このコーナーでは毎回フィリピンと深い係わりのある、またはがんばる日本人を紹介していきます。
今回は、フィリピン少数民族の伝統文化研究・工芸技術維持のため、彼らの伝統織物の販売を支援し、
自身も国際服飾学会会員、フィリピン伝統織物研究家、服飾コーディネーターなどと多彩な経歴を持つ、
HIBI・インターナショナル代表取締役の高木 妙子さんにスポットを当てました。
出会いを大切に-様々な活動を続ける日々
HIBI・インターナショナル代表取締役
高木 妙子さん
最初は好きになれなかった・・・
1971年、高木さんはご主人の転勤に伴い初めてフィリピンの地を踏んだ。まだ新婚で、英語もあまり話せず知人もいない中、二人はフィリピンで結婚式を挙げた。当時のフィリピンは治安が悪く、「怖い・汚い・貧しい」所だと思い、好きになれなかったそうである。ご主人の仕事は地元織物会社との合弁事業で、当初は3年以上5年以内の赴任という話であった。しかし、5年が過ぎそろそろ帰ろうかと思う頃、色んな出来事が起こり、帰国はとうとう今日まで延び延びになってしまった。
変化の始まり
人生における出来事の多くがそうであるように、高木さん自身の変化もある出会いと共に始まった。1976年、International Fiber Artist Guild(国際織物研究協会)に招待され、そこで始めてフィリピンの伝統織物に出会う。この頃から、どうせ住むなら楽しく前向きにと、物事を肯定的に見るようになり、元々繊維会社に務めていたこともあって、フィリピンの伝統織物について目を向けるようになった。勉強をしていくうちにフィリピンの国や人々のことが解るようになり、どんどん好きになって離れがたくなっていったという。またこの年、Museum Volunteers of the Philippines(MVP)の創立メンバーにも出会う。MVPは主にフィリピンの少数民族の伝統的な織物、手工芸品、家具などを中心に研究活動を行っており、1983年にメンバーとなって以来、高木さんは、日本人にも参加してもらいたいとの思いから、日本人向け窓口の責任者を務めている。
重ねていく出会いの中で
元来、人付き合いが好きという高木さん。フィリピンの伝統織物に魅せられてフィリピンが好きになるにつれどんどん活動範囲が広がり、様々な出会いを重ねていく。1974年にはミンドロ島の少数民族ハヌノー・マンヤン族と出会い、生活援助と伝統文化維持のため、彼らの織物・民芸品の販売を手伝うボランティア活動を始めた。以後ルソン島北部から南部スル島に亘る約10もの少数民族の代表達に会い、その活動を展開していく。そして、1983年からは年に2回、夏休み前とクリスマスの時期に織物の販売をする活動も始めた。販売の売り上げは全て織り子の子供達の教育費に充て、一方で在住の日本人、外国人、フィリピン人を対象に伝統工芸技術の維持・継承・紹介も行っている。
1980年、高木さんは「フィリピンに学ぶ会(フィリピカ)」をメンバーと共に立ち上げる。本やニュースレターの交換等、個々の活動や文化的な交流を通じて、みんなでフィリピンの文化をもっと知ろうという日本人の組織である。フィリピカの活動は多岐に渡っており、2003年6月に行われた歌舞伎の着物の講演や着物ショーではスポンサーを務め、成功を収めている。高木さんはその時の主力メンバーであった。
ご自身では裏方の仕事が好きだ、という高木さんだが、目の前に来たものに対して素通りできない好奇心と頼まれたことを断れない性格ゆえに、表に出ての活躍も目覚しい。
NHKジャーナル (ラジオ第1放送ニュース番組) のマニラ・レポーターを務めたり、フィリピンの日本語ケーブルテレビチャンネルWINSでニュースキャスターを務めた。1997年から2004年までのWINSでの7年間、彼女はトークショーを通してフィリピンの文化や芸術の紹介に努めた。同時に同社の支店設立にもあたった。さらに、高木さんは「日比パガサの会」と共にストリートチルドレンのための奨学金と住宅を与えるエルダ財団を支えている。様々な活動を行う一方で画家として、写真家として、歌手として、織り手として多彩な才能を持ち、フィリピンの民族衣装や服飾文化史事典の執筆も担当している。また、Silahis Textile Museumのディレクター兼染色の考証の研究家としても重要な人物である。
いろいろな人と逢うのが楽しみで、一期一会、本音で話して相手がどういう方なのかを知るのが楽しい、とおっしゃる高木さん。どこにでも飛び込んでいく柔軟さが人との出会いを生み、一生学びながら自分を成長させていきたい、という前向きさが“出会い”を“きっかけ”に変えていくのだろう。その積み重ねが高木さんの意識を変化させていった。好きではなかったフィリピンを、やがては日本人に紹介することに半生を捧げるほど愛するようになるまでに。高木さんは今日も、大好きなフィリピンの素晴らしい点を皆に伝えたいと、フィリピンの空の下を颯爽と駆け抜けている。
プロフィール
高木 妙子
HIBI・インターナショナル代表取締役
1971年、結婚と同時にマニラ駐在となった夫に伴い来比。1977年よりフィリピン在留邦人のための情報誌「マニラ生活案内/医者と薬・果物・野菜・魚・暮らしのしおり」の編集部員となる。1981年「フィリピンに学ぶ会(フィリピカ)」をメンバーと共に創立。「ミュージアム・ボランティア・フィリピン」、「日比パガサの会」など幅広いコミュニティー・ボランティア活動にかかわる。1974年からミンドロ島少数民族ハヌノー・マンヤン族に始まり、フィリピン少数民族(約10民族)の伝統文化研究・工芸技術維持のため、彼らの伝統織物の販売を支援。国際服飾学会会員。フィリピン伝統織物研究家。服飾コーディネーター。趣味は絵画、写真、歌など多彩。