このコーナーでは毎回フィリピンと深い係わりのある、
またはがんばる日本人を紹介していきます。
今回は、割烹よか亭の女将、辻りつ子さんにスポットを当てました。
異国フィリピンで日本料亭の料理で勝負
割烹よか亭 女将
辻りつ子さん
厳しい修行で得た料理人魂
家族とともにフィリピンへ渡る決断
辻さんが料理人の道へ入ったのは自然な成り行きだった。九州で生まれ育った彼女の祖母も料理人で、幼い頃から食文化に触れる機会に恵まれていた。いつしか興味を抱くようになって20代で飛び込んだ“料理人の世界”。初めての修行は大阪の料亭だった。そこでは大根洗いから始まって、生け花、帳簿付け、料亭を営むすべての基礎を叩き込まれた。そんな中、一人の男性と出会い結婚。サラリーマンだったご主人は冒険好きで、あちこちへ出かけ挑戦する男性だったという。数年後、ご主人がフィリピンで鰹節工場を立ち上げることになり、辻さんと幼い娘も渡航するこになった。
「フィリピンへ来たのは1973年、あの頃は家族離ればなれになることはまったく考えていなかったですよ。だから料理人を続けるために日本へ残ることは選択肢にはなかったですね。フィリピンへ行ったら何とかなるんじゃないかと思っていましたから」と当時を振り返る。ところが、根っからの料理好きであることがよくわかって
いた辻さんは、フィリピンへ来てすぐに行動を起こした。「料理をとったら私じゃないと思ってね、マニラのパサイ
ロードで小さな割烹料理店“つじとよ”を始めたのよ」
夫との突然の別れを乗り越えて
異国フィリピンで日本料亭の料理で勝負
順調かに思えたマニラでの料理店だったが、1986年のマルコス政変の煽りを受け「つじとよ」を共同経営し
ていたビジネスパートナーが逃げ、倒産してしまった。そして、ご主人が若くして突然他界・・・。「料理店で働いてくれていた従業員への給料も払えなくて、この先どうしていいのか途方に暮れました。今思い出しても、あの頃は本当に苦しかったですね」と話す。夫と料理店、大切なものを同時に失い、小学生の娘を連れて異国にポツンと放り出されてしまった。
そんな母子を救ってくれたのは、在マニラの日本人の人々だった。辻さんが作る料理の味を知っている常連さん
からの働きかけで、日本人会で懐石料理教室を開いたり、日系企業へお弁当をデリバリーしたり、お店は持たずとも “料理人”としてマニラで必要としてくれる温かい人々に支えられた。1993年マカティに「よか亭」をオープン。辻さんにとって何にも変えがたい大切な場所だ。(2005年アラバンに移転)
フィリピンで多くの人に支えられて生きてきた恩返しは、お客さんに美味しい日本料理を出すこと、そしてお店で働く板前たちに日本料理の四季感や心づかいをも伝授すること。73歳になる辻さんは、女将として現役で奮闘中だ。また、辻さんは在マニラ日本人の母親たちの悩みの種“お弁当のおかず”のコロッケやフィッシュバーグなどを手作りし冷凍宅配もしている。お店で出す惣菜も、家庭料理での参考になるように、と心がけているという。 「割烹よか亭」の料理には、感謝の心と、日本料理を愛する心、そんな気持ちがこもっているからこそ、今もなお
愛され続けているのかもしれない。
プロフィール
辻 りつ子 (つじ りつこ)
割烹よか亭 女将
1935年生まれ、在フィリピン歴35年。
女将として働きながら娘3人を育てあげた。
割烹よか亭
Tech Center, Buencamino St., Ayala Alabang, Zapote Road, Muntinlupa City
Tel:02‐809-5691 / 0918- 401-9927
営業時間 11:00-14:00, 17:30-22:00
毎日営業