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ビジネス烈伝 フィリピン日本商工会議所会頭 丸紅フィリピン会社社長 下田 茂 氏

フィリピンのポテンシャルを活かすには
外国資本の参入と新たな雇用の場が不可欠

 

フィリピン日本商工会議所会頭
丸紅フィリピン会社社長
下田 茂 氏

 

 

 

下田氏は2020年にフィリピンに丸紅フィリピンの社長として赴任、今年設立50周年を迎えるフィリピン日本商工会議所の総務理事からこの4月から会頭に就任した。果敢に活動する下田氏に、フィリピンの課題とこの国で活動する外国企業がなすべきことは何かを伺った。

 

 

編集部

 

商工会議所会頭の仕事はいかがですか。

 

下田氏

 

忙しいですね。会員企業との調整もさることながら、ジョイントフォーリンチェンバー(日本、アメリカ、カナダ、EU、オーストラリア・ニュージーランド、韓国の商工会議所とフィリピン多国籍企業地域本部連合で構成。以下JFC)の一員として、4月だけでも数回、政府閣僚との会談に出席しました。私の発言が日本の意見になるわけで重責を感じています。しっかり勉強し、会員企業の皆さまの意見を少数意見も含めてしっかり受け止めて、交渉を進めて行きたいと考えています。 各国の商工会議所の目的は、ビジネス分野にあり、国こそ異なれど立場も目指すところも同じです。基本は自国企業がビジネスがしやすく外国投資が入りやすい環境を作っていくのが目的です。そして各国が連携して交渉に当たればそれは大きな力になります。

交渉案件もVATの還付の問題、PEZA企業の優遇措置の問題、そしてフィリピン外国投資ネガティブリストの件など、JFCで連携して改善を要求しています。ドゥテルテ前大統領の時には外国投資の規制緩和が進み、通信・交通については外資100%企業が容認されるなどの改善が行われました。でも我々としては、外資に対してより門戸を開いて欲しい。それを利益を共にする各国で連携してフィリピン政府に進言していくのです。

RCEP(地域的な包括的経済連携協定:加盟国はASEAN諸国、日中韓、オーストラリア、ニュージーランド)がDTI(Department of Trade and Industry:貿易産業省)のパスクアル長官とJFCとの直近の会談の議題のひとつでした。このRCEPにはアメリカは入っていません。しかし現在のフィリピンは輸入、輸出ともJFCの各国が上位を占め、特にアメリカは輸出国のトップを占めています。ですからRCEPによるアメリカのデメリットはさほど大きくないと私は見ています。むしろフィリピンの課題はそこではないと考えています。

 

 

編集部

 

フィリピンの課題は何でしょうか。

 

下田氏

 

国際協力銀行(JBIC)で行っている海外事業展開調査で、フィリピンは今後の投資先の上位には上がっていません。たとえばVATの変更などがよい例で、これまでのインセンティブを取っ払って明日からこうなりますよと言われても、すでに投資先は従来のインセンティブなどを基に投資を決めて実行しているわけで、梯子を外されたようなことになります。これでは投資に躊躇するのも致し方ないですね。もちろんフィリピン政府は、規制を緩和しより投資環境を整えようとしているとは思います。しかしそれがベトナムやタイなどライバル近隣諸国と比較した場合にどうか、それを考慮にいれるべきではないでしょうか。

それでも現在フィリピンが一定の投資を集めているのは、安価な労働力があるからです。フィリピンの人口構成はきれいなピラミッドを描き、平均年齢が25・3歳(2021年PSAデータ)と若く、中間所得者層も増加、人口ボーナスは60年まで続きASEAN最長と言われます。

しかしその強みが生きるのは雇用の創出があってこそです。ですから海外からの投資を呼び込んだ産業育成は必須です。 フィリピンは、日本や台湾がまだ保護貿易をしている中で早くから自由化を進め、図らずも輸入振興型の経済を形成してきました。その半面、製造業など自国の産業が育たないジレンマの中、政権交代等により世界経済の発展に乗ることができずに、ノイノイ政権(10~16年)の後半からドゥテルテ政権(16~22年)にかけてようやく経済が動き出した背景があります。

現マルコス政権も海外からの投資を呼び込もうと様々な動きを見せています。しかし、まだまだ不十分です。他の近隣諸国と比較して相対的に優位な投資環境の整備、インセンティブや規制緩和こそがフィリピンの成長の鍵だと私は考えています。今後、JFCとともに、現政権に強く訴求していきたいと考えています。

 

 

編集部

 

今後の日本商工会議所の運営をどのように推進されていきますか?

 

下田氏

 

たとえば税制改革法(CREATE法)一つとっても、VATの賦課などに批判的な意見は多いですが、地場ローカル日系企業などはこれまでできなかったVATの請求ができることにメリットを感じています。日系企業の中でも意見は一つではありません。日本商工会議所としては様々な意見を巻き取り、それを比較してフィリピン政府に対する提言を行っていきたいと考えています。

そのために各委員会活動は大きな役割を果たします。今回、推薦理事として、人事労務に詳しい野村総合研究所シンガポール マニラ支店の高岡真紀子氏と、観光業関係でJTBアジアパシフィックフィリピンの吉田孝太氏に加わっていただきました。高岡氏にはフィリピンの文化や慣習を踏まえた人事労務・人材開発について、吉田氏にはフィリピンの一大産業である観光、特に日本からのインバウンドの振興について、それぞれ委員会の中で推進していただこうと考えています。最初の道すじを作るまでは大変かもしれませんが、委員会の情報交換はゴルフ場でだけではなく、委員会から会員の皆さんにシェアして行きたいと考えています。

 

 

編集部

 

丸紅フィリピンの社長として今推進されている事業を教えてください。

 

下田氏

 

植林事業を通じたカーボンクレジットがその一つです。私は丸紅で一貫してフォレストプロダクツ本部に所属し業務を行ってきました。丸紅はインフラをベースとした電力、水などはすでにフィリピンに根を張っています。しかし、フィリピンでは紙パルプや林産業の規模は小さく、赴任が決まったときは驚きました。しかし、新しい事業を創設するのが使命だと考え植林事業を通じた新しい開発プロジェクトの立ち上げに傾注してきました。

カーボンクレジットは、企業が森林の保護や植林、省エネルギー機器導入などを行うことで生まれたCО2などの温室効果ガスの削減効果(削減量、吸収量)をクレジット(排出権)として発行し、他の企業間で取引できるようにする仕組みです。

最初、フィリピン大学森林天然資源学部のマルロ学部長に話を持ち込んだのですが、彼らは非常に興味を持ち参画を快諾。今まで多くの研究をやってきたが、それを丸紅のような大きな会社が実行に移してくれるとしたらとても喜ばしい。是非協力したいと言ってくれました。そして、そのあと大手財閥グループDMCIに話を持ち込みました。最初はカーボンクレジットに対して懐疑的だったイシドロ(Isidro Consunji )会長も、様々な事業を推進するうえで温暖化ガスを全く排出しないのは不可能だが、その分植林で二酸化炭素を吸着し、排出分をオフセットするという仕組み。そして何よりも、過去の乱伐によってはげ山となっているフィリピンの地方の山々に植林をすることで緑が戻り、雇用も生み地域の活性化にもなるとの説明に、大いにモチベーションを持たれ、プロジェクトの立ち上げに参画してくださることになりました。

そして温暖化ガス対策を最重要課題に挙げられていた環境天然資源省のロイザガ大臣(Maria Antonia Yulo-Loyzaga)にも、フィリピンにはまだカーボンクレジットの枠組みは出来ていないが森林再生を通じた枠組みを作っていきましょうと話をし賛意をいただきました。ちょうど、出席されたカイロのCOP27の会議のあとで、地球温暖化対策に悩まれていた時期でもあったようです。

この2月、マルコスJr.大統領の訪日の際に、丸紅、フィリピン環境天然資源省、大手財閥グループDMCI Holdingsの親会社であるDACON Corp.およびフィリピン大学森林天然資源学部と覚書を締結し、フィリピンで初めて産学官が協働し森林再生植林事業を通じたカーボンクレジットプログラムを開発する取り組みを開始したところです。

 

 

編集部

 

今後の展望などをお聞かせください。

 

下田氏

 

フィリピンは、近隣諸国に比べて何十年かの出遅れ感があるのは否めません。そのなかで人口構成、若い労働力、中間所得者層の増加などのポテンシャルを活かすためには、他国と比べて優位性のある外国投資に関するインセンティブとともに、今までになかった新しい事業にチャレンジし雇用を作り出し、ポテンシャルを現実のものとすることが重要だと考えます。もちろん新しいことを始めるのは簡単なことではないですが、逆にそれがこの国の大きなチャンスなのだと思います。

丸紅フィリピンも基幹インフラに加え、今回のカーボンクレジット、それにヘルスケアやフィンテック事業にも果敢にチャレンジして参ります。

 

 

編集部

 

下田さん御本人のことをお伺いいたします。これまでのご経歴を教えてください。

 

下田氏

 

慶應義塾高等学校、慶應義塾大学時代は体育会テニス部に所属し、テニスに明け暮れていました。卒業した1988年に丸紅に入社しました。父のような商社マンになりたかったのですが、父は三菱商事に勤めていたため三菱商事の受験資格はなく、丸紅に入社しました。

丸紅では、配属は紙パルプ本部(現フォレストプロダクツ本部)でしたが、当時の本部はアフリカに無縁でした。子供の頃のナイジェリアのラゴスでの体験より、アフリカに行きたいと、ことあるごとに言っていました。その念願かなって1993年、南アフリカ共和国ヨハネスブルグ支店に赴任になりました。紙パルプ本部から南アフリカへは初の駐在です。アパルトヘイトが撤廃されたのち、1993年は白人政権最後の年、日本も円建てで前年貿易額を上回ることはできないという経済制裁を解除したあとでした。そして翌年、南アフリカ初の全人種が参加した普通選挙を経てネルソン・マンデラ氏が大統領に就任。その時の国中に溢れる国民のエネルギーたるや、後にも先にも経験したことのない強烈なものでした。

南アフリカは知る人ぞ知る植林大国です。植林した木をチップにして輸出していたのですが、経済制裁がとけてビジネス拡大のチャンスが来たのです。そんなこともあろうかと、アフリカに行きたい行きたいと言い続けてきたのが成功しました(笑)。実際に赴任者を決める時、「どうせお前がいくのだろう?」と。上も下も迷わず私を推してくれました。実際にはアフリカに行く覚悟のある人は、当時の本部にはいなかったので、しめしめと(笑)。 南アフリカには5年駐在し、木材チップ(製紙原料)の対日貿易の拡大と新規サプライソースの開発に邁進しました。

その後一旦日本に戻り、課長としてチームを率いていたのですが、2005年インドネシアに赴任することになりました。 当時インドネシアでは、丸紅と地場の財閥がパートナーとなり石油化学と製紙パルプ事業を手掛けていました。そこに1997年の通過危機です。ASEAN諸国の企業は弱体化し、ポートフォリオの見直しが行われていました。パートナーシップは解消、石油化学は地場財閥に、そして製紙パルプ事業はその財閥が所有していた植林事業も含めて丸紅が引き継ぐことになり、その植林事業会社(インドネシア南スマトラ州産業植林事業会社)に社長として赴任することになったのです。まだ39歳でした。

インドネシアで同社が実際に植林した広さは12万ヘクタール、シンガポール一カ国より大きく、山手線の内側の面積の20倍です。これはあくまで実際に木を一本一本植えた広さであって、管轄していたエリアの中には村もあれば、川、保護区なども点在し、12万ヘクタールよりもはるかに広いです。荒廃した土地に植林をして若手駐在員と一か所一か所確認していく作業はいろいろな困難はあったものの、やりがいのあるものでした。そのあと一時日本にもどり、再度赴任、合計7年半スマトラの森の中に駐屯したことになりますね。

 

 

編集部

 

お好きな言葉、ご趣味を教えてください。

 

下田氏

 

1918年(大正7年)の全米選手権において日本人テニス選手として史上初のグランドスラムベスト4に進出し、また日本のスポーツ選手で初めてオリンピックでメダル(銀メダル2個)を獲得された熊谷一弥(1890~1968)さんは大学庭球部の大先輩なのですが、こんなことをおしゃっています。「ポイントが取れて、ゲームが取れないはずがない。ゲームが取れて、マッチが取れない(勝てない)はずはない。」 ようは1ポイントの積み重ねが勝ちにつながる、前評判や実力差にひるまず、決してあきらめないで意欲を持って臨みなさいということなのだと思います。

趣味の一つは絵画鑑賞です。私は特に印象派の絵が好きで、日本にいた時から時々美術館に行って鑑賞してきました。今のオフィスはアヤラ美術館のほど近くです。年間会員になっていて、行ける時には好きな絵を鑑賞してひとときを過ごします。

 

プロフィール
1988年慶應義塾大学経済学部卒、同年4月丸紅入社、紙パルプ本部チップ部配属(現フォレストプロダクツ本部)、南アフリカ共和国ヨハネスブルグ支店、PT. Musi Hutan Persada (インドネシア産業植林会社)社長、チップ・建材部長を経て2020年4月丸紅フィリピン会社社長、同年7月着任。23年4月フィリピン日本商工会議所会頭。

 

 

フィリピン日本商工会議所 https://www.jccipi.com.ph/

Marubeni Philippines Corporation http://marubeniphil.com/

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