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グローバルマインドを持つ国際的行動派(前編)

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このコーナーでは毎回フィリピンと深い係わりのある、またはがんばる日本人を紹介していきます。
今回は、マニラのアジア経営大学院(AIM)に留学して経営修士号取得後、フィリピン各地をバックパッキングで旅したり、フリーランスの仕事を経て現在は夫婦でコンサルティング会社を設立した、General Manager and Senior Consultant, SpiceWorx Consultancyの安部 妙さんにスポットを当てました。



グローバルマインドを持つ国際的行動派(前編)
General Manager and Senior Consultant, SpiceWorx Consultancy
安部 妙さん


出会いはエドサ革命とアキノ元大統領の「英語の発音」

1986年に起きたエドサ革命。革命の様子や新大統領就任のニュースは日本でもテレビで放映され、その視聴者の一人に安部さんがいた。アキノ大統領の就任式でのスピーチを聞いた彼女の印象は、

「アキノ大統領の英語って、アメリカ人の英語よりわかりやすいな~」

そんな素朴な印象が、安部さんとフィリピンの最初の出会いとなったのであった。

taesan1.jpg 安部さんが一番最初にフィリピンの土を踏んだのは、エドサ革命から約8年後の1995年1月。当時大手製造業企業の情報システム事業部で、システムエンジニア(SE)として業務アプリの開発や東南アジア日系製造業企業への企業統合システム(ERP)導入コンサルティングなどを担当していた安部さんは、会社がラグナテクノパークにハードディスク製造工場を設立した際、情報システム導入チームの出張メンバーの一人として来比した。当初の出張の滞在期間は2ヶ月半ほどで、その後1998年まで、年に2~3回の割合で日本とフィリピンを往復したという。








もっといろいろなフィリピンを知りたい!

安部さんにとって、外国はフィリピンが初めてというわけではなかった。出張や旅行を通して、アメリカ各地や中国、シンガポール、マレーシア、タイ、インドといった他のアジア諸国も訪れていた。しかし、そんなアジアの国々の中でも、同年代の人々とフィーリングが合うフィリピンに惹かれていったという。

「今まで仕事や旅行などでいろいろな国の人と触れ合いましたが、特に仕事以外で楽しく付き合うことができたのがフィリピンでした。」

企業の出張者としてではなく、違った形でフィリピンに触れてみたい…。そんな思いに駆られて安部さんが選択したのが、NGOへの参加であった。

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当時、アジア協会アジア友の会(JAFS)という大阪のNGOが、パナイ島のパンダンという町で水道パイプ敷設プロジェクトを行っていた。同町の水源は塩分の含有量が多く、飲料水に適さないことから、山の上にあるマロンパティという泉から真水を引くことになったのだ。安部さんは96年から98年にかけて、3回ほどこの工事のワークキャンプに参加。機械を一切使用せず、10キロという距離を全てシャベル一本で掘り進むという重労働だったが、学生時代にバスケ、陸上、テニスと数々のスポーツをこなしてきた安部さんは、むしろ楽しみながら工事に従事できたという。




無謀に近い闘鶏ダービーの開催とその成功

パンダン町での地元の人々とのふれあいを通して、ますますフィリピンにのめり込んでしまった安部さん。とうとう「フィリピンに住んでみたい」と思うまでになり、持って生まれた行動力に物を言わせてアジア経営大学院(AIM)に留学、経営修士コースを専攻した。同校では世界10カ国から留学生を迎えているが、安部さんは70人いるクラスの中でただ一人の日本人だった。

AIMでは、卒業間際になると卒論の他に「Individual Walkabout」と呼ばれる必須プログラム(個人プロジェクト)を実施し発表しなければならないことになっている。このプログラムによって卒業するための実力を備えているかどうかが試される、いわゆる通過儀礼のようなものだ。

テーマを決める上で、1)自分がやったことがない 2)難しい 3)経営的なスキルを応用すること という3つの条件を満足させる必要があったが、そこで安部さんが選択したテーマは「闘鶏ダービーの主催」。闘鶏は日本ではできない(=やったことがない)、フィリピン人男性が支配する闘鶏の世界に外国人の女性が挑戦する(=難しい)、そしてダービーを主催する(=経営的なスキルを応用)、というわけだ。

安部さんは、SEとして実務で鍛えた「論理的思考」と「問題解決能力」をフルに発揮してこのプロジェクトに挑む。何しろ闘鶏に関してはまったくの素人、それも「鶏恐怖症」に悩むギャンブル嫌いの女性が、コネも何もない異国の地で闘鶏ダービーを主催しようというのだ。生半可な方法では、まず成功に導くことは不可能だろう。

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徹底的な現状把握と客観的な分析の結果、安部さんがまず行ったのは、2ヶ月間の根回し作業とコネ作りだった。現在持っている人脈を最大限に活用して、ようやく町の実力者や闘鶏のオーナーなど、闘鶏ダービーに必要な人々との接触に成功する。そして、不測の事態に常時泣かされながらも、当日ネグロス島のミノヤン村において無事闘鶏ダービーを主催し、それどころか僅かながらも収益を得るという快挙も成し遂げた。また、安部さんの選んだ課題は校内でも珍しかったらしく、70人中4位に選ばれた。収益金は地元の小学校に寄付したという。


次号へ続く!!


プロフィール
Tae Abe-Abion(安部 妙(あべ・たえ))
General Manager and Senior Consultant, SpiceWorx Consultancy

1967年生まれ(40歳)
茨城県日立市に生まれる。日本でシステムエンジニアとして勤めていた会社が1995年にフィリピンに工場を設立した際、情報システム導入チームのメンバーとして初めてフィリピンを訪れる。1998年~99年、マニラのアジア経営大学院(AIM)に留学して経営修士号取得後、フィリピン各地をバックパッキングで旅したり、フリーランスの仕事を経て2001年にフィリピン人と結婚し、夫婦でコンサルティング会社を設立して今に至る。

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