通勤鉄道延伸といった大型軌道交通インフラの支援を進めているのです。
加えて、JICAは現在、30年先を見据えた首都圏鉄道マスタープランの策定支援も行っており、より住みやすい都市づくり――Livable Cityの実現に向け、包括的な都市開発にも取り組んでいます。MMDA(マニラ首都圏開発庁)との協力もその一環です。 こうした取り組みを進めなければ、都市渋滞は悪化し、大気汚染・地球温暖化やビジネス環境の悪化、さらには救急車も動けず命に関わる社会問題が深刻化する、そのためには必要な予算手当は不可欠??こうしたことを議会や政府に繰り返し説明してきました。
実は2022年に私が着任する前年には、予算執行率が低いなどの理由で、DPWHとDOTrの予算が大幅に削減されてしまったことがありました。その際は、事後的に補正予算の確保に走り回らざるを得ず、私も着任直後から危機感を持って動きました。その後は、翌年の予算編成プロセスにおいてはそのようなことが再発しないように、越川当時大使など大使館の皆様とも連携し、関係大臣や議会の主要メンバーを回り、繰り返し国際協力プロジェクトの重要性・意義を訴えてきました。さらにはマルコス大統領ご本人にも直接理解を得るように働きかけも最大限おこなってきたつもりです。
その結果、現在では大統領からもJICAが携わるインフラ事業向けの予算確保の指示が出されるようになり、予算措置をめぐる状況は以前より改善しています。例えば、「支払いが遅れていないか」とDBM大臣にも私から確認すれば、即座に対応してもらえるようになってきました。
最近では、例えばバリサカンNEDA長官も、「これら3点のレガシー・プロブレム(長年の課題)」と自ら整理し指摘するかのように言及・提唱するようになりました。正直、「それは私が3年前から言ってきたことじゃないですが(笑)」と思うこともありますが、課題認識が共有されてきたのは前進だと感じています。
(JICA提供)
だからこそ、現在見られる改善の兆しが、実際に実地の劇的な改善に繋がることを期待しています。フィリピンは見込みはある国だと思います。
編集部
マカティ地下鉄はどうなっているのですか?
坂本氏
マカティ地下鉄はJICAが関与しているプロジェクトではありませんので、責任あるご説明は出来ません。したがって、不正確な情報が含まれるかもしれませんが、それを前提にお話するとすれば、これは、マカティ市などの地方自治体や地元財閥などが、中国の支援を得るとの前提で、マカティ市からBGC(ボニファシオ・グローバル・シティ)までの区間の地下鉄を建設するとの計画だったと聞いています。
しかし、現在、まさにJICAの事務所がある目の前の工事現場がそうなっていますが、「途中まで掘ったまま放置された穴」が残されているだけの状態になっています。どうやら用地取得の交渉の目途がたたずに、途中で事業放棄されている模様です。 JICAが常に強調している「Well-organized Planning」という計画準備の重要性について、認識が薄いままに着手したものの頓挫した、ということなのでしょうか…。
中国の支援計画事業については、途中で頓挫・放棄、という事例が少なくないようにもよく言われていますよね。いわゆる「やるやる詐欺」とか揶揄される事案です。
たとえば、ノースレールプロジェクト(マニラ~クラーク間鉄道)では、中国が関与しながら途中で撤退し、橋脚だけが残り、逆に渋滞の原因になったようです。その他にも、クラーク・スービック間鉄道やマニラ・レガスピ間南長距離鉄道、そしてミンダナオ鉄道など、中国が関わりながら途中で頓挫した案件は少なくありません。残念なことですが、他山の石、として教訓活用すべきです。
編集部
フィリピンでのJICAの活動は、日本および日本人にとってどのような意義やメリットがあるとお考えですか?
坂本氏
私が常に意識しているのは、今、日本の「賞味期限」が残っているうちに、日本への親近感・信頼感をさらに強化しなければならないという点です。つまり、日本は今こそ本気を見せるタイミングなのです。
フィリピンは、間違いなく将来性が豊かな国です。ASEAN主要国との比較でも、主な経済関係指標などでフィリピンはトップか上位2位以内に入るような好況にあります。
具体的な指標で言えば、格付け会社のレーティングが良い例でしょう。タイなどと比較しても、スタンダード&プアーズやR&Iではフィリピンの評価が上回っています。それだけ今後確実に成長が見込まれるマーケットであり、膨大な開発オポチュニティを抱えている国なのです。
(JICA提供)
別の言い方をすれば、日本企業にとっても、膨大なビジネスチャンスが存在しているということです。フィリピンは世界でも有数の親日国であり、日本への信頼度は非常に高いです。政府レベルでも民間レベルでも、日本からの協力・ビジネス参画を心から期待してくれています。「選んでもらえてこそ」です。 将来性、親日感、信頼感、開発ニーズ——これほど全てが揃った国は他にないと言えるでしょう。だからこそ、親日感・信頼感といった日本にとってのアドバンテージ、「賞味期限」、が残っている今こそ、フィリピンとしっかり関係を築き、支え、日本とフィリピンの絆を確固たるものにすることが重要なのです。
こうした文脈で、JICAの民間連携事業——特に中小企業の技術導入支援の領域でも、日本企業の皆さんの熱意が高まっているというトレンドははっきりと現れていると思いますし、心強く思いつつ、JICAとしても一層そうした皆さんの意欲を下支えしていきたいと思います。 私が着任した2022年には、JICAの民間連携事業の応募数・採択数は前年度比で倍増、インドネシアを抜き、ベトナムに次ぐ世界2位にランクアップしました。2023年には採択金額で世界一にまで到達しました。今年度は数字こそやや落ち着いてきていますが、むしろ特徴的なのは、質の高いプロジェクトが内談段階からJICAフィリピン事務所に積極的に前広に持ち込まれるようになっている点です。その分、私たちの対応も非常に忙しくなっていますが、確実に質の高い日本の技術や製品のフィリピンへの展開意欲が日本企業の中でも強くなってきていると嬉しく心強く実感しています。 具体的には、黒ニンニクやその他農産品の加工技術、防災、環境といった分野をはじめ、実に多岐にわたる領域で日本企業の技術が導入されつつあります。
編集部
坂本さんはフィリピン政府要人と強い信頼関係を築かれていると伺っています。どのようにして信頼関係を構築されたのでしょうか? 良好な関係を築く上でのポイントを教えてください。
坂本氏
「フィリピン政府とどうやって信頼関係を築いたのか」とよく聞かれますが、私の答えは一つ、「アクセスを絶やさない」ことです。心理学でいうザイアンス効果——つまり、接触回数が多いほど理解や好感が深まるという考え方を、私は徹底して実践してきたつもりです。笑顔とともに。
具体的には、一見JICAと直接的には関係がなさそうなイベントでも、来てほしいと声がかかれば基本的に出席するようにしました。「このイベントに来てくれないか」と直前に急に依頼されることも多々ありましたが、スケジュールが許す限り、基本的に参加するスタンスを貫いてきました。
そうやって、日常的に顔を出し続け、接触面を増やすことで、相手側の認知度は自然と高まります。何度も顔を合わせるうちに、「この人は常に現場にいる」「話せばきちんと対応してくれる」と相手側も感じ、好感度や信頼関係が少しずつ積み上がっていくのです。結果、フィリピン政府の要人たちが私をしっかり認識し、顔と名前を覚えてくれるようになりました。たとえば、各大臣は固より、エスクデロ上院議長・ロムアルデス下院議長や、もちろんマルコス大統領もその一人です。
(JICA提供)
また、「会っても無駄だ」と思われないような、なにか少しでも付加価値や情報提供サービスが付けられないか、常に工夫をしてきたつもりです。「また会いたい」、「話を聞いてみたい」、「相談してみたい」と思って貰えるか、あと一歩もう半歩の付加価値ご提供の努力はしてきたつもりです。単に顔を出すだけでなく、相手が「この人と会う意味がある」と感じてもらえるような成果を積み重ねること。これが、本当の意味で信頼関係を築くために欠かせないと、私自身、強く実感しています。そのためには、「白鳥の水掻き」ではありませんが、日頃からの情報収集・分析・実践等の真剣な取組は不可欠で、それで忙しいことこの上なかったのですが…(笑)。
私はただの一介のJICA事務所長に過ぎません。それでもハイレベルを含めた緊密な関係を築くことができたのは、民・官問わずみなさま先達の方々がこれまで築き上げてこられた関係・信頼とのアセットの賜物であるのは毫も疑いはありませんが、それに加えて、この3年間、地道に接点を増やし続け、先方への爪痕を残すように努めてきたことは、若干は効いたようにも思います。
編集部
フィリピンの政府高官との交流の中で、特に印象に残っている方がいらっしゃいましたら、その人柄が表れるようなユニークなエピソードをお聞かせください。
坂本氏
フィリピンでの3年間、基本的にどの閣僚や高官などとも良い関係を築くことができたと思いますが、特に印象に残っている方々を、いくつかエピソードとともに順不同でご紹介します。

まずは、パカンダマン予算管理大臣です。先日、私のために6人もの閣僚も招いて送別パーティーを開いてくださったのが彼女でした。それだけでなく、私の誕生日もしっかり把握していて、日付が変わった瞬間にハッピーバースデーのテキストメッセージを送ってくれたりと、心配りの方です。去年は1日フライングでテキストメッセージを送ってきたので、「あれ、まだ1日前だよ」と私が返したり(笑)、そんな親しい関係を築くことができました。
次にご紹介したいのが、ガルベス和平・和解・統合担当大統領顧問です。彼は元軍人で、マラウィ紛争では総司令官を務めた方。最初は無口で笑顔も少なくとっつきにくそうな印象もありましたが、今ではすっかり打ち解けています。彼の庭でとれた果実を「ほら、食べてみてよ」と何度も頂いたりもしました。 面白いのは、彼はどこへ行っても私のことを紹介したがるんです。「彼は、サカモトって名前だけど、実は他にも名前があるんだよ」と言って、「バンサモロに行けば“サカモロ”だし(注:モロとはイスラム教徒など当地の方々の総称)、農業省に行けば“サカモテ”になる(注:カモテとはフィリピン語でサツマイモの意味)」と面白くってしょうがない、といった風情で説明して回るほど(笑)。親しみを持ってくださっているのが伝わってきます。


また、バウティスタ運輸大臣(当時)も、印象的な方でした。仕事上、大規模運輸案件が多く極めて頻繁にお会いしていたことが背景ですが、どこで会っても公式の場でも私のことを「タケマさん、タケマさん」とファーストネームで呼んでくれるんです。あえてそう呼んでくれるあたりに、親しみや信頼を感じます。
そして、レクト財務大臣。彼は明るく、気さくな性格の方ですが、私のことを「ミスター・クリティカル」と呼びます(笑)。私がよく会議や打ち合わせで「ここが重大・深刻なクリティカルポイントだ」と言っていたので、それがそのままニックネームになってしまいました。ちなみに、彼はデ・ラ・サール大学出身なのですが、私も同門(日本のラ・サール高校出身)なので、そんな縁もあってすぐ打ち解け、スクールカラーである緑色を踏まえてデ・ラ・サール大学の応援でよく使われる「Go Green!」とのフレーズをよく一緒に叫んだりしました。

他にも枚挙にいとまはないのですが、どの方々とも、形式的なやり取りに留まらず、本音で親しく付き合える信頼関係を築けたことは、私にとって大きな財産ですし、大いなる誇りです。
編集部
フィリピンの経済におけるリスク要因はどの点とお考えですか?
坂本氏
フィリピン経済の見通しについてですが、「タイガーエコノミー」と称される通り、非常に好況であり、本当にポテンシャルの高い国・市場だと見ています。それは、レクト財務大臣も繰り返し強調しているところです。 とはいえ、懸念材料がないわけではありません。よくご質問を受けますが、特に以下の2つのリスクを言及せざるを得ないでしょう。
まず1つ目は、アメリカ、特にトランプ新政権との関係です。例えば、南シナ海(フィリピン西海)の問題で、今後アメリカがどこまで関与を続けるか、見通しをつけるのは難しいですよね。また、フィリピン経済は米国への輸出依存度が高く、さらには在米のOFW(海外出稼ぎフィリピン人労働者)が多く彼らからの送金が重要なフィリピン経済の下支えとなっている中で、アメリカの通商・関税政策や移民政策が厳しくなった場合の影響は大きいでしょう。トランプ大統領の政策の方向性・転換がどのようなものになるかは予測が難しく、リスク要因たりうると捉えています。
2つ目は、国内政治の安定性です。私が3年前に着任した当初やマルコス政権樹立の頃は迷いなく「経済のみならず政治も盤石」だと感じていましたし、そう説明してきました。マルコス大統領とサラ・ドゥテルテ副大統領が「ユニチーム」を組み、2022年の前回選挙で歴史的圧勝を成し遂げ、上院・下院ともに圧倒的多数の支持を確保していました。「これほど安定した政権はないし、政治・社会の安定性は投資・ビジネスの面でも大いなる強みだ」と思ったほどですが、現在は状況が変わってきていると言わざるを得ないかと憂慮しています。 もちろん私たちJICAは、政治的な対立においてどちらかに肩入れすることはありませんし、冷静に状況を見守りつつ、必要な協力は粛々と進めるという基本姿勢ですが、ドゥテルテ家との軋轢の顕在化・先鋭化が政治・社会の不安定に繋がらないことを期待するばかりです。また、最近、閣僚の辞任が相次いでいることも心配は心配です。
編集部
フィリピンの経済成長は今後どうなるでしょうか。
坂本氏
今後のフィリピン経済の成長見通しについては、特にインフラ開発の方針が鍵になると見ています。公共事業主導の経済成長・雇用創出という面でもそうですし、また、持続的な将来成長に必要な投資・ビジネスの誘致、との観点からも、その阻害要因となっている他国比でも後れを取っているインフラの整備は重要です。 数字でご説明すると、ドゥテルテ政権誕生までの歴代政権のインフラ投資はGDP比1〜2%程度にとどまっていました。それがドゥテルテ政権で大きく転換し、5%にまで増加。そして現在のマルコス政権では6%まで引き上げる方針を掲げています。これは望ましい方向性だと思います。
特に印象的だったのは、マルコス政権初年度のSONA(施政方針演説)を受けたPost SONA Debriefingの場で、当時の財務大臣だったディオクノ氏が明言した言葉です。
「将来の成長への投資は絶対に止めない。必要であれば、財政規律を緩めてでも続ける」
これを聞いた瞬間、私は「素晴らしい」と感じました。彼は財務大臣就任前まではBSP(フィリピン中央銀行)総裁を務めていたのですが、その時から、JICAの事業の関係もあり、私と度々経済政策で意見交換していました。その際にも「成長重視、とそのための(インフラなどへの)投資重視」との方向性で意見が合致していたのですが、財務大臣として、マルコス政権初の施政方針を打ち出すタイミングで、極めて明確な財政政策・コミットメントを広く示したのです。そうした政策方向性はビルド・ベター・モア(BBM)プログラムのもとで実践・展開されており、今後もフィリピンのインフラ投資は積極的に行われるものと見ています。 もちろん、課題はあります。既述のとおり、特に用地取得などは、どうしても遅れが出やすいでしょう。しかし、何より重要なのは、国家として「インフラを止めない、成長を重視する」という明確な意志が存在していること。私たちJICAとしても、引き続きしっかりとその方針を支えていきたいと考えています。
編集部
今後の成長が見込める分野はどこだとお考えですか?
坂本氏
結論から申し上げると「すべての分野」と言っても過言ではありません。 既述のとおり、インフラ整備はまだまだ必要です。それ以外でも、教育や保健といった社会開発分野もASEAN他国比較でもまだまだ劣後しており、さらに、格差も他国比で非常に大きく、加えて世界最悪とも言われる自然災害脆弱性なども相まって、どの分野も着実に取り組む必要があります。
この点、日本からのフィリピン向けの協力・ビジネスの高まり・重視なども受けて、逆に言えば、これらの多様な分野は今後の成長余地が大きいということを示すと言えると思います。
特に、注目したいのが、2026年に迎える日本とフィリピンの国交正常化70周年と、同年フィリピンがASEAN議長国を務める点です。この二つが重なることで、両国関係は一層盛り上がり、協力・ビジネスの機会が一層広がるものと期待・確信しています。
様々な成長分野・協力分野が見込まれる中で、少し例示的にお伝えするとすれば、一つは保健分野です。フィリピンではユニバーサル・ヘルスケア(UHC)法が成立していますが、質の高い保健医療サービスの持続的な提供に向けてまだまだ課題があります。これまでJICAとしても個別事業ベースでの協力を行ってきていますが、今後はさらに本格的に保健医療サービスの提供能力を強化すべく取り組みを拡大する方針です。
もう一つ注力したいのは気候変動対策です。フィリピンは毎年20個もの台風が来襲し、経済や生活基盤に大きな影響を与えています。これまでJICAは、強靭なインフラ整備の流れで防災事業に取り組んで来たことに加えて、鉄道建設などを通じたモーダルシフトで間接的に温室効果ガス削減に貢献してきました。後者については、現在建設中の南北通勤鉄道やマニラ地下鉄、そして、改修を終え維持管理協力中のMRТ3号線という3件の鉄道案件のみでも年間100万トン規模の温室効果ガス排出削減効果が見込まれるように意義の大きな協力ですが、今後はより直接的に気候変動そのものへのアプローチを進めます。
具体的には、フィリピン政府が掲げるNDC(国が決定する貢献)の実行支援などがあります。温室効果ガス削減、再生可能エネルギー導入、自然災害への適応策・防災など——社会強じん性の強化や気候変動の緩和策などへの協力強化を図ります。
中でも、日本企業の持つ脱炭素技術や再生エネルギーのノウハウをフィリピンに導入することにも注力したいですね。すでにPEZA(経済特区)では、JICAの民間連携事業を通じた日本企業による太陽光発電パネルなどの導入が始まっていますが、再エネは天候などによる不安定さが課題。その課題解決(Grid Stabilization)に重要なのが蓄電技術で、特に注目しているのが揚水発電の導入拡大です。 現状、ラグナ州のシービーケー発電所(CBK: Caliraya, Botocan, Kalayaan3発電所の総称)のみがフィリピンでの揚水発電の活用事例で、それはマニラ首都圏の電力安定供給に欠かせない存在となっていますが、今後は、そうした揚水発電の活用拡大などの再エネ推進にもつながる協力を進めていく予定です。
編集部
一番苦労されたのは?そして帰国後はどのような活動を予定されていますか?
坂本氏
フィリピンでの日々は、本当に刺激と遣り甲斐に満ち満ちていて、フィリピン側カウンターパートも含めて素晴らしい方々と一緒に、意義のある仕事に携われて、「苦労は?」と言われてもすぐには思いつかないくらいです。 強いて言えば、タガログ語・フィリピン語でしょうか(笑)。英語で事足りる環境でしたので、現地語を学ぼうという切迫感やモティベーションが低かったということがその背景というかエクスキューズとしてあります。 もう少し頑張って学んでおけば良かったという気持ちがありますが、結局、覚えているフレーズは数個程度です。
「Kasama niyo kami(一緒にいます)」
「Magbayanihan tayo(助け合いましょう)」
「Sama-sama tayo(一緒にすすみましょう)」
「Para sa bagong Pilipinas(新しいフィリピンに向かって)」
マルコス大統領や多くの大臣たちに、「覚えた現地語はこれだけだ」と言うと、彼らは「Magandang Umaga Po(おはようございます)」とかの日常用語を想像していたようで、ちょっと意表をつかれて吃驚しつつも、大ウケしました。
ただし、これらのフレーズを敢えて伝えたのは、それらは私にとってはまさに信条そのもので、JICAの方針を表しているものだからです。 「施す」ではなく、「共に歩む」という姿勢を大切にしてきましたし、フィリピンはそうした姿勢・考えが自然と根付いている国だなといつも思っていました。
3月末でフィリピンから帰国し、東京のJICA本部に戻る予定です。現在は麹町にある本部での勤務が決まっており、これからはフィリピンに限らず、対外発信や広報の分野に携わることになるかと思います。
ただ、正直なところ、何らかの形で将来的にはまたフィリピンに戻ってきたいという気持ちは強いです。これまで築いてきたフィリピンでのネットワークや信頼関係は、自分にとって非常に大きな財産と誇りですし、そうした関係性を生かして、日本とフィリピンの橋渡し役としてお役に立つことが出来ないかとも考えています。
以前インドに駐在していた頃も「坂本ほどインドを愛する日本人はいない」とまで言われたりもしましたが、そうした人たちからは、今では「フィリピンに魂を売ったな、裏切り者(笑)」と冗談交じりに言われるほど、フィリピンへの思い入れが強くなっています。
これまで5回の在外勤務をしてきましたが、フィリピンほど自分にしっくり来る国はありません。国民性も明るく、人懐っこく、ホスピタリティに溢れる。私自身、相手に飛び込んでいくタイプなので、フィリピンの空気感と本当に相性が良かったなと感じています。今後もフィリピンとの繋がりを大切にしていきたいと思っています。
(インタビューは2025年3月7日JICAフィリピン事務所にて実施)
■坂本 威午(さかもとたけま)氏プロフィール
福岡県生まれ、東京大学法学部卒業後、1989年海外経済協力基金(OECF、現JICA)就職。北京大学留学、OECF北京事務所駐在、国際協力銀行(JBIC)中東担当課長・国会担当課長、国際協力機構(JICA)報道課長・総務課長、外務省在イラク日本国大使館参事官などを経て、JICAイラク事務所長、インド事務所長、南アジア部長、中東・欧州部長、筑波大学客員教授(兼務)などを歴任、2022年3月から2025年2月までJICAフィリピン事務所長。
(写真;後任の馬場隆(ばば たかし)氏とともに。2025年3月20日撮影)