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日本の歯科技術をフィリピンに-前編

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このコーナーでは毎回フィリピンと深い係わりのある、またはがんばる日本人を紹介していきます。
今回は、日本の歯科技術をフィリピンに伝えるために努力されている、
小林歯科医院院長の小林誠さんにスポットを当てました。


日本の歯科技術をフィリピンに伝えたい(前編)

小林歯科医院院長
小林誠さん


koba1.jpg 丁稚奉公で技工士の腕を磨く
北海道和寒(わっさむ)町で10人兄弟の末っ子として生まれた小林さんは小さい頃から手先が器用で、ミニチュアの模型を作らせたら右に出る者はいない程だったという。中学校卒業後、旭川の歯医者の家に丁稚奉公。昼間は技工見習い、夕方は旭川東高等学校に通う毎日を送った。

20歳の頃に上京。ここでも歯科医の住み込み書生として、北海道の厳しい丁稚奉公生活で磨いた技工の腕を振るった。その翌年に明治学院大学に入学するも、60年安保闘争に巻き込まれて中退。歯科技工専門学校に入り直して技工士の資格を取得した。

その後、自分で技工所を開業。近所の歯科医たちから声がかかるようになり、仕事が徐々に増えていった。やがて北海道の実家から甥を呼び寄せて従業員として使うようになっていった。



koba2.jpg 歯医者になりたい
27歳で結婚し、埼玉県に新居を構えた。小林さんの技工士としてのプロ意識は時として歯科医との対立を生んだが、所詮技工士は歯科医の下働き的存在。こちらの主張は通らず、「腕の悪い技工士」の烙印を押されるのが関の山だった。「俺は歯科技工士だけで終わりたくない、このような不条理な現実から抜け出すには、自分が歯科医になるしかない」小林さんはその思いを日増しに強くしていった。

歯科医になるには大学で勉強し、資格を取る必要があるが、日本の大学で歯科医学科に進むには膨大な学資金を必要とする。また、この頃から小林さん夫婦は技工所の経営や子供のことなどで諍(いさか)いが絶えない日が続き、ついに結婚生活12年目にして破局を迎えることとなってしまった。




フィリピンの大学に入学、そして歯科医師国家試験合格へ
それからしばらく経ったある日、小林さんはある歯科医から「フィリピンの大学であれば、安い学費で歯科医になれる」ことを聞く。それまでフィリピンのことなどまったく知らなかった小林さんは、とりあえず下見だけでもと、1980年3月に初めてフィリピンに渡った。異国の地フィリピンで進学の可能性を見出した小林さんは、いったん日本に戻り、甥に技工所を任せて再びフィリピンの土を踏むこととなった。小林さんが41歳の時であった。

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最初の一年間は学生ビザがなかなか下りず、フィリピンと日本を往復する日が続いたが、この頃に今の奥さんのマージョリーさんと知り合い、結婚する。翌年の1981年にようやく学生ビザを取得し、同じく歯科医への進学を希望していた奥さんと共に、日本大学の姉妹校であるデ・オカンポ・メモリアルカレッジに入学。その時の学校との取り決めは、「授業料は払わなくてよい。技工所も校内に作ってやる。その代わり学校側では給料は払わない」という、小林さんにとっては願ってもないものだった。

学校の生徒を相手に技工所を切り盛りしつつ、歯科医師国家試験合格に向けて16歳の級友たちと共に勉強する日々がこうして始まったのである。 入学してから6年後に大学卒業した小林さんは、年に2回行われる歯科医師国家試験に挑む。実技では抜群の成績を収めるものの、学科試験では英語のハンデに泣かされ2度失敗。それでもくじけず挑戦し続け、50歳になった1989年11月に見事国家試験に合格し、受験3度目にしてついに念願の歯科医師の資格を獲得した。一方、奥さんも大学在籍中に小林さんとの間に授かった子供達の世話というハンデをものともせず、この時の試験に一発で合格した。


~次号へ続く~



プロフィール
小林 誠

小林歯科医院院長
歯科技工士訓練センター「The ALPS Technology Academy Inc.(TATAI) 」創立者

1939年生まれ(69歳)
北海道出身。中学校卒業後、旭川の歯医者の家に丁稚奉公で住み込み、旭川東高等学校に通う傍らで技工の見習いの毎日を送る。20歳で上京し、明治学院大学に入学するも60年安保闘争に巻き込まれて中退。歯科技工専門学校に入り直して技工士の資格を取得する。その後、自分で技工所を開業したが、歯医者になることを熱望し、フィリピンのオカンポ大学で歯科医学を学び、フィリピンの歯科医師国家試験に合格して念願の歯科医師免許を取得。

現在、同じく歯科医師である奥さんと共にマカティ市にあるクリニックを経営する傍ら、クリニックに併設した技工士の訓練センターでフィリピン人技工士の輩出に努める。目下フィリピン初の技工士会となる「フィリピン技工士会(DENTAP)」の創立に向けて、精力的に活躍中。
フィリピンに帰化した日本人第1号。

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