このコーナーでは毎回フィリピンと深い係わりのある、またはがんばる日本人をご紹介していきます。今回はNPO法人ACTION代表の横田宗さんにたっぷりとお話を伺いました。
世界のこどもたちと地域の可能性を広げる国際協力
NPO法人ACTION代表
横田 宗さん
特別席を設けられていた小学生時代
小さな頃は、人と違うことをするのが好きで、一人遊びが好きだったと言う横田さん。小学校1年~4年生までは担任の先生の横に特別席を設けられていたという。そんな横田さんが中学生の時に一番気になっていたのが障害を持った方たちだと言う。車椅子でいる彼らの普段の生活がこどもの視点から見て、興味の対象になったのだ。高校に入ると知的・身体障害者施設でボランティアをするとともに、その興味は外国人へと移ってくる。
初めての海外ボランティア参加 「かえってお世話になってしまった」
街で知り合った外国人や留学生と交流する中で、外国人は日本人と違う価値観を持ち、会うたびに発見があり面白かった。そして「外国に行ったら全員面白い人に違いない」と思い海外への思いを馳せる。高校3年生の時にフィリピンのピナツボ火山の噴火より被災した孤児院の復興を手伝おうと一人現地へ向かう。
はじめてのフィリピン、はじめての一人での海外。 自分のことを知る人はいない。けれど、熱意が通じ滞在が許され施設の修復を一ヶ月半行った。「施設の為に何か出来ればと思って行ったのに、言葉も全然出来なかった為、かえって施設のスタッフやこどもたちにお世話になってしまった」
「自分のできることで恩返しをしたい。」ACTION誕生!
フィリピンから日本に帰る飛行機の中、「自分のできることで恩返しをしたい。」としみじみ思ったと横田さんはいう。大学には高校生の時の活動が評価され、亜細亜大学に一芸一能入試(現在の自己推薦入試)で入学。新聞社や地元の国際交流協会に呼びかけ、孤児院を支援する仲間を集めた。16人の仲間が集まり、噴火で被災した孤児院の壁の修復を実施。自分にあるのは行動力だけだという想いから団体名を「ACTION」としてフィリピンでの活動が始まった。
「ACTION」を立ち上げた後、インドやタイの孤児院で活動。さらに色々な経験をしようと、大学を1年休学して、ケニヤやウガンダ、ザイールそして内戦直後のルワンダの孤児院を単身で訪れ様々な活動をした。孤児院はその国に入ってから探す為、飛び込みでボランティアをしたいと申し出た。断られた事もあったが、暖かく受け入れられた事の方が多かったそうだ。休学後はルーマニアで乳児院を支援するプロジェクトを実施。大学卒業前の98年にサンバレス州と東京・武蔵野市に事務所を開設し、本格的にフィリピンのこどもたちへの支援活動を開始する。
本当の意味での国際協力へ
現在「ACTION」はフィリピンで孤児院の自立支援の他、盲ろう学校への職業訓練や医療支援、ストリートチルドレン500名への奨学金、先住民族集落での生業確立事業と活動は多岐にわたる。また日本全国から大学生を中心としたボランティアを募り3週間の日程で実施するワークキャンプを主催。参加者は1800名を数え、日本の青年を大きく巻き込んだ活動となっている。
さらに「フィリピンの良い部分をしっかりと日本へも持ち帰って両地域の活性化に貢献したい」と、武蔵野市内の商店街にフィリピン雑貨チャリティーショップを開き、多くの方にフィリピンの事を知ってもらうほか、在日フィリピン人の様々な相談にものるなど、日本国内でも積極的に活動を広げている。こども向けの「国際理解講座」を行政や学校と共同で実施し「ACTION」を通して文通をする両国の小中学生は毎年100名を数える。「日本とフィリピンの両方の良いところをそれぞれの地域に活かす本当の意味での国際協力を目指していきたい」と横田さんは語る。
次号へ続く!!
プロフィール
横田 宗(よこた・はじめ)
1976年生まれ(31歳)東京都出身
高校生の頃から様々なボランティアに参加。
1994年大学在学中にNPO法人ACTIONを設立。フィリピンの孤児院の復興支援活動を実施。
1995年インドの孤児院で活動。
1996年ケニヤ、ルワンダ、ウガンダ、ザイールの孤児院でボランティア活動と空手指導など戦災孤児等の支援にあたる。
1998年フィリピンのサンバレス州と東京武蔵野市に事務所を構える。
NPO法人ACTION代表。教育機関での講演・講義活動、フィリピンと日本で空手指導なども行っている。平成11年度中田厚仁基金褒章受章、平成15年度日本財団賞受賞を受賞。3280地区 メトロ・オロンガポ・ロータリークラブ会員
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